昨夜、寝る前に、慰めを乞いました。
夢を見ました。
女性歌手の方と一緒にいて、ファンの集いだったのか?
彼女は私に話しかけてくれて、わたし(の健康)を心配してくれて、
歌を歌ってくれました。素敵な時間を過ごせました。(勿論、夢)
印象は、尾崎亜美さんかと思ったのですが、声が違う。
知っている女性歌手の誰とも違う。ピアノの先生の声でもない。
誰の声でもない。
O嬢と話した。
”シューベルトに逢ってきたんですか?”という天然の人。
”開会式を見ましたか?”
”録画で”
O嬢にも、開会式は悪に見えたそうだ。
思い出したらしく、瞳の中に映像が見えたように感じた。
O嬢は、天然ではあるが、涜聖(トクセイ)行為であったことが瞬時に理解できたはずだ。
ただ、この先、なにがもたらされれるか?
どこまで理解しているのだろうか。
”Oさんは生き残りますよ。”
なんの根拠も確証もなかった。わたしは言った。
ただ、そう望んで…言った。
”(武蔵野音大 出身の元ピアノ講師の)Sさんは来ますか?
よろしくね”
”ピアノ続けているなんて…すごい。私は弾けない”
(私は自分のためだけでなくて、愛するために弾いている
音楽を愛するために、ピアノを愛しているために
愛する人にいつか演奏を聞かせたい(O嬢ではない)と願って
いろいろな願いを込めて弾いている)
O嬢は言った。
”工事店を開業するんですか?”
どうしてそういうのだろう。
私は言った。
”私が資格を取っているのは、最後まで前に進んだ証(あかし)にほかならない。”
Kさんも、M嬢も、開業するんですか?としか言わない。
私は人を使うタイプではないし、
(優しすぎるから=これは必ずしも良い意味だけではない)女性に生まれたほうが良かったと、亡くなられた感受性の高かった叔母さまからも言われている。
心も身体も普通の人とは違う。
どこまで時間が残されているかも分からない。