日記帖

飛ぶ鳥のように、渡る風のように、流れる水のように、野に咲く花のように、煌めく星のように。

~言わずにはいられなかった~

2024-11-08 17:18:46 | 作文する
昨日、某所で、一人の女性と、一人の男性が話をしている。
就業中であれば好ましい事ではない。

W>明日午後に研修に行くのです。
M>付近には、◯◯というお店があり、帰りに寄ると、うんぬん。

私>研修が終わったら、早く帰宅しなさい。
  飼っている猫が待っている。
  猫と人(あなた)では、時間の流れ方が違う。

今日
W>昨日、帰宅したら猫が非常に具合が悪かった。
   具合が悪いのを予知したのですか?
私>病院に連れて行ったのか?
W>いいえ。私がいれば。
私>あなたには、たくさんの交友があるだろう。
  でも、猫にはあなたしかいない。
  (昨日のあなたには、猫への気持ちが抜けており
  私は言わずにはいられなかった)
  仮に私がなにかを感じることが出来たとしても
  自分か、血の濃い人か、なにか強い関連のある人でないと
  不可能だ。
  私はあなたを知らないし、猫も知らない。
  死んだ動物の口寄せをする人もいるけど、私には
  そういうことが実際にできるのかはわからない。
  (この場合は違うが、余談であるが旧約聖書の日本語訳では
  ”知る”は、性的、肉体関係を意味することがある)
  猫と人(あなた)では、時間の流れ方が違う。
  猫は2歳ということであれば、あと最長で25年は生きる。
  インコ、オウム類も長命なものだと飼育下で100年生きる。
  動物は、飼い主が全てで、その精神的な寂しさは、
  仮病を使うこともある。
  人の世界の介護でも、動物でも、精神的な寂しさ、苦しさは同じだ。
W>27歳 そんなに…
  仮病…

彼女は、時間のある時に、スマートフォンから
リモコンカメラで遠隔で猫の様子を見ていたようだ。

彼女を傷つけるつもりはなかった。
でも、私は言わずにはいられなかったのだ。

彼女には猫がいるし、家族もいるかも知れない。

私には誰もいない。







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