音符も、一瞬のなかで、生きていて、消えては、次の音符に繋いでいる。
メロディーとして、体(たい)をなしていく
文字も、連続して、単語となり、
文章となって繋がって、体をなしていく。
人も、私の好きな鳥も猫も、生き物は、一瞬の生を生きている。
生を自分だけのものにするか、他に分け与えるのは、
自由に委ねられている。
苦しみも悲しみも、音符のように、命も
過去から流れ、川に流れる水のように、消えてゆくのかもしれない。
一瞬の時間、生というのは、大変な贈り物なのですね。
時々、自分の前を通り過ぎた亡くなった人々を思い起こす度に
思うのです。
暑いですね。救急車をすごい頻度で遭遇します。
石森(石ノ森)章太郎さんの”絆”という本を読みましたが、
矢口高雄さんの漫画もエッセイも入っていました。
ただ、過去の遺産や親から知り合いから得たものではなく、
自分で、Creationして欲しいと思っています。
有隣堂本店さんで本を買いました。また、次の勉強を始めます。
時間が無限でなく、有限であり、
悲しみと苦しみと痛みの中にいても、少しでも前にと思っているからです。
自分の敵は、
悪をしようとする自分でしかないのです。
非難する人、蔑む人がいても、私の敵ではありません。
【私を憎んだり、非難する人がいます。それを私は敵としないという意味です。】
もちろん、私は、皆さまが思っているよりもっともっと貧しい人なので、
全然出来ていません。