鉄塔の墓場とは、なんだったんだろう。
その、圧倒的な終わりのシーンを見て、改めて考えた。
もちろん山中奈緒子の頭の中は分からない。
だからこれは、私個人の感想だ。
最後のシーンは、一言で言えば、容赦なかった。
リヤカーの人達は空に浮かび。
残った作品は、まさに捨てられる寸前の様子に。
…なんてこった。
だけど、現実はこうなのかもしれない。
私たちにとっての大切な物は、転がっていくいまの中で、こんなに儚い。
絵も、オブジェも、音楽も。
どんどんと、どんどんと、そうなっていくのを、感じてる。
…それでも。
それでもやはり、それは、美しくないだろうか?
カラスが飛ぶ空で、祈りのポーズのリヤカーの人達。
ますます廃墟となった鉄塔の墓場。
山中奈緒子が作り上げた世界は、飄々と、とても美しいと。
断固として、美しいと。
私たちは弱者だ。
作り上げた諸々は、いつだって簡単に壊される。
けれど、私たちは、それでも。
これからも物語を作って描いて歌って、美しい夢を見る。
ぼろぼろのリヤカーの上で、祈る。
鉄塔の墓場とは、覚悟の物語だったのかもしれない。