
上の写真は、大洗鹿島線。一両編成の電車です。それも一人に運転手が切符を切ります。ICカードは使えません。
語学でよく言われるのが、ガールフレンドを作れ。別にガールフレンドを作らなくも同性の友達や知人がいればいいので。会話の上達には、おしゃべりでないと。小生はもともとても恥ずかしがり屋ですが、でもおしゃべりは生まれつきです。息子も家内も内気ですが、娘と小生は、誰とでも話します。日本でも電車の隣の人や誰とでも話します。今の日本では、変人だと思われます。中国人は誰とでも話すので、中国生活20年の影響もあると思います。
地方から東京の大学に入り、英文科でクラスの9割以上が女性。帰国子女が多く、皆アメリカ人やイギリス人のように流暢に話し、英会話クラスでは、小学生と大人以上の差がありました。半分あきらめていましたが、日々努力しました。大学時代おつきあいした女性は、英語、スペイン語も母国語。ロンドン生まれで、南米育ちの帰国子女。
日本語もきちんと書けました。彼女たちには、どんなに努力しても勝てませんが、鈍行のように日々努力しました。
それとアメリカの広い大地と空を見たい夢と目標がありました。それで大学時代に全額給付(食事や寮費、飛行機代も含む)の奨学金をもらい、アメリカの大学に1年間学びました。
次回は1976年のアメリカ留学記1を書きたいと思います


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