勝五十六の日本戦略論

この危機を機に、少しずつ、日本戦略論と今回の政府の対応の遅れを海外から見た視点で、書いていく予定です

タイの緩やかな都市封鎖は5月末まで継続

2020-04-29 17:49:45 | 日記
軍事政権下のタイはどうゆうわけか、コロナウイルスの新規感染者が、二桁、一桁に減少した。
安倍政権下の日本も思ったほどの、感染爆発が起きていない。どちらの国も、平均かそれ以下の指導者と御用学者のアドバイザーの集団で、台湾のような、優れた人間が、政権にいるわけでもない。 現状は、摩訶不思議である。


ある人と討論していて、タイと日本の共通項を考えてみた。タイは、空気汚染が酷く、皆以前からマスクをする習慣が身についている。日本人も戦後からマスクをしている。アメリカ、欧米人は、マスクをするの習慣がない。これは、何の医学的根拠もないが、日本もタイもBCGを生まれてすぐに受けている。家に入るとき、靴を脱ぐ。衛生観念と衛生基準は、両国とも高い。2年間お腹をやられたことが一度もない。タイの私立の病院の医療水準は、日本より高い。

ただ、これまでは、運がいいだけで、これから中国、韓国、ヨーロッパのような、感染爆発が起きるかもしれない。タイは、5段階で、6月中旬までに色々なお店や施設の封鎖を段階的に解く。5月4日から、公園、床屋、レストラン等が開く。家のそばのルンピニー公園での散歩は、すごくいい気分転換になる。早速、2ヶ月行っていない床屋へ。好きな、天ぷら屋、韓国料理、タイ料理、日本料理、インド料理屋へ、行ける。 色々なソーシャルデイスタンスの規則があるようだが。

コロナウイルスとの闘い 「戦争」ではなく「共生」を、NHKの記事より

2020-04-26 18:13:06 | 日記
このインタビュー記事は、今回のコロナウイルス との戦いだけでなく、国の大戦略を考える上での参考にもなる。 今の安倍政権の御用学者や専門家には全く、戦略がなく、その場任せだ。

以下がNHKの記事の一部

コロナウイルスとの闘い 「戦争」ではなく「共生」を
長崎大学 山本太郎教授

戦争にもたとえられてきた、ウイルスとの闘い。猛威を振るう新型コロナウイルスは、世界中の政治や経済を混乱に陥れています。私たちは、この脅威とどう向き合えばよいのでしょうか。現場での経験を通して、“戦争”ではなく「ウイルスとは共生が必要」と語る専門家がいます。医師として、感染症が流行する世界各地の最前線で活動してきた長崎大学教授の山本太郎さんです。
(ニュースウオッチ9 和久田麻由子 西山泰史)
これほどまでの「世界的大流行」をどう見るか
和久田
すごく率直に伺いたいんですが、私自身はこんな事態になるって思ってもみなかったんですね。今回、新型コロナウイルスが、世界でここまで大流行しているこの状況をどうご覧になっていますか。
山本教授
ある種の感染症のパンデミックが起こる可能性というのは、ずっと言われていて、危機感はありました。2009年には、メキシコから始まった新型のインフルエンザもありました。けれども、実際に起きてみると、その危機感を超えたさまざまな問題が出てきているというのが今の状況です。普通は起きないことに関して、ずっと強い緊張感を持ち続けられるわけでもないんですよね。もしかすると、私を含めた専門家が、一般の人が危機感を持てるように発信するべきだったのかもしれないという反省もあります。

和久田
日本でも日に日に感染者が増えていますが、日本での感染拡大のフェーズは、いまどの辺りにあると見ていますか?


山本教授
すでに根絶(ができる)というフェーズは超えていると思います。いまは、流行の速度を遅らせることが最も重要なフェーズに入っています。流行の速度を遅らせるということは、すごく大切な意味があって、1つは、社会インフラの破綻を防ぐということです。2つめは、流行のピークを遅らせることによって、ワクチンの開発や治療薬の開発を進められるということです。いま我々ができることは、自分が感染しないこと。そして、人に感染させないこと。人っておそらく、人とのコミュニケーションが最も楽しいことなんですけど、最も楽しくて、人らしい部分を犠牲にしてでも、流行の速度を遅くしようと決めて、実践しているわけです。1つの万能薬のような解決策はなくて、小さなことの積み重ねでしか、もうパンデミックとは向き合えないと思います。
人類と「感染症」との歴史は

山本さんは、医師として25年にわたって、アフリカやアジア、中南米など、50を超える国々でエイズの対策や研究に取り組んできました。その一方で、感染症と人類の関わりについても研究してきた第一人者です。その山本さんに聞いてみたかったのが…。

和久田
歴史上、人類って数々の感染症に直面してきて、そのたびに薬やワクチンを開発してきましたよね。ウイルスには人類はもう打ち勝ったと思ってしまっていたんですけれども、そうではなかったということですか。

山本教授
1970年代の後半ぐらいに、人類が感染症を征服したという考え方が実はあったのだけれども、現状を見るとそうではなかった。そもそも、人間が自然の一部である以上、こうしたウイルス感染というのは必ず起こってくるものです。人間に感染するコロナウイルスは4つあるんですけれども、そのコロナウイルスは風邪の症状を起こすだけで重篤な症状を起こすことはほとんどありません。かつて、そうしたコロナウイルスはパンデミックを起こし、人社会が免疫を獲得することによって、いまのような状況になってきていると思うんですね。ただし、そうは言いつつも、過去の20年間を見てみると、SARS、MERS、そして今回の新型コロナウイルスのように3回も出てきているんですね。これは、少し度を超えた頻度です。
以下がリンク


書評のご紹介 長周新聞から

2020-04-20 12:59:58 | 日記
長周新聞からの引用です。



山本太郎(長崎大学教授)著『感染症と文明』から考える 人類社会の変遷と感染症との闘い
書評・テレビ評2020年3月19日長周新聞


 「文明の誕生が人類に感染症をもたらした。その後、人類はどのように感染症とたたかってきたか。長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎氏が著した『感染症と文明』(岩波新書)をもとに、このことを考えてみた。
 
 山本氏によれば、メソポタミア文明は、急性感染症が持続的に流行するために必要なだけの人口規模を人類史上初めて持ち得た文明だった。紀元前3000年頃、メソポタミアで流行したのは麻疹(はしか)で、イヌあるいはウシに起源を持つウイルスが種をこえて伝染した結果、ヒトの病気となった。麻疹が社会に定着するためには、最低でも数十万人規模の人口が必要だという。それ以下の人口集団では、感染は単発的なものに留まり、恒常的に流行することはない。数十万人という人口規模を持つ社会は、農耕が始まり文明が誕生することによって初めてあらわれた。
 
 それは狩猟採集の移動社会から農耕定住社会に移ったことによって、次のような変化が起こったからだ。
 
 まず、人々が排泄する糞便が肥料として再利用され、寄生虫疾患を増加させた。次に、貯蔵された作物はネズミなどの餌になり、ネズミはノミやダニを通してペストなどの感染症を人間社会に持ち込んだ。そして野生動物の家畜化は、動物起源のウイルス感染症--天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌに起源を持つ--を人間社会に持ち込んだ。
 
 たとえば中国に起源を持つペストは、キリスト教紀元頃までにはユーラシア大陸の半乾燥地に根を下ろし、7世紀の隋の崩壊や、8世紀の東ローマ帝国衰退の一因となった。中世ヨーロッパではペストの流行による死者が2500万人とも3000万人ともいわれ、欧州全人口の3分の1にも達した。なかでも全身の皮膚に出血性の紫斑があらわれ、「黒死病」と怖がられた腺ペストは、抗生物質がない時代、致死率は50%をこえた。一方肺ペストは、無治療下での致死率がほぼ100%だった。
 
 これらの感染症は人間社会に定着し、その恒常的な流行によって常に一定程度の人たちが死亡するとともに、生き残った人々は免疫を獲得し、免疫によってそれ以後の感染症を免れるということをくり返してきた。まだ病原体を解明し、感染経路を明らかにし、治療法や予防法を確立するという近代医学が生まれる前の時代のことだ。
 
欧州列強が民族絶滅に利用
 
 大航海時代のハイチの例は、ヨーロッパ列強が感染症を一つの民族を絶滅させる武器に使った事実を示している。
 
 当時のハイチには、先住民であるタイノ・アラクワ族約50万人が暮らしていた。そこへヨーロッパ人が天然痘を持ち込んだ。感染症の流行を経験したことがなく、免疫を持たない先住民たちはひとたまりもなかった。そしてタイノ・アラクワ族の絶滅は、奴隷貿易の始まりにつながった。フランスはアフリカから黒人奴隷をハイチに運び、ハイチから砂糖(世界の砂糖の四割を生産)をヨーロッパに運んで、フランスのブルジョアジーが莫大な利益を得るとともに、ハイチを貧しい状態に固定化した。
 
 奴隷たちは「ハイチに暮らすすべての黒人が20年で入れ替わる」ほど酷使されたが、にもかかわらず、1600年代後半にわずか2000人だった黒人人口が、100年後には50万人になったというから、いかに多くの奴隷がつれてこられたかである。しかもハイチの貧困は現在まで続き、エイズや結核という感染症の土壌を提供し続けているという。「貧困の病」といわれるゆえんである。
 
克服した結核が再び最大に
 
 産業革命をへて工業都市が成立した19世紀ヨーロッパでは、結核が最大の感染症となった。汚れた大気、密集した都市での暮らし、換気の悪い工場での長時間労働が、結核の流行の土壌をつくったという。
 

ロベルト・コッホ
 しかしこの150年間、結核死亡者数は一貫して減少してきた。コッホによる結核菌の発見(1882年)、BCGワクチンの開発(初めての人体投与が1921年)、結核治療への抗生物質の導入(ストレプトマイシンの発見は1943年)がそれに貢献したことは疑いない。それとともに、栄養状態の改善や労働・居住環境の改善が効果を発揮したと山本氏はのべている。
 
 日本でも戦前の女工哀史の時代や、敗戦後の食料難と栄養失調の時代、結核は猛威を振るい、死亡原因の一位だった。それが高度経済成長の時期の生活水準の改善や医療の進歩で減少に向かい、薬を飲んで治療を続ければ完治できるようになって、「結核は過去の病」とみなされてきた。
 
 ところがここ30年でそれが変化し、結核は再び国内最大の感染症となっている。2018年に日本で新たに結核と診断された患者数は1万5590人にのぼり、そのうち死者は2204人だった。その背景に労働者の非正規化、貧困化が段階を画して進んだこと、同時に政府の医療切り捨て政策のもと、医師や看護師の不足が顕在化したことが指摘されている。とくに呼吸器科、なかでも結核専門医の減少が著しく、各地の公立病院にあった結核病棟の休・廃止があいついでいる。この医療崩壊が、結核の早期発見・早期治療を妨げている。
 
 地球上からあらゆる感染症や病原体を一気になくすことができないなかで、先人たちが成し遂げてきた医学の進歩に逆行して、医療を市場原理にゆだね、医療崩壊を招いてきた政治が、感染症対策でも困難をつくり出していることは明らかだ。」





御用学者

2020-04-19 14:25:15 | 日記
今回の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の構成員専門家押谷先生は、以前のサーズの時の中国での活躍ぶりを聞いていたので、期待していた。だが、最近のNHKでの特集の中で、クラスター班の責任者としての活躍ぶりをみたが、少ないスタッフで、疲れ切りカップ麺を食べていた。これは、もう専門家会議には、終わりだと思った。全く長期の戦略なしに、クラスター、クラスーたと叫んでも、どうしようもない。まるで終戦の特攻隊や竹槍でアメリカに向かおうとした大本営。

4月18日に日本の感染者は、1万人を超えた。米ジョンズ・ホプキンス大学のまとめによると、米国では3月11日に感染者が1千人を超え、同19日に1万人を突破。同27日までに10万人台に乗るなど加速度的に増えた。日本が、このままいけば8日間で10万人に増加する可能性もある。

先日テレビに出ておられた、御用学者でないすごい先生がいた。早速、新聞記事やキンドルで本を買い、読み始めた。残念ながながら、押谷先生は、大戦略を持たたない、クラスター退治の戦術家。この長崎大学の山本太郎先生は、感染症の歴史、文明の変容に関する著書や海外での感染症と向き合われてきた。今山本先生の「新型インフルエンザ」とゆう著書を読んでいる。 感染症と社会は、共存を目指すべきで、戦争すべきではないとの考え。これまもペスト、スペイン風邪は、社会に大きな変容をもたらし、今回の新型コロナウイルスも社会的変容をもたらす。

山本先生の持論は、今回の新型コロナウイルスとの共存を目指せば、別に怖いことはない。もともエコシステムや環境破壊で、いろいろなウイルスが生まれてきている。戦略なき国家は、滅びる。今今回の危機に必要なのは、大戦略を打ち立てることのできる専門家であり、リーダー。
テレビのインタビューの最後に「希望を持つ」ことを強調していた。

日本にも、優秀な学者がたくさんいる。残念ながら、国の審議会や今回の専門会議の学者のような、御用学者が多い。政府に向い持論を展開し、堂々と批判できる学者が少ない。幕末の勝海舟先生や坂本龍馬のような。


タイと瞑想

2020-04-16 12:14:33 | 日記
2012年夏に20年駐在した中国から日本に戻った。ヨガを始めたのが2009年か2008年上海に駐在していた頃。上海で鬼軍曹のあだ名を持つすごいヨガの先生Belaに出会い、まるで星飛雄馬(若い方は、ご存知ないですね)が父親に受けた訓練のようなヨガ修行を3年ほど継続した。そのお陰で、13年もヨガを継続している。この鬼軍曹は、昔からビルマ(ミヤンマー)に残ったヴィパサナ瞑想も長い期間やらておられ、勧められて、まず茂原、京都のセンターで10日間の瞑想コースを受けた。

その後東京に戻ってからは、その鬼軍曹の先生が運営する、タイのサムイ島にある元ヨガタイランド (現在はサマヒタSamahita)へ、毎年7月に現在88歳のインド人の師匠とアメリカ人の先生(鬼軍曹の先生)から呼吸法、ヨガ、インド哲学の指導をうけるにコースに2週間参加することになった。7年間通っている。同時に、タイには、ヴィパサナ瞑想のセンターがたくさんあり、毎年10日間のコースに参加した。 瞑想は、トータルで9回か10回参加し、今年の6月にやっと20日間のコースへの参加を認められた。残念ながら、コロナウイルスのせいで、センターは、9月まで閉鎖である。朝4時、5時に起きて、朝食と12前の昼食のみ。先生に質問するとき以外、一日沈黙を守り、スマフォもテレビも本も全て禁止。無料で、最後に献金。仏教に8戒を守ることを誓う。ようは10日間の出家である。

どうも過去生では、タイでお坊さんだったらしいので、毎年10日間タイで瞑想やっているのは、過去生が関連しているらしい。

3年前から88歳の師匠のおられるアシュラムへ、年に1度通うようになった。