新潟久紀ブログ版retrospective

仕事観の形成と就職するまで編6「店じまいと儚い車持ち」

<仕事観の形成と就職するまで編6>---------------
●バイト先の店じまいと儚い車持ち

 有難いことに自動車修理販売関係に勤めていた父親の援助もあり、トヨタカリーナ1400DXセダンを手にした私は、車で出掛けることが楽しくなり、ガソリン代のためにもできる限り続けたいなと思っていた「純喫茶スペイン」ウエイターのバイトだったが、一年ほど経ったある日「もうすぐ店を閉めることになった」との給仕リーダーから告知を受けた。
 現代はシネコンなどにより以前に比べて映画が盛り返しているが、当時は業界の斜陽が深刻化しており、その動向と連動するかのように名画座の上階に構える純喫茶も客足が減り経営が厳しくなっていた。何よりも日々の客足を目の当たりにしていた私は"さもありなん"と思うも、生活費に少し余裕も出来ていたので、割の良いバイトを慎重に探せば良い程度の構えでいたのだが…。
 そんな折、サークルのイベント打ち上げで古町で大勢で飲んで騒いだ後、真夜中の大学近くのアパートへの帰り道、知人も送るためにカリーナ号に同乗させて運転していた私は、前方不注意でブレーキタイミングが遅れ、信号で停車中のスターレットに追突してしまった。ぶつけた瞬間に相手の車がスーッと当方の車に押されるがままに前に進んでいった場面が今も忘れられない。追突したことは後にも先にもこの時しかないのだが、ぶつけられると人はブレーキを踏むとか、クラクションを鳴らすとかしないものであろうか…。とにかくあまりにスムーズに数メーター前に押し出されるスターレットの後ろ姿を見送りながら、「やってしまったなあ…」と、ただ呆然としていたのである。
 少しして停車した相手車から運転手の若い男が降りてきた。何故か怒って攻め寄ってくる風でもない。こちらも降りて先ずは謝って相手に近づくと、怒っていない理由が即座に分かった。相手は相当な飲酒運転だったのだ。その若者は「しかたねーなー」と怠惰な口調でつぶやいたあと、スターレットが殆どキズついていないことを見た上で「もういいよ。俺は帰る…」と言いかけて、当方のカリーナをジロジロ見始めた。
 私も振り返って愛車の前面を見ると、フロント鼻先から液体がしたたり落ちている。スターレットのバンパーをフロント吸気グリルにドンピシャで受けてしまい、ラジエターを壊していたのだ。このままでは自走できそうにない。困っていると、被害者である相手が名刺を出してきた。「俺、板金屋に勤めてるから、廃車処理してやるよ」。
 追突した私が100%悪いのに、相手は飲酒運転をしていたため「不問に付す」といい、そればかりか、壊れた私の車の後処理を自分の勤め先で処分してやるとまでいう。私に、保険会社に連絡だ、警察の検分だ、などと騒がれるとかえって困るという態度がありありなのだ。何というラッキーか。この時の安堵感は未だに忘れられないが、思い出す度に「こんなことは二度とあるはずが無い」と、逆に気の引き締めにつながるエピソードだ。
 そうこうして、相手はそのまま無傷のスターレットでその場を離れた。更に都合の良かったことは、事故を起こした信号はスーパーマーケット前にあり、なんと公衆電話も目の前に…。私は乗せていた友人の送り代行を公衆電話で学友を叩き起こして頼み、前面部がボロボロで自走不能間近のカリーナをスーパーの駐車上に辛うじて移動させて、残り3kmほどのアパートへ徒歩での帰路についた。夜風が肌寒い11月初旬の午前2:00頃であった。
 苦労して手にした中古車を半年程度で自身の過失による事故で失った私は、車無しの生活はできない体質になってしまっており、試験や風雪で外で騒ぐことが困難な冬のうちに、手っ取り早く短期間で稼げるアルバイトを追い求めることとなった。そんな折りに学友からローテーション組みのために頭数を探していると声の掛かったカラオケスナックのバイトに、引きずり込まれるように応諾したのだ。

(「仕事観の形成と就職するまで編6」終わり。「仕事観の形成と就職するまで編7「カラオケスナックウエイター」に続きます。)
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