新潟久紀ブログ版retrospective

病院局総務課1「四面楚歌の新任地での覚悟」編

●四面楚歌の新任地での覚悟

 新潟県庁の本庁舎は18階建てだ。平成19年度に県都新潟市が日本海側初の政令市となったとはいえ、周囲に高層ビルは少なく、18階の展望回廊をぐるりと回れば、佐渡島を浮かべる日本海から新幹線が地平の彼方に消える広大な越後平野の果てまでを見渡せる眺めが自慢の一つだ。振り返ると、平成9年の人事課に配属された1年間以来、新行政推進室に3年、財政課に7年と、11年間も日当たりが悪く窓からの眺めも良くない3階に居続けたのだ。病院局は14階にあり、窓からは信濃川下流が悠々と街中を日本海へと続き、新潟らしい港町風情を見渡せる。職場のロケーションとしては申し分無い。
 年間を通じて悪天候の多い新潟としては貴重な4月の穏やかな晴れ間にそんな景色を見渡しても、しかし、私の心は晴れやかではない。これまでで最悪の異動だという気持ちが新年度になっても切り替わらなかったからだ。財政課の予算査定担当としてついこの間まで県立病院の巨額に及ぶ赤字経営の改善を求めて喧嘩腰でやりあってきた病院局へと異動させられたのだ。その時に激しく言い争った職員がそのまま大勢残留している。私は経営グループというチームの係長相当となる経営企画員というポストに就いたが、スタッフ達の視線は心なしか冷ややかだ。四面楚歌のスタートなのだ。
 それにしてもだ。県庁14階フロアの三分の一ほどの床面積を占めて40人近くが座す病院局の執務空間において、初日から違和感を禁じ得ない。数十億円を超える巨額の赤字決算を続ける企業体としての危機感が全く感じられないのだ。財政課の担当としてやりとりしていた時にも、カウンターパートであった病院局職員からは諦めとか溜息に似た雰囲気を感じて時に苛立ちすらしていたが、病院局内部に入り込むと、そうした雰囲気が蔓延していると感じられたのだ。私がせっかちで気負いがちだという気質を差し引いても緊張感が無さ過ぎる。経営改善に臨もうとする気概はどこにも無いのか。
 異動内示後に引継ぎを受けるにあたり、内部的に大きな組織改正を行ったことを知らされた。人件費削減を兼ねた組織のスリム化で局内の2課両方の課長補佐を廃止したほか、予算や財務の管理と施設設備の投資、物品の調達など、「ヒト」すなわち人事以外の全ての経営資源を、一グルーブに集約し、より効率的な経営を目指す体制にしたのだという。経理担当の事務職と建築、機械、電気の技術職を寄せ集めた8人の大きなチームを経営グループと称して、そのリーダーに財政課で経営改善を口うるさく申し入れていた私を配置したのだ。あれこれと机上のデータと理屈で攻め立てていた私に「そんな風に言うようにできるものなら自分でやってみな」ということなのだ。こんな嫌がらせに近い露骨な異動はこれまでに聞いた事が無く、人事担当も焼きが回ったのかと愕然としたものだ。
 しかし、確かに立派な事を言ってきた手前、口先だけでなくやってみせなくてはならない。ふと思い出したのは、大学生の頃、バイトでノルマを課せられた営業の経験だ。数字を上げて見せてこそ認めてもらえるという仕事観。20年余りに及ぶこれまでの県職員としての就業経験からは、残念ながらそれに比べたら緩さしか思い浮かばない。逆にそうした緩さに慣れてしまっていたから今回のような厳しい人事に落胆するようなヤワな気質に成り下がっていたのかもしれない。危機感や緊張感を失っていたのは自分自身なのかも知れない。私の県職員としての職業人生は、60歳定年までの半分を過ぎた段階で、過酷な条件を与えられて初心に立ち返らせられようとしているのかも知れない。「経営責任を私に押し付けようという組織体制と人事というなら上等だ。県立病院経営を黒字にしてやる」。新潟市の繁華街で開催された病院局を上げての歓迎会の帰り道、私は夜風が肌寒い4月初旬の信濃川河川敷を敢えて歩きながら、沸々とやる気を取り戻していた。

(「病院局総務課1「四面楚歌の新任地での覚悟」編」終わり。「病院局総務課2「旧病院跡地の処分で対立(その1)」編」に続きます。)
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