●加治川周辺の活性化 [R6.8.5] (その1)
令和5年4月に新潟県の新発田地域振興局へ着任したのは実に35年ぶりの地域機関勤務であった。自宅から新潟県庁までのなんの変哲もない街路の歩道を数分間歩いて往復するだけの日々から、自家用車で毎朝バイパスを通って郊外に向かい小一時間かけて新潟市に隣接する新発田市へ通勤して以来、日々目にするのは広がる田園や稜線の美しい低い山々など美しい景色景観に様変わりした。
新任者となって早々の春先に現地視察ということで数日かけて、管内の産業や観光など主だった地域資源を見て回ったのであるが、その中でも新発田地域のイメージをひと際決定づける景色に出会った。丁度満開のソメイヨシノが数キロにわたり延々と立ち並ぶ堤防を両脇に抱えた加治川は、雄大さ優美さを感じさせるようなゆるい左右へのスイングで大きな懐を開くかのように私を迎えてくれているかのようだった。
新任の私の緊張感を和らげて、流れる地の新発田地域を一気に魅力的なものに印象付けてくれた加治川に関心を持った私は、この川の成り立ちや経緯などを調べ始めた。
海岸砂丘に閉ざされた低湿地帯で古くから洪水に悩まされてきたこの地域において、江戸時代あたりから人力による改修が繰り返され、河道がその姿を何度も別の姿にかえながら紆余曲折を経てきたことを知った。
1914年に日本海へ流水させるショートカットとなる加治川分水路の完成により、現在の川筋に至り、大正天皇の即位との記念を合わせて川の両岸に桜の植樹が始まり、その雄大な延長から「長堤十里の桜」と呼ばれて開花の季節には大変な賑わいをもたらしたと今に伝わっている。
しかし、昭和40年代に大勢の犠牲者を出した2度の大水害を受けて、河川拡幅改修のために桜は殆ど切り倒されたのだという。
ならば、私を魅了した延々と続く堤防の桜並木はどのように再生されたのか。地域内外の人々による桜堤復活を求める声を受けて国の事業により植樹帯が設けられ、市民の手によって、いまや14kmあまりに2千本近くの桜が並ぶ姿になったのだという。
なんという歴史であり、人力掘削から桜の再生にいたるまでの人々の力なのであろうか。この物語そのものが、規模的にも広域性においても、地域はもとより県として大変な財産であると思ったのたが、県職員を長く務めてきた私でさえ知るのは初めて。恥ずかしく思うばかりだ。
その加治川の桜の再生は少しずつ今日も続いている。新発田市への合併で編入された旧紫雲寺町の町長だった方を会長とする「加治川を愛する会」が主導していて、植樹のみならずオフシーズンの桜の樹々の手入れや地域の子供たちへの啓発活動などまで取り組まれていて本当に頭が下がる。
県としてはこれまでも国事業の導入や県費による環境整備などを続けてきているのであるが、私自身として独自に寄与できることはないだろうかと考えた。
加治川分水路の整備の際に分岐水量調整のために作られた「運河水門」と「土砂吐水門」が平成24年に歴史的構造物として土木遺産に認定されていて、レンガ造りのクラシックな姿そのものが桜と加治川の魅力を楽しむ上での大きなシンボル的存在になっているのであるが、その上部に設けられている木製の橋「三角島橋」が朽ちて歩行禁止になっていることが視察の際に気になっていた。
部下に問うと、やはり県が整備した施設として危険なままにはしておけないので、私の着任前から既に改修する方針となっていて、従前の木橋にするかコンクリなどの朽ちないものにするか、どのようなものが良いか調査を始めるところなのだという。
ならば、専門家の調査意見を聞くばかりではなく、その再整備が加治川の一層の誘客のために、もっと言うならば、いまや年間で賑わいの一点集中となっている桜の開花時期とは別の季節においても人を呼べるためのものにつなげられるようにできないものか。
そんなアイデアは技術的な専門家達よりも、加治川をもっと盛り上げたいと考えている人たちと知恵を出し合うことでより豊かに生まれてくるのでは。
こうした経緯から「ふるわせ座談会」を「加治川一帯の一層の活性化、桜の季節だけでない賑わいづくり」をテーマに開催しようと思い至ったのだ。
(「新発田地域ふるわせ座談会31「加治川周辺の活性化(その1)」」終わり。「新発田地域ふるわせ座談会32「加治川周辺の活性化(その2)」」に続きます。)
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