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新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代5「新生活の場は見慣れた街と高を括る」

●新生活の場は見慣れた街と高を括る

 学部は違えど兄と同じ大学への進学となったので、新生活については兄のそれに関して思い出すことでシミュレーションできた。年が離れていたので5年前の情報であったが、兄の引越を手伝ったのを思い出す。浴室とトイレが共用の下宿風だったが、キャンパス移転に併せての建築であろう新しい建物に好感が持てた。
 兄の進学に伴う引越で昼食場所を探すと、キャンパス移転間もない大学周辺は砂地の畑が広がる中にまだアパートくらいで飲食店が無い。大学中門の真ん前で花輪が並び目立つのが食堂のようで、初の独り暮らしの引越に全員で臨んだ家族で入店する。後に二枚重ねのカツ重で長く学生に愛される、とんかつ「かねこ」の開店日であった。
 パソコンなど無い昭和後期にはレコード鑑賞が主な趣味で、プログレッシブロックなど聴くにはオーディオセットに凝ることになる。大型スピーカーと高出力アンプなど地元柏崎では現品展示が乏しかったので、大学生として新潟市在住の兄を道案内に新潟駅前の今は無き家電大型店「石丸電気」に数回訪れたものだ。
 新潟大学に当時最寄りの内野駅までは、柏崎の実家近くの東柏崎駅から鉄道で直通2時間弱と便利であった。内野駅から歩いて10分ほどして兄の下宿に伺うと昼食時なので外に行こうと言う。学生を当て込んでいると思しき店は歩いてすぐだ。純喫茶でランチと称する洒落た洋食を食べるのは中学2年生にて初めてかも。
 昼食後に改めて内野駅から電車に乗り新潟駅へ。柏崎のそれとは異なる大きな駅舎と人の多さに驚く。歩いて直ぐに目的の石丸電気があって郊外型の家電店など無い時代において数階建てのビルディングまるごとの店舗は圧巻で、くだんのオーディオ設備の展示も多く、生意気だが音質の聴き分けで購入品を決定できた。
 これに限らず、先行して新潟大学生を過ごした兄のおかげで、未開の畑が多く残る新潟大学周辺や当時は大変な賑わいの新潟駅前などを見聞しておけたので、新潟市で独り暮らすことのイメージが出来て、自分が新潟市で暮らす段になっても準備などに頓着しなくなっていた。父親が宿舎を決めても下見確認など不要と考えたのだ。

(「新潟独り暮らし時代5「新生活の場は見慣れた街と高を括る」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代6「思っていたのと違う下宿に戸惑う」」に続きます。)
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