新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代4「一人暮らしの準備は"グリーンスタンプ"で」

●一人暮らしの準備は"グリーンスタンプ"で

 大学合格の朗報はやはり心配を掛けた両親に"いの一番"に伝えたい。共働きで不在を知ってはいても勤め先にかけるわけにはいかないので実家に電話する。少し惚けた祖母が電話に出て喜んでくれたが嬉しさの共有は自分も親も帰宅後夕方になりそうだ。口に出すほどでは無いが嬉しさは我ながら足取りの軽さで判った。
 帰路の高速バスは高校学友のメンツが減っていた。当時の新潟・柏崎間の高速バスは頻繁に出ていた事もあるがやはり合否の結果により相乗りしたくなくなる心境は察しがつく。この先の数年、ともすると人生の大きな分岐になるやも知れない合否というのは厳しいものだ。このコントラストを肝に銘じたいと思った。
 合格を両親に報告しようと自宅で待つと、なんと父は既に承知していた。この頃はローカルラジオで新潟大学合格者の名前が読み上げられていたのだ。プライバシー重視の今のご時世では考えられない仕業。大学進学者が3割弱と少数派で珍しかったころの慣らいか。父は営業の道すがら聞き耳を立ててくれていたのだ。
 共働きとはいえ裕福とは言えない我が家で、地元国立とはいえ実家からは通えない場所の大学に兄に続いて弟まで進学するのは、どうしても家計の負担が頭をもたげるバブル景気前の昭和の後半。父は安い宿所を手配するという。その頃の私は何事もこだわりがなく、一連の迷惑も勘案して父の指示に従う決意でいた。
 入学式まで僅かな3月後半というのは新潟大学のような土地であってもアパートの引き合いが大変らしい。自分の宿なのだから現地に行って自分の目で真剣に探すべきかとも思ったが、私が受験宿にしたアパートを父が下宿として手配したと聞き、異論無く決定した。2次試験合格につながった縁起の良さと眺めも良かったからだ。
 弟は良くも悪くも兄のお下がりが基本となる。年が離れていて学生時代がダブらない兄が使っていた14型のテレビなど、できるだけ再利用することに。それでも親は今時冷凍庫は必要として、一人暮らし用の2ドア冷蔵庫は購入してくれたのた。これは結婚するまで10年近く使うことになるお値打ち品に化けたのだ。
 大学進学に伴う独り暮らし準備は兄のお下がりや実家の有りモノの使い回しが主体だったが、個食向きの鍋や包丁などの類いは新たに用意が必要。当時は協賛店で買い物すると購入額に応じてもらえるポイントのような「グリーンスタンプ」が発券され、どの家庭も台帳にせっせと貼り貯めており、その引換で鍋釜をゲットした。
 高校生最後の春休みなので友人と大騒と考えがちだが、短い期間での引越準備で慌ただしく大学合否が判らない中で級友への声の掛けづらさもあって、淡々とした日々が過ぎていった。ほぼ日課だったジョギングコースで日本海の春早い日差しの照り返しに、あっという間の高校時代を独り静かに思い返すのみだった。
 大学生としての新生活と独り暮らしを前して、引越準備などで身体的な労はあったが、不安は全く無かった。兄が同じ大学を卒業しており、在学中に宿所や大学周辺などを訪れたことがあったし、学生生活の雰囲気も漏れ聞いていたので、既に慣れたような感覚だった。この"嘗め過ぎ"の傾向は後に反省をもたらすのだが…。

(「新潟独り暮らし時代4「一人暮らしの準備は"グリーンスタンプ"で」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代5「新生活の場は見慣れた街と高を括る」」に続きます。)
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