6月末から書いている「橋を渡る前に」シリーズの続きとなります...
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アロが橋を渡り始めて半年くらいが過ぎただろうか?
アロは、橋を渡る前よりも静かな旅を続けていた。
それまでのアロは、旅に対して緊張感があり楽しみながらも真面目に捉え過ぎていた面があったのかもしれない。
それは、この旅がとても重要な旅で間違いがあってはならないといつも、心の中にあったためだったに違いない。
何故ならば、アロはこのような旅をして最終場面で失敗して命さえ無くしてしまった記憶がどこかにあるためだった。
このことは、橋を渡るようになってからますます、確信へと変わって行くのであった。
その失敗がいつであったかと聞かれれば、漠然とはしていたがこの人生の何百回も前のことであったように思える。
とにかく、決して忘れてはならない魂の記憶のように思えるのであった。
この橋を渡るようになってからその魂の記憶からくるような重いものは、抜け落ち始めたように思えるのであった。
そういう意味で、静かな旅になりそして、気楽な旅になっているように思えるのであった。
すると、アロがどこの誰で何をして生きて来たのかなどの記憶が薄れはじめるようになっていた。
しかし、アロが経験してきた生き様のようなものは、しっかり記憶されている。
時折、旅を始める前の世界の様子を知らせる情報を見たり読んだりしていたが、それらは何となくドラマの世界のような感じがして、何となく流れを見たり聞いたりしているだけだった。
すると、そういった情報は、自然に流されなくなり又、新たな情報が流されるが、それも同様に短期間で消えて行くのであった。
その有り様はまさに、誰かが創っているのかと思えるようであった。
そうした内容に比べれば、この橋を渡る旅は、新鮮で喜びも多いのであった。
それは、まさに自らが創って行くものであった。
この橋は、渡り切るのに1年かかると伝えられていたが、人によっては、この橋の上でのんびり過ごしている人もたくさんいるのだ。
例えば、農作物や植物を育て旅人にプレゼントしたり、その作業を一緒にやったりしている人もいる。
旅する人の疲れを癒すヒーリングなどを施している人もいる。
絵を書いたり、得意な物を作ったりして旅人に感動を与えている人もいる。
いろいろな楽器を奏でたり歌を歌い旅人を和ませている人もいる。
中には、手料理を作りふるまっている人もいる。
それらは、いずれも同じ旅をしている人達に対する愛からでもあり、行っている人自身の楽しみでもあった。
橋を渡る前に手渡された磁気カードがあり、お金など必要のない場だからこそ可能なことなのであった。
そのため、めんどうな決めごとも不要なのであった。
そんな中で、アロもあちこち立ち寄りその暖かい思いを受けながら旅を続けていたのであった。
アロは、急いでいるわけではなかったのだが、そうした人達のように橋の途中で、何かをして少し留まることはせず、ある意味予定通り旅を続けていた。
アロは、旅を始めた年齢が高いため体力の温存を第一にしていた。
橋を渡る途中には、非常に体力を消耗する日もあるので予定通りに橋を渡ってしまいたかったのだった。
それでも、この橋の上でいろいろ楽しみながら支援をしている自分より若いに人達に接するにつけ、アロも何かやりたい気持ちが湧き出すのであった。
それは至極当然なことで、人は愛を受け取れば愛を表現したくなるものなのだとアロは、実感するのであった。
そんな中に、橋を渡る前に聞いていたポストを見てから特定の人ではなく、同じ旅を始めた人や途中の人、何らかの理由で旅を止めた人に宛て、アロの旅の時々に感じたことを伝えて見ようと思いついたのであった。
それから、アロは宿泊施設で過ごす時間に橋を渡る前の施設宛てにこの主旨を伝え、この手紙を公開をお願いすると心よく引き受けて下さりその施設で管理しているホームページで紹介してもらえることになったのであった。
あまりにもスムーズな展開にアロは、嬉しさを隠せなかった。
思わず高い橋の上の一番高そうな所に登り天に思いっきり手を振るのであった。
いつかへ続く...