昨日よりもずいぶん、落ち着いた感じの今日、新月を迎えました(^-^)
昨日の激しい揺さぶりの中でいつもは、願い事などあまりない?しない?私ですが、最後に手放せないでいた事象や心の執着癖?など手放せるよう願いました。
詳細は、書けませんが私が今世でこだわっていたことや過去生から、かかえて来た事象など自分自身でなくなるような気もする事柄をスッキリと手放そうと思うのです。
それは、ずっと以前から行っていたことではあったのですが(^^;
それでも、まだ薄い一枚を身にまとっているような感覚でした。
それすらも手放すべきだと感じたのでした(  ̄▽ ̄)
何故、そこまでしようと思うのかと言えば...
そうすることが、今の自分が望んでいることだと気付いたからです。
人は、自分と向き合う時に知らず知らずのうちに2つの意思を感じているように思うのです。
例えば、幸せそうな人を見たり聞いたりしたら「幸せで良かった!私も嬉しい」という思いと「羨ましいなあ!何で私は、こんな人生なの?」どちらも、確かに自分自身の声なのです。
こうしたことも、突き詰めて行くと全ての物事、事象ではなく、それぞれの人の傾向があるように思うのです。
言い代えれば、それが今世に生まれた課題だったのかもしれません。
もし、道半ばでこの人生を終える時が急に来たら否が応でもそこで、その課題は終了となってしまうのではないでしょうか?
もし、そういう事態となり彼方に逝った時、彼方にいる自分自身としてどうするか判断するのだと思います。
そして、輪廻転生があるなら又、その課題をテーマに生まれくるのかもしれません。
しかし、この輪廻転生がこの地球上では修了したとするならば、この地上に生きる人達も、その課題を手放し新たな課題や目的を造って良い時に入っているように思うのです。
「ありのままに」とか「断捨離」などそうしたことを現す言葉がたくさん聞かれるのは、魂の奥で、そういう時になったのだと知っているからのように思えるのです。
ですから、もし自分自身がそうした2つの思いで惑わされ負担に感じるならその原因となる回路を絶ってしまうことが、今この時の選ぶ道なのではないかと思うのです。
もちろん、そうすることで《損得》の損を背負うかもしれませんがその結果、魂は「尊徳」を強く得ることができるように思えるのです。
そうしたことが、スムーズに進むよう願いながら、まだまだ、後ろ髪を引かれるような思いもありますが、宇宙の支援を受けながら
素直な純粋な心で臨みたいと思う2019.9.29の新月です( ̄ー ̄)