人は、思い出していてもいなくとも、この地球に生まれて来て取り組むことにしている課題があるはずだと思っています。
私が歩んだ60年以上を顧みますと、細い枝葉ではない人生の大切な課題があったと認識できます。
それは、家庭や仕事や社会の中で経験する様々な事象を
(※詳細下記)ツールとして必ず、一つのテーマがあったということです。
※
①親子、夫婦、友人、恋愛などの人間関係
②子育てや看護介護
③就職退職、昇進降格、失業、起業
④親しい人との死別離別
⑤闘病、事故、災害
⑥ボランティア、趣味
⑦生涯を通しての研究や分析
(仕事としてだけでなく趣 味を越えた専門性のものとしての)
このような人生の中にある様々な事象を経験している時というのは、それに懸命に専念しているわけですが、実はその本来の課題とも必ず向き合っているはずです。
その課題は、地球での過去世から持ち越して(過去世で残った課題)きたものですから、思い癖としてかなり強く出てきやすいものです。
他者からみると、それはその人を見極めるポイントになり解りやすいのかもしれませんが、本人は、意外と気づかずに中年くらいまで過ごしている場合が多いように思います。
例えば、他者からみれば「なんと我慢強い忍耐強い人だろう」と思われているのに本人は「まだ、我慢が足りないまだ忍耐しなければ、、」と思っているようなことです。
この例えを使うなら、この人は、家庭でも職場でも社会でもそのように思い行動しますから、マスマス我慢強い忍耐強い人になって行くわけです
。
しかし、その人も限界に近付いてくると次第にそれが自分の人生の課題であり、「あの時あんなに我慢したから体を壊してしまったのだ」とか
「あの時、無理して忍耐しすぎなければ誰それと仲良くできていたかもしれない」とか
いろいろな事象に関する見方の変化が出てくるものだと思うのです。
この辺までくると、かなり課題の修了が近付いて来ているのだと思います。
そして、その課題は、自分が大好きで抱きしめていたものであり、手放せないために何度も何度もツールを変えながら現れていたのだと理解し始めるはずです。
見方を変えますと、今回の人生の大切な課題が故に強く抱きしめて来ているわけです
、、(これに気付くと笑ってしまいますが、、)
このアセンションの時に最後の手放しになるのが、この課題なるものかと思っています
、、
大好きなものと最後に手放すものが表裏一体になっているって、本当に上手くできている仕組みですよね~
大好きなコートがリバーシブルだったみたいな?
そのコート(古い上着)を脱がないと新しい世界に入れないという仕組みです、、
なんということでしょう~~~~~~
その最後の上着を脱ぐ時が脱ぎやすい時が今であり、先日の連続した太陽フレアからの贈り物だったと思えてなりません。
こうしたことを受け入れることにより、新しい奇跡のような展開を経験していけるはずです。
それは、まさに、宇宙源からのご褒美に違いありません。