落書き帳

皇室評論家って、つまらない奴ばかり
専門家? ホントに?

自民党新憲法草案条文案の第1章についての感想

2005-08-02 21:09:34 | 皇室の話
平成17年8月1日に,自民党の新憲法草案の条文案が公表された。
この中で,天皇の地位については,現在と同じく「象徴」とされ,「元首」であることの明記は,見送られることとなっている。
このことは,筆者としては,適切であったと考えている。
現在においても,対外的な関係においては「元首」として扱われているのであるから,敢えて「元首」と明記しなければならない実務上の不都合はないであろう。
明記することの意味としては,主に抽象的な,精神的なものであると思われるが,さて,それはどのようなものであろうか。
日本を民主主義国であるというだけでなく,君主国でもあるということを明らかにするということであろうか。
天皇の位置づけについて,「象徴」という,とらえどころのない曖昧なものではなく,「元首」という具体的な位置づけを与えたいということであろうか。
これらのことについては,筆者として,それなりの意義を感ずるところではあるが,ただ,逆に,「元首」という形を与えられてしまうと,天皇とはそもそもどのようなご存在であるのかという問いかけの契機が失われてしまうように感じられる。すなわち、天皇とは「元首」だということで,思考がストップしてしまうのではないかということである。
もっとも,現在でも,天皇とは「象徴」であるということで思考がストップしてしまっている者もいるかもしれないが,「象徴」という言葉は,「元首」という言葉と異なり,それ自体に中身のある言葉ではなく,関係性の中において始めて意味を有する言葉である。
すなわち,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」ということにおいて,「天皇」と「日本国」・「日本国民統合」ということとの関係性において成り立つ言葉なわけである。
したがって,「天皇」とはどのようなご存在であるかということを理解するためには,「日本国」・「日本国民統合」とはどういうことかを理解する必要があるし,その上で,それらと「天皇」とがどのような関係にあるのかを理解する必要があるのであって、「象徴」という言葉は、本来,そのような高級な問いかけを行っている言葉なわけである。
なお,8月2日付けの朝日新聞の朝刊において,桜井よし子氏が,「天皇制の記述も及び腰ではないか。天皇制が日本の文化・文明の核になってきたのは確かであり,その伝統をどのように引き継ぐのか。そのことを論じないといけないが,連合国軍総司令部(GHQ)による無味乾燥な天皇制の位置づけが,そのまま残っている印象がある」と述べている。
しかし,筆者としては,GHQの手による文章であったとしても,象徴規定については,実に良くできた表現であり,素直に見つめれば,天皇というご存在と日本の文化・文明との関係も含意されていると読むことができると思う。むしろ,そのような事柄を敢えて明記してしまうと,その途端に舌足らずになってしまうことになり,限定的な文言の中に矮小化してしまうことになってしまうのではないかと,筆者は思う。
ただ,この第1章の規定を見ると,根本的なことを考えないままに、技術的なマイナーチェンジを行ったに過ぎないという印象は拭えない。
第4条において,「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行い」とあり,相変わらず「国事に関する行為のみ」とあるのだが,これはいかがなものか。せめて,「のみ」だけでも削ったらどうなのか。
天皇陛下のご公務について,国事行為に限られないことは,すでに周知のところであろう。限られないどころか,象徴としてのお立場でなされるご公務は,非常に多くなっているではないか。
国家というものが関わる範囲としては,公権力の行使に関わる部分だけではないはずであり,そのような部分以外でのフォーマルな部分が皇室に託されているのだということを,認めるべきなのではないのか。
もっとも,これを認めるとしても,積極的な規定にはやはりなじまないであろうから,筆者としては,せめて,「国事に関する行為のみ」の「のみ」を削ったらどうかと考えるわけである。
若干、印象的なのは、第8条において、「法律で定める場合を除き」という文言が加わったことである。具体的な議論は「法律」の中身に委ねられることになるが、国会の議決が必要なもの、必要でないものの線引きが整理されることが期待される。
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現在及び将来に於ける皇室というご存在の意義と皇位継承論

2005-08-02 00:33:56 | 皇室の話
7月27日の「有識者会議の論点整理について(男系男子論の意義の確認の必要性)」という記事の中では、皇位継承の在り方を考えるに際して、価値観が問題になるということを盛んに述べたが、今回は、筆者なりの、女系容認の根拠となる価値観について、述べることにしたい。
ここで、筆者が問題意識を有する価値観とは、皇室というご存在の意義をどのように考えるか、ということである。
国民にとって、皇室というご存在はどのような意義を有するのかという問題があり、皇位継承の在り方については、このご存在意義を損なうことになるか、より高めることになるか、あるいは無関係であるか、そういう思考のプロセスが、必要であると思うのである。
筆者なりに理解している皇室というご存在の意義について、このブログでは、既に何度も同じようなことを述べてきたが、繰り返せば、それは、皇室と日本人との歴史的な絆ということである。皇室におかれては国の平安と国民の幸せを祈られ、国民はそのような皇室を大切に思い、そのような皇室と国民とが、長く共に歩んできたことによって築かれた絆ということである。
筆者のこのような考え方は、今も基本的には変わっていないが、ただ最近、このような皇室の在り方というのは、実は非常に現代的なものなのではないかと思うようになった。
国民に対する皇室の在り方、存在意義については、百二十五代の中では、多様性があったであろう。まったく、同じような在り方で続いてきたわけでは、ないはずである。
力ある支配者として、権力者としての側面が強く打ち出された時代もあったであろうし、権力については貴族・武家等に委ねつつ、権威ある存在としてのみの側面が強く打ち出された時代もあったであろう。
このように考えれば、男系男子ということが、なるほど、強く求められた時代もあったかもしれないと思われる。
すなわち、権力者としての側面が強く打ち出された時代においては、力の象徴として、男系男子ということが求められたであろう。
権威者としての側面が強く打ち出された時代においては、権威の源泉としての伝統的裏付けが重視されることになり、伝統的裏付けの内実としての皇位継承ルール、すなわち男系男子ということが求められたであろう。
それでは、現在における皇室の存在意義とは、如何なるものであるか。ここで、筆者としては、上述のように考えるわけである。
この上述のような皇室の在り方については、歴代天皇の御詔勅、御製の中にも見ることができ、「現代的」という言い方をしたが、決して、歴代天皇の歴史の中に無かったものが唐突に表れたというつもりはない。
ただ、非常に強く、表面化されてきたのは、現代の、特に戦後においてではないかと、筆者は感じるのである。
そのことが端的に表れているものの一つとして、昭和21年1月1日の、「年頭、国運振興ノ詔書」がある。
これは、新日本建設に関する詔書とも言われる(一般には「人間宣言」という方が、通じやすいであろうか。)ものであるが、この中の有名な一節に、
「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。」
という箇所がある。
筆者が盛んに「絆」ということを述べるのも、実は、この中の「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯」という言葉から手がかりを得たものである。
ここで、皇室というご存在の意義について、改めて考えてみることにする。
まず、現在においては、権力者としての側面を有しておられないことは、明らかであろう。
それでは、権威者としての側面は、如何であろうか。
この側面については、戦後においても、なお暫くは存在していたであろう。
ただ、それは、明治憲法下における、統治権の総覧者としてのイメージが残っていたことによるものと言うべきではないか。
皇室におかれては、すでに昭和天皇にして、昭和21年の詔書を出されていたわけであり、「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」るところの皇室と国民との関係を目指されておられたのではないか。
そして、その試みは成功し、現在において深く定着し、将来においても維持されるものと、筆者は考える。
さて、そのような、国民と「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」る皇室というのは、かつての権威者とは異なるものであろう。
すなわち、雲上人としての権威者ということではないはずである。国民から見て、問答無用の、無条件に価値の認められるべき伝統を背景とした、上からの原理に立脚した存在ではないはずである。
仮に、現在の皇室について権威者として捉えるとしても、その根拠となるのは、国民との心の通い合い、共感、その集積としての絆であろう。
これは上からの原理でも、下からの原理でもないものであり、君民一体というと古くさい印象があるが、結局これこそが象徴ということなのではないか。
さて、このように、現在及び将来における皇室というご存在の意義につき、皇室と国民との絆として考えれば、皇位継承の在り方を考える際の優先順位としては、まずは、できるだけ現在の皇室の中から、女系を容認してでも、継承者を見出すべきということになるであろう。
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