落書き帳

皇室評論家って、つまらない奴ばかり
専門家? ホントに?

悠仁親王殿下への御提言

2024-09-03 21:00:11 | 皇室の話(3)
悠仁親王殿下は、今月6日に18歳となられ、成人される。

悠仁親王殿下の人生に思いを巡らせると、筆者としては、同情的な思いに駆られてしまう。

東大に進学することへの反対署名が1万人を超えたといった週刊誌記事も見かけるが、随分とひどい話だと思う。
署名した人たちにおいて、何らかの正義感があっての行動なのだろうけれど、筆者にはピンとこない。

お茶の水女子大学附属幼稚園への入園、筑波大学附属高等学校への入学については、如何にも悠仁親王殿下のためだけの制度、他の人は用いることのできないルートという感じで、筆者としてもえげつない感じはしていた。

ただ、東大の推薦入試については、幼稚園入園、高等学校入学の時のような特別に作られたルートというわけではないであろう。
一流の研究者と共同でのトンボ論文を実績として用いるのはずるいと言いたくなる気持ちは分からなくもないが、面接の際にいくつか質問をすれば、悠仁親王殿下の実績と言えるのがどの部分でどの程度なのかについて、把握するのは難しくないのではないか。

また、悠仁親王殿下が入学すれば、他の受験生を一人押しのけることになるといった見方があるようだが、国立大学の入学時の定員というのは、そんなにカチッとしたものではないのではないか。

筆者としては、東大の推薦入試に挑戦すること自体については、そこまで反発する気持ちにはなれない。

ただ、幼稚園入園、高等学校入学の時のえげつない印象があまりに強いものだから、東大でもそれをやるのかということで、多くの人の反発を招いているのであろう。

また、もう一つ、筆者として思うのは、秋篠宮家、特に紀子妃殿下は、悠仁親王殿下の教育に非常に熱心なようであるけれども、それがどのように、将来の天皇としての資質につながってくるのかがよく分からないという問題があるということである。

将来の天皇としての資質に必要な学問というものがあるとして、それを学ぶためということであるならば、ある程度特別扱いをしたとしても、これだけ反発を招くことはなかったであろう。

将来の天皇としての資質獲得のためということであれば、それはすなわち、我が国、国民のためということでもあるのだから、むしろ応援の声が上がっていたのではないかと思うのである。

しかし、具体的に見えてくるものは、トンボということであり、どうしても趣味としての学問のようにしか思えない。
そこに公的な意義というものは感じられない。

公的な意義がないとなれば、結局、学歴への執着のようなものしか感じられなくなってしまう。
公的な意義がない中で、これだけの特別扱いをしてしまうと、そこに生じる印象は、特権を振りかざすハイパー教育ママの影響ということになるのであって、そんなものに好感を抱くような人は、まずいないであろう。

この執着は、悠仁親王殿下御自身の執着ではないと思うのだが、巻き込まれているような状態になっているのではないか。
何ともお気の毒なことだ。

この状況を打破するためには、大学進学については、今となってはどうしようも無いと思うので、それとは別途、悠仁親王殿下御自身において、将来の天皇としての資質の獲得を目指し、その努力の姿勢を周囲にも見せていくということしかないかもしれない。

その際には、平成の象徴学というものもあると思うが、あまりに戦後の登り坂日本にマッチしたものであり、それだけではこれからの時代には不十分であり危ういと思われる。

もっと骨太な伝統的な帝王学、戦乱の中における君主の在りようについても、学んでいって欲しいものである。

なかなか大変なことであると思うが、いずれ皇位を継承するのであれば必要となることだ。
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保守のせいで先細る皇室

2024-09-02 21:14:44 | 皇室の話(3)
令和6年9月2日16:40、サンデー毎日×エコノミストより配信の「完全に無視されている19年前の女系天皇議論 成城大教授・森暢平」と題する記事がある。

皇位継承の議論に関するまっとうな記事である。

それにしても、きちんと制度を見据えた記事を書く人というのは、本当に少ない。
森暢平氏は、数少ないそのうちの一人であると言えるが、本当に寂しい状況である。

男系継承、女系継承の議論について、正統性という論点に比重が置かれるのは仕方のないところであるが、19年前からずっと議論が継続し、ほとんど考えるべきポイントは出尽くしたのではないのだろか。

男系維持派においては、初代神武天皇以降の歴代天皇について、男系で続いてきたという分かりやすい根拠がある。

ただし、将来に向けて、現行の男系男子を維持し続けることは、現実的に可能なのか。

未婚の男子皇族は悠仁親王殿下しかおられない。

そこで、旧宮家の子孫の男子の養子案というものが出てきているわけであるが、実際に養子になることのできる方がどれくらいおられるのか。

そこがそもそも大問題なわけであるが、仮に、何名か実現したとしよう。
しかし、それによって、将来の皇位継承は安定するのか。

旧宮家につき、昭和22年の時点で11宮家51方という数字があって、これだけ見るとかなり安泰になるような気がしないでもないが、これは旧制度下、伏見宮の系統において一夫多妻制を最大限に活用したことの名残によるものであって、現行制度下においては、規模も縮小していかざるを得ず、男系男子の確保が難しくなるということは、誰にでも分かることなのではないのだろうか。

そうなったとき、どうするのだろう。

男系維持派は、男系でなくなれば皇統断絶などと言ったりするが、男系継承を皇室の存在意義の中核に据えてしまうと、女系拡大などできなくなり、本当に断絶することになってしまうのではないのか。

男系継承の意義を強調すればするほど、将来、女系拡大をせざるを得なくなったとき、皇統、日本の国体が格落ちしたような感じになってしまうのではないのだろうか。

明治の皇室典範の立案時において、男系男子を導入したということは、当時の世界、国内の状況に照らしても、十分な根拠があったと思う。

そして、第2次世界大戦後、憲法、皇室典範を制定し直す段階において、従前の皇位継承の在り方を踏襲するという判断も、敗戦直後であったことを踏まえれば、やむを得なかったであろう。

しかし、現在、将来の担い手が一人しかいないという状況において、男系継承でなければならないという再確認をするというのが、本当に適切なことなのか。

将来の皇位継承の安定のため、女系拡大が必要となるということを見通せるのであれば、女系女性天皇であっても何ら正統性に問題のないことの理論的な整理をしっかりと行う方が、はるかに有意義なのではないのだろうか。

そして、それだけの根拠は、19年間にわたる議論の中で十分に蓄積されていると言えるのではないだろうか。
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