エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

平成11(1999)年式ホンダトルネオSiR-T(5速MT) H22.9〜23.11

2025-01-23 18:00:00 | 日記
それまで良しにつけ悪しきにつけ、私のクルマ人生に影響を与えてきた父の病が相当に重たくなり、入退院を繰り返すようになりました。
市内の病院と大学の附属病院、それと在宅療養の行ったり来たり。
二度目か三度目に大学病院から市内の病院へ戻った際、医師から呼び出しを受けました。季節は秋。
ああ、来るべき時が近づきつつあるのかとの予想どおり、それは余命宣告でした。
「正直言って、来年の桜を見るのは厳しいと思います」

当時、お見舞いなどに自由に使える私専用のクルマはなく、かと言って真冬に"シビッ君"では可哀想。
雪が降る前に急いで足グルマを探しました。
すると、市内のトヨタディーラーにマニュアルミッションで走行が少なく、フルオリジナルに保たれた面白そうな一台が。それがトルネオとの出会いでした。
「NAで2リッター200馬力がこの値段かぁ…」これはもう、迷うことなく見積り依頼です。
お店も雪が降る前に在庫を減らしたいらしく、最初から良い条件を提示してくれたので、速攻で契約しました。

ただ、失敗したのは、せっかく納車前に用意したMC前のインテグラタイプR純正15インチホイールが、スペーサーなしではフロントに履けなかったこと。何せチャンピオンシップホワイトのタイプR用ホイール、大好きだったもので…まぁ、ブラックのボディーに映えつつフェンダー内に収まったから良しとしました。

とにかく程度抜群の個体で、シートの本革部分に擦れや傷もなく、メーカーオプションのカーナビも付いているし、父の病状が安定していた間は快適なスポーツサルーンとして働いてくれました。

リヤの小さなスポイラーと左右に振り分けられたマフラー以外、全く目立つ所のない4ドアセダンなのに、峠に入ってシフトダウンするとVTECエンジンの快音を響かせ、5,000rpm以上では痛快なレスポンス。ヘリカルLSDの助けを借りて強引にコーナーを攻めることができるのですから、もう堪りません。

ややローギアードのため、高速クルージングでは何となく急かされる感じがして、燃費も長距離でリッター13キロ前後、街なか8〜9キロと奮いませんでしたが、高速道路ではパワーステアリングの操舵力を重たい方に切り替えるとセダンらしい安定感も味わえ、そのジキルとハイド的な性格に大いに満足したものでした。

ドリームSA、CB72、CP77以来、ホンダ車好きだった父のお見舞いのための足グルマが偶然にもホンダ車、しかもスポーツグレードというのも、何かの縁だったのでしょう。

桜どころか真冬、しかも正月の三が日に父は亡くなりました。危篤の知らせを受けた時や葬儀の前後、その後に山ほどある様々な手続のための移動でもトルネオは大活躍。立派にその役目を果たし、某オークションサイト経由で新たなオーナーの元へと嫁いだのでした。

昭和49(1974)年式 ホンダシビック1200GL2ドア(5MT) H20.8〜24.7

2024-12-24 17:45:00 | 日記
探してみたら、やっぱり写真がありました。昔、ミニなどFF小型車ドレスアップの定番だったコスミックMkⅡがお似合いでしょ?5J幅の12インチが欲しかったところ、このクルマには新品のようにキレイな純正スチールホイール(4J×12)とともに附属してきたのでした。

東京から小樽へ帰任して以来、何とか旧車趣味を復活させたくて色々と画策していましたが、子どもは上が高校、下が中学とまだまだ教育費がかかる年代。
車庫で惰眠を貪っていたバイク(モンキートーキョーリミテッド、ドリーム50)と交換してもらえるような物件を探し、見つけたのは小学6年生の時に衝撃を受けた初代シビックでした。
シビックとの出会いについては、このブログの『初めに-3』『初めに-4』『初めに-5をご覧くださいね。

そんな思い出のシビックを手に入れ、父と旧車イベントに出かけるのを密かに楽しみにしていたのですが、「全くお前って奴は、いい歳こいてまだ車に夢中なのかっ!」と呆れられてしまい、かえって親子の溝を深めてしまうという結果に。
翌年、父は病を得て、2年後に亡くなりました。
徐々に体力が落ちていく中、実家に一度だけ乗って行った時、シビックを見て「こんなだったのかなぁ」と言いつつ、背中を丸めて車内をのぞき込んでいた姿が忘れられません。

前置きが長くなりました。
さて、「シビック」と言えば、皆さん口を揃えて「RS」と答えてくれますが、私にとってはその前のトップグレード、GLなんです。
ウチが買ったのは、昭和47(1972)年のデビュー直後。GLと3ドアが追加されたのは9月でした。

2台のバイクとの交換でやって来たシビック、外装はオリジナルの塗装がやや劣化しているものの、エンブレム等は欠品なし。ミッションはRS用の5速に換装され、内装には同じくRSの木製ステアリングとシフトノブが映え、本来レザー張りのシートはファブリックで張り替えられ、GLの新車時よりも良い感じ。
わが家で乗っていたのと異なり2ドアでしたが、リヤのパーセルボードは厚い木製で黒レザー張りのものに交換され、確かKLMとかいうメーカーのスピーカーが付いていました。
カセットテープを聴きたかったので、ヘッドユニットを某オークションで5,000円だったS2000用の新品に交換したら、これが私好みの音質でバッチリ。

あとはポイントを残したまま点火系をTRDのセミトランジスタ式へ変更、ハイテンションコードは少々長めながらウルトラ製の三菱アストロン用を流用、プラチナプラグと赤コイルはボッシュ、ヘッドライトはJA11ジムニー用のシールドビームハロゲンを流用、といった感じで自分好みに仕上げていきました。

ここで断言させていただきます。初代シビックは国産小型車のレベルを国際的な水準へと一気に引き上げた名車です。
広い車室、俊敏な加速と操縦性、経済的な燃費などなど、今、思い出してみても半世紀前のホンダの卓越した思想には畏敬の念を抱きます。

わが家のシビッ君、峠のワインディングでは軽量ボディーとKONIのダンパーのマッチングが良くタックインを生かして現代のクルマに遅れを取ることはなく、RSの5速へ換装していたこともあり高速道路では悠々とクルージングを楽しめました。そして、長距離ドライブではリッター19キロ台と少食でした。

父の死をきっかけに「生きているうちは好きなクルマに乗ってやる」と決心した私のS800購入に伴い、「昔、乗りたかった」と言ってくれた次のオーナーへ引き継がれていきました。

2006(平成18)年式 フォルクスワーゲンポロGTI4ドア(5MT) H18.7〜H30.3

2024-08-30 08:30:00 | 日記
これは長く乗っていたので写真がありました。
東京から鉄仮面を連れて地元へと帰任したものの、スカイラインのサイズだと足グルマのティーノと一緒には車庫へ入らない。
たったそれだけの理由で手放したことを今でも後悔していますが、当時、他に車庫を借りるという選択肢は思いつかなかったんです。
気持ちにもお財布にも、ゆとりがなかったんでしょうね。
ただ、既にハードトップを持っているという、根っからの鉄仮面好きのオーナーに引き継ぐことができたのだけは幸いでした。

さて、4メートル程度の全長でマニュアルミッション、そこそこ速いクルマはないかと探してみると、各誌のライターがこぞって褒めていたのがVWポロのGTIでした。
ヤナセ時代のゴルフには3台乗っていたけど、インポーターが交替してからVWは未経験。国産某最大手メーカーのディーラー傘下にあった代理店で90クワトロ時代に不愉快な扱いを受けたこともあり、不安ではありましたが、ディーラー系列以外のお店でたまたま決算のため大幅値引きというチラシを見てしまったのです。追加グレードであるGTIは対象外とありましたが…
家族でさっそく訪問し、交渉したところ、赤以外のボディーカラーならば国内に在庫があるので、頑張りますとの返事。
結局、最新のカーナビやETCも格安で付けるなどチラシ以上の条件を提示されたので、即決しました。

納車の日にキャリアカーで運ばれてきたポロ、女房の第一声は「これ、マニュアルなの?」
そうです、GTIの試乗車がなくてATのポロに試乗していたのでした。
ですが、ゴルフⅡシンクロで左のマニュアルを自在に操っていた女房のこと、結果として全く問題なく乗りこなすようになりました。

剛性の高い小柄なボディーに1800のターボを積んだポロ、大人4人が無理なく乗れて小回りが効き、ノーマルマフラーとは思えないドスの効いた排気音を響かせて元気に走ってくれました。
7000rpmのレブリミッター作動までスムーズに回る4気筒20バルブエンジン、各ギアの配分も申し分なく、高速道路ではサードの伸びが実に心地良かったです。
ただ、100km/hでは排気音がボーボーとうるさく、法さえ許せば130km/hくらいが快適な速度かと思いましたね。
ハンドリングも初代ゴルフ以来のフォルクスワーゲン伝統の安定感と安心感で、リヤの内輪が浮いても何とかなる頼もしさ。もっとも、これは新車装着のコンチネンタルスポーツコンタクトとのマッチングが絶妙だったことによります。
他銘柄を履かせてみたり、サイズも205/45R16から195/50R16にしてみたり色々と楽しんでみたものの、新車装着タイヤを上回ることはありませんでした。
燃費は高速道路主体でリッター15キロ前後、郊外の一般道では18まで伸びたこともあります。市街地だけという使い方をしなかったせいで、満タン時にリッター10を切ることは一度もなかったはず。

しかし、国産車と違い、ノートラブルという訳にはいきません。フル過給時、稀に謎の激しいカーノックが発生するトラブルがあり、タービンの軸受け部分からのオイルリークだと判明するまで数か月を要したのには疲れました。吸排気系をほとんど新品に交換して解決しましたが、もし保証が切れていたら100諭吉ほど掛かったらしく、輸入車の怖さを垣間見た気がしました。

その他、リヤサスペンションのブッシュを交換した程度で基本的には健康体を維持したまま、8万km以上12年間、乗り続けることになったのですが、その間、修理や点検などの代車で国産コンパクトクラスを何台も乗りました。
その都度、ポロがいかに質実剛健であるかを実感し、それが安心感につながって長い付き合いになったのだと思います。

最後は、女房の足グルマN-BOX購入の際、友人の店に委託販売で置かせてもらったところ、ワンオーナーで車庫保管、夏冬タイヤ付きが奏功したのか、某買取店で15万円と言われたものが、3倍以上で売れたことが愉快な思い出です。

昭和58(1983)年式 日産スカイラインセダン2000ターボRS-X(5MT) H16.9〜18.6

2024-07-03 17:59:00 | 日記
一番イメージが近い写真をネットで探しましたが、このガンメタのセダン2000RSでご勘弁ください。
私が乗っていたターボRS-Xは窓がブロンズガラス、サイドプロテクションモールから下が黒のガンメタツートンでした。

R33のGT-Rを手放して間もなく、土曜の夕方だったと思いますが、ボーッと日産の中古車サイトを見ていたら、自宅から自転車で行ける距離のプリンス店に鉄仮面のセダンが入庫したのを発見。すぐさま電話して、見に行くことにしました。
オドメーターの正確な数字は覚えていませんが、3万キロ台前半でワンオーナーの禁煙車。鉄仮面としては珍しい、インタークーラーが付く前のセダンターボRS-Xが1年保証付きで45万円、車検の残りは1年弱。
外装は右リヤドア下に大きめの凹み傷があるくらいで他はキレイ、内装もパワーウィンドウの集中スイッチの一部不具合があるけれどドア側のスイッチで稼働するからOKってな具合で、一目で気に入りました。
すぐに見積書をもらおうとしたら、営業さん曰く「保証なしの現状、30万円でいかがですか?」
現状販売でも、ディーラーとして納車整備はサービスしますと言われ、即契約。
ところが翌日、電話があって、エアコンが効かないというのです。首都圏の夏にエアコン無しでは難行苦行に近いものがあります。エアコンがダメならばキャンセル可能と言われ、念のためガスを入れて冷えなければキャンセルする旨を伝え、落ち着かない気持ちでいたところ、ちゃんと冷えるようになったとの連絡があり、鉄仮面は晴れてわが家の一員になったのでした。
なお、私が即決してからも商談の電話が何十本もかかってきたそうです。

当時で約20年落ちのクルマゆえ当然トラブルフリーという訳にはいかず、あちこち経年劣化したパーツはありましたが、新車時の装備はほとんど機能しており、エア式のランバーサポートがポンプの作動音とともに動くことやショックアブソーバーの減衰力を切り替えるフットセレクターまで完璧に作用したのは感動モノでした。
翌年、単身赴任に切り替わるタイミングでもあったので、単身になった後はパーツを取り寄せて友人のスタンドで交換したり、気に入らない部分を手直ししたり、車いじりを満喫しましたね。

さて、この鉄仮面で忘れられない思い出は、平成16(2004)年の大晦日に雪の芦ノ湖から都内まで12時間かけて帰ってきたことですかね。
家族旅行の翌日、予報よりも早く雪が降り始め、遊覧船に乗っている時から吹雪気味になり、船を降りた正午には数センチの積雪に。
夏タイヤのまま恐る恐る走り出してみたものの、ズルズルと滑って危険極まりない状況です。
家を出る時、女房が「念のためにチェーン積んでいけば?」と言ってくれて積んだチェーンは許容サイズが195/60R15で、205の鉄仮面には小さ過ぎる。
ところが、モノは試しと巻いてみたらコマの調整も全く不要でドンピシャッ!
いとも簡単にチェーンを巻き、その後は接触事故や側溝に落ちて乗り捨てられたクルマを横目に、高速通行止めの箱根から慎重に山を下り、こんこんと雪の降る中、昼食もとらずに大渋滞の一般道を都内へと向かったのでした。
リヤだけのチェーンでけっこう安定して走ってくれる鉄仮面、この時ばかりは何とも頼もしく思えたものです。

途中、雪が消えてチェーンを外したのは紅白歌合戦が始まる前、どの辺だったでしょうか。とにかく、あのあまり軽くないクラッチを何百回となく踏んで私は疲労困憊。
幸いにも首都高は通行可能だったので、家路を急いだのですが、自宅最寄りの出口を出たら蛍の光が聞こえ、番組は『ゆく年くる年』に。

お昼すら食べてなかったことを思い出し、残り物しかないコンビニで買い物を済ませ、新年を迎えたのでした。

エピソードばかり書き連ねてしまったけれど、このR30スカイライン、普通の大人4人が不自由なく座れる実用車でありながら、それとなく趣味性を感じさせるデザイン、機能など日本人の好みをうまく捉えたクルマだったと思います。
これからもスカイラインには、プリンス時代からの伝統を引き継いで、クルマ好きのハートをくすぐり続けてほしいものです。

最後に、燃費は一度もリッター10キロを超えたことがなかったこと、ノーマルのままでは峠でブレーキが容易にフェードしてしまうこと、3速のシンクロが弱いこと、を書き添えておきます。
R33GT-Rからの乗り換えとあっては、これと言って走りに感動したということはありませんでしたね。

ウチの鉄仮面、東京からの私とともに帰任したものの、足グルマと一緒に車庫には入らず、冬場の保管を考えて、既にハードトップのターボRSをお持ちの若い方へお譲りすることにしました。

平成7(1995)年式 ニッサンスカイラインGT-R Vスペック(5MT) H16.2〜8

2024-04-07 16:11:00 | 日記
実に久しぶりの投稿となってしまいました。更新が途絶えている間も一定数以上のアクセスがあることに驚いていると同時に、お礼を申し上げます。

さて、日本国内での使用ではいささか信頼性と耐久性に疑問の残るモンデオワゴンの後釜を、再びトヨタの認定中古車から探し始めました。
条件を入力してヒットしたのは、栃木県に在庫があったプジョー306S16。色がゴールドという点にちょいと抵抗があったものの、程度優先が私の信条なのでさっそく現車確認へと向かいます。
予想どおりの程度に満足して契約、と事務所へ向かう途中に、あまり見たことのない赤い色のGT-Rが佇んでいたのです。
聞けば入庫直後の個体。ワンオーナーらしきナンバープレート、日焼けしていない外装パーツ。三菱のカーナビも付いていて、その他見たところ完全ドノーマル。こりゃ良いじゃないか!となりました。

ただ、いくら自分の小遣いからローンを支払うとは言え、306より100諭吉も高価な買い物となるので即決は避け、帰宅後に女房と相談。
どっちでも乗りたい方を買ったら、と言ってくれたことに感謝しつつ、GT-Rを選んだ次第。
入庫直後だけあって条件は渋く、かろうじてタイヤだけ、チビた純正のポテンザからグッドイヤーの新製品への交換をサービスさせた程度でした。

ところで、栃木から都内への納車なので大丈夫かなぁと若干の心配はありました。すると、指定したものとは違うタイヤが履かされていたのです。
私を甘く見ていたのか、担当の営業マンがキャリアカーに積んで来たのですが、「これで勘弁してもらえませんか」と繰り返します。
ええ、もちろん勘弁しないで後日、交換していただきました。随分、高くついたことでしょう。

納車後は、電動SUPER HICASからのゴトゴト音をアクチュエータ交換で修理した程度で大きなトラブルはなく、気持ち良く乗ることができました。ちなみに女房は買い物などで普通にこのクルマを使っていたのですが、交差点で停まった時にクルマと自分とをジロジロ見比べられると言っていました。スーパークリアレッドの塗色が珍しかったのでしょうね。

当時小学生だった娘たちは、体がスポッと収まるリヤシートをお気に入りで、よく眠られると言っていました。R33クーペの隠れた長所だったんだなぁと懐かしく思い出します。

とにかく走りに関しては文句のつけようがないクルマで、乗り心地も硬すぎず、家族揃っての長距離ドライブでは「夢の超特急」的な走りが楽しめました。追い越し車線では常に前を空けられるので、ゆっくり走りにくいという珍しい体験もありましたが。

この種のクルマで燃費云々なんてのは野暮なんでしょうね。でも、長距離でリッター9キロを超えたことは一度もなく、街乗りではせいぜい4〜5キロ。これではちょいとばかり辛過ぎます。
友人のガソリンスタンドで一度、空吹かししてみたら、猛烈な黒煙…さっそく工場へ入れてみたらコンピュータが社外品に交換されていました。
もちろん保証の範囲内とのことで、費用は販売店もちでノーマルへ戻してもらったところ、今度は1,600回転付近でイヤ〜な振動が発生。
整備士さんは「大体こんなもんでしょう」と言ったけれど、こんな6気筒は経験したことがなかったので引き取りを拒否しました。
そして、他に例があるかどうか分かりませんが、トヨタのディーラー経由で日産スポーツコーナーへの預かりとなったのでした。

1週間くらい経ったでしょうか、待ちに待った連絡は何と「クランクシャフトが偏心している」、要は曲がってしまっているという衝撃の回答。
チューニングされたRB26DETTで稀に発生するトラブルだとのことで、相当なパワーを出していたはず、とも。
完全ノーマルと思っていたのはどうやら私の勘違いだったようで、マフラーのボルトとナットには、ノーマルに戻した際にできたらしい真新しい齧り傷があったそうです。

販売店が「ベアエンジンに交換する」と言ったため、半月以上も待たされる結果となり、ようやく帰ってきたと喜んだのも束の間、フロントフェンダーには凹みを作られてしまってデントリペアしたり、前のものよりも回転が全然ガサツな感覚のエンジン。慣らしが終わるまで我慢したけれど、滑らかとはほど遠い仕上がり…

もうほとほと愛想を尽かした私は、次のクルマを探すことにしたのでした。