エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

1995(平成7)年式 フォルクスワーゲンゴルフ特別仕様車GLi(4AT) H15.5〜8

2023-11-24 08:33:00 | 日記
これは特別仕様車だったので写真を諦めていたら、拾えましたよ。カブリオレと共通のアルミホイールがよく分かります。
ボディーカラーはブラックメタリックで内装も黒が基調。フロントにはスポーツシートが奢られていました。

デッドストック物に近いコロナエクシヴを1年乗り、保証が切れたため次のクルマ探しを始めたところ、久しぶりに会った友人から愛車を手放したいと相談があったのです。何というタイミングでしょう!
都内へ戻って来たらクルマはもう必要ない、買取店の金額で構わないというのです。
ワンオーナーで走行は3万キロに達しておらず、整備や点検は全てディーラーで記録簿も完備。さっそく見せてもらったら、ゴルフⅢGLiの特別仕様車で外装はそこそこだけど、内装がめっちゃキレイ。専用のシートカバーを外したら新車のようでした。
二人で何軒か買取店を回り、20〜25万円と言われたため、25万円で手を打つことに。
自分で車庫証明を取り、練馬の陸運事務所で新しいナンバープレートをもらい、ゴルフⅢは晴れてわが家の足となったのでした。

さて、このゴルフ、適度な手応えでとても良く切れるステアリングのおかげで小回り性能は抜群。この美点は今なおフォルクスワーゲン車全般に言えることだと思います。

185/60R14という細いタイヤの能力を最大限に引き出すサスペンションのセッティングは素晴らしく、タイトなコーナーでリヤの内側が浮き上がるほど踏ん張っても不安感はありません。

しばしば面白味に欠けると評されるエンジンは、公差を小さく抑えてきっちり組み上げた印象で、硬質な音とともに額面どおりの仕事を涼し気にこなしてくれます。
あの小柄なボディーに2000ccなので余裕は十分。パワー不足を感じたことはなかったです。

ただ、前の持ち主である友人の言うとおり燃費だけが納得できない数値。街中でリッター7キロ台は許せるとして、高速でも郊外路でも長距離を普通に走ってリッター10キロ前後。10を超えることは滅多になかったですね。

入手時にはパッとしなかった外装は、水垢を落として磨きをかけたら見違えるほどの輝きを取り戻し、早くも劣化しかけていたゴムやプラスチックのパーツは交換かお手入れ。
スッキリとキレイに仕上がり、友人と相談の上、試しに某オークションへ出品してみようかという話になり、その結果は45万円。プラスになってしまいました。
たった3か月しか乗っていないのにと思った反面、こんな条件は二度とないでしょう。潔く手放すことにしたのでした。

平成3(1991)年式 トヨタコロナEXiV TR-G(4AT) H14.2〜15.5

2023-10-18 08:22:00 | 日記
けっこう写真はあったはずなのに、探すとありませんなぁ。特にリヤのガーニッシュが印象的なクルマでした。

ライトを点灯すると、中央にあるEXiVの文字が光るんですよ。
バブルの名残りの意匠だったのでしょうか…

さて、東京に持ってきた911カレラでしたが、娘からの「狭い!うるさい!くさい!暑い!」の大合唱に加えて親族からの誹謗中傷があり、やむなく乗り換えを決断することに。

腐っても911カレラ。安値スタートならば某オークションサイトですぐに買い手がつくので、お次のクルマは国産で割とパワーがあり、格安かつ保証付きの物件と狙いを定め、探し始めました。

メーカーごとにディーラー系中古車サイトが充実してきた頃でしたので、様々な条件設定で候補車の絞り込みを行い、毎晩、楽しみつつクルマ選びをしていたら、トヨタで気になるコロナエクシヴを発見!
11年落ちなのに走行は約3千キロ、ハイメカツインカムじゃない3S-GEを載せたトップグレードのTR-G、定評あるトヨタの保証付きで27万円。これは走りもまあまあいけるだろうとすぐに電話しました。
残念ながら既に来店予約ありとのことで諦めていたところ、商談をすっぽかされたと連絡があり、滅多に行くことのない都営浅草線の終点、西馬込へいざ出発。

狭い敷地の隅に追いやられたエクシヴは、不人気なグリーン系メタリックの地味なボディーカラー。第一印象は澱んだ沼か小樽運河の色のよう。
しかし、車庫保管の禁煙車ということもあって各部にほとんど傷みがなく、車内はほのかに新車の香りが残っている感じすらありました(←オーバーか?)

とっくに賞味期限が切れた9分山の新車装着タイヤの新品交換を条件に即決と伝えたら、少しだけ待たされ、本社からOKをもらったと笑顔の担当者が戻ってきたのですぐに契約。
911カレラは某オークションですぐに売れました。
納車時にタイヤを見たら、偶然にも911カレラに履かせて好印象だったヨコハマのグランプリDNAでした。サイズは195/60R14だったと思います。

広くなくとも普通のリヤシートが付いているクルマになって、娘たちは大喜び。家族で出掛ける機会が増えました。
雨の日の買い物に女房が使うことができ、これは価値ある諸費用込み32万円でしたね。

走りもパワー不足を感じることはなく、スロットルを深く踏み込むと元祖ツインカムサウンドを響かせ、軽く7000rpm以上まで引っ張ってくれます。
排気系を覆う遮熱板の下を覗くと、複雑な形状のマニホールドが見えるのがタコ足好きの私には堪らず、トヨタの良心を垣間見た気がしました。

峠道も苦手とはせずに頑張ってくれ、伊豆旅行では山なかの九十九折りもそつなくこなし、燃費が街中でリッター9キロ前後、長距離でも13〜14キロとあまり奮わないのを除けば、当時のわが家にぴったりのクルマだったと思います。

ほぼ新車のデッドストック状態だったこのエクシヴ、初めからテレビ付きの高級オーディオが奢られていたのですが、さらに最新のカーナビをプラスしてどこへでも気軽にお出掛け、トラブルはスピードメーターのケーブル切れ程度。
東北や四国への旅行、お伊勢参りなど家族の思い出をたくさん残し、1年の保証期間を終えたのをきっかけに、ヤフオク経由で次のオーナーさんへとバトンタッチしたのでした。

平成11(1999)年式 日産ティーノエアロスポーツ(CVT) H12.6〜18.7

2023-10-05 08:16:00 | 日記
自分用のクルマが手に入ったら、家族用のクルマはもっと楽な方が良い。子どもたちも大きくなってきたから、自分のドアから乗り降りさせたい。

それよりも、歳のせいかシビックタイプRのスパルタンな乗り味をキツく感じていたのが大きな理由。
1年ちょっと、1万kmしか乗っていないタイプRとほぼ交換という条件で乗り替えたのは、不人気で登録済未使用車が大量発生していた日産ティーノでした。

車庫に911と縦に2台入る全長で、ミッションは当時新進気鋭のハイパーCVT。前席の3人掛けシートや脱着可能なリヤシートも珍しく感じられました。
中古車イベントの目玉車として最高グレードのエアロスポーツ、メーカーオプションのリヤスポイラーとビスカスLSD付きが2台出品。白でサンルーフ付きのが欲しかったけれど、タッチの差で売約済みとなって仕方なく地味なシルバーのサンルーフなしとなりましたが、その分、条件はさらに好転して、支払総額は諸費用だけ。

4WDの設定のないティーノ、北海道ではごく少数派で同じ車種とすれ違うこともほとんどなく、CVTのおかげでエンジン回転が低く抑えられ、車内はとても静か。
しかも前輪の切れ角が大きく、抜群に小回りが利きます。
リヤの中央席をそっくり交換するタイプのビルトインチャイルドシートが設定されていたので、当時、日産のディーラーにいた"弟子"に取り寄せを依頼したら「どうせ売れっこないから」と長期展示されていたサンプルをタダでいただきました。
これはベンツやボルボのメーカーオプションと同様の仕組み・造りで、高価だったためかほとんど売れなかったようです。

ティーノのリヤシートは、ルノーメガーヌセニックと同じ機構・金具により簡単に脱着が可能で、それも売りのひとつだったけれど、シート1脚でもかなりの重さがあり、さらには畳んでも置き場が要るため、ほとんど外したことはなかったなぁ。
ただ、中央席を外した状態で左右席をそれぞれ後方中古寄りにセットすると、リムジン的なスペースになるのは面白かった。
アームレストがないので、腕のやり場に困りましたが。

このティーノ、ソフトな乗り心地と大仰なエアロパーツがもたらす高速安定性で絶好の長距離クルーザーでした。
2000回転ちょっとで100km/hという、当時としてはハイギアードなCVTと二重フロアのおかげで室内の静粛性も抜群。
ただ、燃費はさほど良くなく、街中ではリッター当たり10キロに届かず、長距離でも13キロ程度と期待外れでしたね。
走りは過不足なしといったところで、前車シビックタイプRとは比べものになりません。

あと、ボディーが腐食しやすいという、この世代の日産車に共通の弱点がありました。
整備士さん曰く、これは素材の鉄の問題だろう、と。
このクルマは父の所有になったり、娘の通勤の足になったり、結局は平成26年秋の廃車まで長く付き合うことになるのですが、とにかく錆に弱く、初めての車検時ですら、リヤの足回りを中心にサビが来ていると言われたほどでした。

平成13年の東京転勤後も、ひとりぼっちの自宅車庫で家族の帰省を待ち、その都度、足となって活躍してくれたティーノ。帰任後の18年夏、車両入れ替えに伴い、父のところへ行くことになりましたが、広く明るく静かな車内、抜群の小回り性など、父は亡くなる寸前まで大切に乗ってくれました。

1986(昭和61)年式 ポルシェ911カレラ(5MT) H12.1〜14.2

2023-09-13 19:29:00 | 日記
(写真は借り物です。私のは前後ともスポイラーなし)

前回から、随分とご無沙汰してしまいました。

実はこの話を長編で書き上げ、いざ公開という時に、どうしたことか全てが消えてしまい茫然自失。
海沿いを走る通勤電車の中で書いているので、ところどころ電波状況が良くないのは分かっていたつもりだったのに、我ながら脇が甘かったようで…ようやく猛暑もひと段落したし、気を取り直して書き始めた次第。

さて、思っていたよりもハードだったシビックタイプR、使用予定が女房とぶつかるたびに面白くない思いをしていました。
主人たるもの、ストレスと戦いながら仕事に打ち込むには、やっぱり専用のクルマが必要と勝手に自分に言い聞かせ、カローラの新車価格で買える911を探し始めます。

73年までのナローに未練はあるものの100諭吉ほど不足。年式の新しい964ボディーは論外。
930ボディーだとSCの最終型にはもう乗ったし、87年式以降のG50ミッション車はまだ高価。
ということで、930の3.2リッターのカレラ、84〜86年式しか選択肢がありません。でも、どうせならボディーが強化された85年式以降が良いなぁ、できればダッシュボードの空気吹出口が大きくなった86年式、つまりポルシェシンクロの最終型。赤のSCは目立ってしょうがなかったから地味な色でスポイラーなしのを、と探し回ること数か月。
その頃、盛んになりつつあったインターネットの個人売買で関東に紺色の個体をようやく見つけ、早朝発深夜帰着の日帰り東京ディズニーランド®︎格安ツアーに申し込み、日中の旅程をキャンセルして常磐線に飛び乗り、茨城の牛久まで引き取りに行きました。

ほぼ1年ぶりの911。水平対向エンジン独特の鼓動、ポルシェシンクロのクニュッとした感触、クセのあるペダル類…その全てが懐かしく、しっくりとすぐに馴染めるんです。

フロアに軽い修復歴があるため、ミツワの認定中古車にはなれなかったというこのカレラ、シートのほつれは純正の生地で補修済みで、クランクケースにはオイルの滲みすらなく、過去の丁寧な扱いが偲ばれました。

ノーマルと異なるのは、ホイールが本来この年式ではリヤ用の7Jをフロントに履かせ、リヤに89年式用の8Jを履かせてあることと、ナカミチのヘッドユニットとJBLのスピーカーでまとめられたオーディオくらい。タイヤサイズはオリジナルのままというのも好感が持てました。

大洗港に乗り付け、フェリーで無人車航送。私は羽田から飛行機で。
後日、苫小牧港のターミナルまで迎えに行ったはずなのに、記憶がありません。
よほど忙しかったんでしょうなぁ…

このカレラでは、実にいろんな所へ一人旅を楽しみました。大好きなビートルズや古い洋楽を聴きながら…
台風くずれの暴風雨の中、目の前で土砂崩れが発生して80キロも後戻りしたことや、スタッドレスと冬用のワイパーブレードで冬もガンガン乗り回したり、クルマ仲間のキャンプで試乗会をやったり、完全に実用車として使い倒したつもりです。

SCと3年しか違わないのに、ヨークからデンソーに替わったコンプレッサーと大きくなった吹出口のおかげで不自由なくクーラーは効くし、高回転域の軽さはSCに一歩譲るものの、下の方からより力強く、かつ経済的になったフラット6。

そんなクルマが新車のカローラSEサルーンの値段で買えたのですから、本当に良い時代でした。

さて、カレラが家に来た翌年、私は東京へと転勤になりました。
転居先のマンションには駐車場がなかったため自宅車庫に残して行ったのですが、近所のマンション地下に格好の賃貸物件を見つけ、転勤半年後にはフェリーで連れて行くことに。
女房の助手席を前方にスライドさせ、まだ小4と幼稚園の年長さんだった娘ふたりをリヤシートにはめ込んで、家族4人でけっこう走り回りましたね。
三軒茶屋のホコテンの道に迷い込んだり、色々ありましたが。

そんな東京での札幌ナンバー911生活も娘たちの急激な成長とともに、「パパのクルマは狭い、うるさい、くさい、暑い」という声で終わりを迎えることとなります。

平成11(1999)年式 ホンダシビックタイプR(5MT) H11.3〜12.6

2023-05-25 08:24:00 | 日記
投稿をだいぶサボってしまいました。
さて、上の子の小学校入学を境に、911SCとフェスティバミニワゴンの2台体制から1台にしようとの結論に達したわが家。
下の子がまだ3歳だから2ドアでも良いだろうってことでクルマ選びの選択肢が広かったのと、女房がマニュアル車好きだったことは幸いでした。

実は、当時気になっていたクルマはインテグラタイプRの4ドア。しかし、私の住むマチにベルノ店はなく、ホンダと言えば例の友人(ビートとシビックSiの記事参照)のプリモ店を無視できない。
そんな訳でちょうど前年にマイナーチェンジしたシビックに白羽の矢が立ちました。
これならば2ドアでもリヤシートがそこそこ広く、子どもが勝手にドアを開けて飛び出すこともないだろうし、リヤワイパーが付かないことが不満な程度で他は大衆車シビックと同じ。
ただし、快適装備が揃ったパッケージオプションを選び、オートエアコンとカーナビ、オーディオ、スタッドレスタイヤ&ホイールと積み上がった見積りはまさかの270万超え。
タイプRはそうそう商談があるものではなかったらしく、お店のスタッフも驚いていました。
結局、冬用のホイールを純正装着のチャンピオンシップホワイトのものではなく、ディーラーオプションのモデューロへ格下げし、妥協することで契約。
成約前、ショールームにタイプRが飾られたため、自分の他にも買う人いるんだなぁと思って聞いてみたら、実は見込み発注されていたという笑い話もありました。
条件的には、フォードフェスティバミニワゴンの下取りで頑張ってもらえたので大満足でした。

さて、試乗もせずに購入というのは、私の場合それほど珍しくないのですが、このクルマに関して言えばかなり後悔しましたね。
まずはボディーからの騒音。軽量化のためアンダーコートが省かれたボディーはタイヤが跳ね上げる砂粒が当たるとパチパチ、小砂利ならばカチカチと音を立て、とてもうるさい。特に北海道の春は、冬期間に撒かれた滑り止めの砂がたくさん路上に残っていて、それはそれはにぎやかな車内でした。
次はボディーサイズの割に小回りが効かないこと。駐車場などで切り返しが必要な場面が多く、運転が下手になった気分がしました。
あとはリヤワイパーがなく不便だったことや、強大なグリップと引き換えに異常なほど摩耗が早い標準装着タイヤ、冬は外さないとラッセル車になってしまうフロントスポイラーなど、どれもこれも潔く走りに振った結果だとわかっていても、足がわりに乗るにはキツイ感じがしました。

ちょうどその頃、人生で最も仕事が濃密だった時期でもあり、たまの休みには峠に走りに行くよりもゆっくり体を休めつつ家族サービスに精を出す感じだったので、タイプRの長所を生かすことができなかったと言うべきでしょうね。

タイヤの空気圧がメーカー指定のフロント2.4キロ、リヤ2.3キロでは跳ね気味なので、スポーツ走行する訳じゃなし、0.2キロ落として乗るのが常でした。

ところがある時、このブログに何度か登場している『弟子』が遊びに来たので、せっかくだからタコメーターの右半分を思う存分使ってもらおうと、私も残業三昧で疲れた身体を赤いバケットシートに委ね、早朝の峠へ向かったのです。

ああ、何と表現したら良いのでしょう!空気圧は落としたままだから無理な走りはできないまでも、コーナーではノーズがスッとインを向き、タイヤも鳴かず安定したコーナリングが可能で、思わず目からウロコが落ちる思いがしました。
コーナーからの脱出ではヘリカルLSDの効果もあってか積極的にスロットルを全開にでき、VTECが切り替わると痛快なサウンドを奏でながら9,000回転近くまで回ります。
そうだ、こうやって走らせてこそタイプRなんだ!と感動した私でしたが、このクルマ1台だけの体制になったことに加え、とにかく過労気味の毎日で気力が湧かず、自ら走りに行くことはなかったです。

という訳で、惜しいかなせっかくの名車も宝の持ち腐れとなり、もっぱら女房の買い物の足として動く程度となってしまいました。

燃費はあまり覚えていません。一度だけ家族で長距離ドライブに出かけた際にリッター15キロまで伸びず意外でしたが、市街地で10を切ることはなかったと思います。
そして、やはり高回転型エンジンのためか、軽い上り坂では5速2,000回転でもノッキング気味だったことが印象に残っています。

今、思い返してみると、普通は気力も体力も充実しているであろう30代の最後に買ったタイプR、その実力を引き出すことなく過ごしてしまい実に惜しいことをしました。でも、人って疲れが溜まっているとやる気が起きず、そんな時はきっと何をやってもダメだったんだろうなぁ。