エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

1988(昭和63)年式フォルクスワーゲンゴルフGTI16V4ドア(5MT) H7.3〜5

2022-12-19 08:16:00 | 日記
写真は87年式以前のフロントドアに三角窓がある前期モデルで、しかもグレードはGTDですが、最も雰囲気が近い感じなので借りました。
ゴルフⅡは最終のビッグバンパー付きになると、雰囲気が全く違ってしまうのでね。

自惚れて言えば、私にはクルマ業界に『弟子』が数名います。
その中の一人が手放したいと相談してきて、譲り受けたのがゴルフⅡのGTI 16バルブ。
元々、某メーカーに就職が決まった時に私の紹介でヤナセから買ったものが、某メーカー車に乗らなきゃならなくなって泣きついてきた訳です。

つい数年前までゴルフⅡのシンクロに乗っていたこともあり、気安く引き受けた次第。
GTI、それも16バルブと言えばシンクロとは桁違いのパワーとレスポンス、と言いたいところが、フルスケール260km/hのスピードメーターはハッタリなのか全然大したことのないクルマでした。ただし、本国仕様の評価は非常に高かったようなので、そっちに乗ってみたかったですね。

ただ、ベーシックなゴルフがほとんど2台買えるほど高価なクルマだけあって、簡単なオンボードコンピューターやスポーツシートなど装備は豪華でしたし、けっこうローギアードな割には燃費が非常に良く、市街地オンリーでリッター10キロ前後、郊外路では早めのペースでもリッター16から17キロも走ってくれて、その部分だけはシンクロより上でした。

そして、足回りはビルシュタインのファーベルクキットで少しだけ低めに仕上げられ、7J-15のアルミに195/50R15のハイグリップタイヤを履かせてあったので、当時としてはかなりカッコ良かったです。ハンドリングはノーマルのGTIを知らないので多くを語れませんが、アンダーが強くなく、峠では自在に振り回すことが可能でした。
ツインになったマフラーのテールパイプは一見それっぽく外向きだったけれど、私のところへ来た時はタイコの中身が逝ってしまっていて、ガラガラと鳴ってましたな。

結局、また悪い虫が騒ぎ始め、完璧なGTIに仕上げようとヤナセの先輩を頼りに工場入りを繰り返して、気付けばかなりの出費に。
しかしながら、高回転のエンジン回り具合などなかなか満足のいく仕上りにはならず悶々としていたところ、何と、弟子が「ゴルフ欲しい人を見つけたから買い戻したい」と。
引き取ってから補修に掛かった費用を車両代に上乗せして支払ってもらい、わずか3か月余りでゴルフⅡGTI 16Vはわが家を去っていったのでした。

平成6(1994)年式スバルレガシィツーリングワゴンGT Bスペック(4AT) H6.2〜7.8

2022-11-14 08:06:00 | 日記
やっぱり良い写真がありませんね。
ウチのはマタドールレッドという深みのあるソリッドカラーの赤でした。
カー用品店などで、よく「限定車ですか」と聞かれましたが、この色を選べるグレードが少なかっただけだと思います。NAのDOHCを積んだTS-Rというグレードにも設定があったことを覚えていますから。

さて、平成5年秋、イヤな冬を控えてクルマの置き場を考えなきゃならなくなりました。
田舎の一軒家からちょっとだけ街中に近い家に引っ越したので、敷地には駐車スペースがありません。いくら1階の車庫が大きくて長さ8メートルとは言え、ハイラックスサーフとビートを入れるには、ビートの低いノーズをサーフのリヤバンパー下に突っ込むという職人芸が必要です。

そもそも残業帰りの足として買ったビートでしたが、思ったよりも出番が少なく、そもそも深夜勤務の際はタクシーチケットが使えると分かりました。
私に、残業帰りの足の確保という余計な心配をさせた件の上司は、ただ面白いクルマを買わせたかったなどと宣う始末。(この御仁との腐れ縁には後々まで泣かされることになります)

そこで、女房が車庫入れの際にオーバーフェンダーを擦るなど、サーフをいささか持て余し気味だったこと、また、22時まで路線バスがあるため、思い切って1台体制とすることになりました。

当時はサーフや日産テラノが大人気で下取りも超高値でしたから、ほとんど新車に近いビートと2台一緒の下取りならば発売されたばかりの二代目レガシィの最上級グレードもターゲットに入ります。
グリーンのGT、本革シート付きを買った友人がいたので、それじゃ16インチのBBSが付いたBスペック、色も普通のGTでは選べない赤にしました。
オプションはリヤゲートを含めた後部のグラスエリアのスモーク貼りとフロント足元を淡いグリーンに照らすライトくらいだったでしょうか。さすがトップグレードだけあって、付いてないものを探す方が難しかったです。

娘が2歳になってすぐ納車されたレガシィ、まずは静粛性と振動の少ないことに驚きました。そして踏み込むと当時としては画期的な速さと、極悪な燃費にも。
スロットルに生卵を置くような運転で郊外路を流しても決してリッター10キロには届かず、市街地は6キロ程度。一度だけレギュラーガソリンを試してみたら4キロ台まで落ち込みました。
ただ、高速道路でペースを上げた時の安定感と安心感は、ぐんぐんと下がる燃料計の針に反比例して大満足でしたね。
あと、このクルマは極寒時でもヒーターの効きや温度分布が素晴らしく、メーカーの良心を感じました。
BスペックにはABSが標準でしたが、制御はあまり細やかではなく、父親から引き継いで乗っていたアコードに軍配を上げたいと思います。

さて、憧れのBBS鍛造ホイール、6.5Jの16インチにはBSのエクスペディア205/50R16が組み合わされ、当時としては極めて豪華な足元でした。このタイヤ、ロードノイズはそれほどでもなく、乗り心地も引き締まった感じで、良好な路面ではまさに滑るような走り。
スバルのクルマは1000の時代から割高だと思っていましたが、初めて乗ったスバル車はそんな印象をふっ飛ばしてくれました。ひとことで言うなら『クルマ好きが作ったクルマ』でしょうか。

ただ、このレガシィ1台体制は長くは続きませんでした。子どもが小さかったこともあり、女房はどこへ行くにもクルマを使います。極悪燃費のレガシィ、月のガソリン代はナニコレの世界。私は休みの日に思うようにクルマを使えない。

でも、ある程度、顔が広くなると良いタイミングで話が来るものです。また2台体制へと逆戻り。

平成5(1993)年式ホンダビート(5MT) H5.4〜6.1

2022-10-27 17:52:00 | 日記
シルバーでフルノーマルのビート。
素敵な写真を拝借することができました。
思えば私の購入時、既にホワイトの在庫はなく赤、黄、銀から選べと言われたのでした。

その年の春先、親父から引き継いだアコードはロシア行きが決まり、わが家はハイラックスサーフだけという久しぶりの1台体制に。
そんな時、超多忙な職場への異動辞令をもらう羽目になりました。
依然、田舎の一軒家に住んでいたので、直近の上司からは「最終バスが8時台じゃ、クルマがないと大変だろう」と脅される始末。
薄給の身とは言え、軽ならば何とかなるべぇとKP61やシビックSiで世話になったホンダの友人に相談してみました。
すると深刻な顔をして、ビートの新車を勧めてきたのです。
二人しか乗られず、ろくにトランクスペースもない軽のスポーツカーなんて、と思ったのですが、車両本体値引きが「おい、大丈夫かよ」と心配したくなるような金額で、さらにはビート専用で他車に流用の利かないオーディオなどは全て半額。
聞くと、メーカーにビートの在庫が大量にあるので、幌を新品に交換の上、何とか売り捌きたいとのこと。
一度ミッドシップに乗ってみようか、なんて軽いノリでオーディオも最高級の組合せを選び、シルバーの1台を注文したのです。

納車前、ボディー左右の車名ステッカーは子どもっぽいので剥がしてもらいました。
何となくブガッティT35のホイールに似た地味なアルミを履かせましたが、リム幅は標準より広く、オフセットが小さめのものにしてちょっぴり逞しさを強調。何となく大人っぽい雰囲気になりました。

一応このクルマ、メカチューンのNAエンジン搭載とあってエンジンサウンドには期待していたにもかかわらず、トゥデイやアクティと変わらぬ安っぽい音に失望。
フロント荷重が小さくてステアリングは軽かったけれど、応答性を意図的に落としているのか、それほどシャープな切れ味ではなかったです。

家族3人で出掛ける際はサーフを使うので片道15kmの通勤だけでは走行距離も伸びず、土日出勤もままある職場のため、たまの休日にはぐったり。峠道を楽しむことは一度もできませんでした。
何というもったいない使い方だったんでしょう

高回転型エンジンの性格上、仕方ないのでしょうが、とにかくローギアードでエンジンはいつもブンブン回っているし、軽でありながら燃費は郊外路でリッター17〜19キロ程度とよろしくない。
せっかく付けた高価な専用オーディオを楽しむことなんてできやしません。

ただ、各ギアを上手くつなげていくと、140km/hのリミッターに当たるまで何ら痛痒を感じさせない走りは大したものでした。
横風にも強く、空力の良さと相まって、高速道路を一般車に互して走ることのできる、当時としては珍しい軽自動車だったと思います。

もう少し、良い点を書いていきましょうか。
先ほど安っぽいと評したエンジン音ですが、実は幌を下ろして走ると痛快なイイ音に聞こえるんです。特にヒール&トウで空吹かしを入れたり、高回転からのエンジンブレーキの時なんかは最高で、日付が変わる頃まで残業し、眠気覚ましにオープンで家路を急ぐことは密かな楽しみでした。

このクルマ、乗車定員はもちろん2名。でも、まだ1歳だった子どもを女房が助手席で抱いて3人で買い物に行ったことがあるんですよ。
幌を下ろしたところ、子どもは大喜び。
いくら田舎とは言え危険極まりない行為でしたが、運悪くパトカーと遭遇してしまい、捕まるかと思いきや、警官はこっちを見てニコニコしているだけ。
30年近く前のちょっぴり微笑ましい話です。

ビートは冬にスピンしやすいと巷では言われていたけれど、私は幸い一度も経験なし。
ただ、最新のスタッドレスを履かせても凍結路には弱かった。平地で発進不可能なことが何度かありました。今、思い返してみると空気圧を工夫してみれば良かったのかも。

オートバイのような計器類、ゼブラ柄でセンスの悪いシート、食品は入れられないトランク等々も今となっては懐かしい思い出になりました。そういや、シートの幅が左右で違っていたんじゃないかな?

そんなビートとの生活、案外早くに終止符が打たれます。
大家さんが自分の母親を住まわせたいから、どこか他を探してくれないかと。引越し代その他諸々、悪くない条件でしたので、少し街中に近い一軒家へ引っ越すことにしました。

私の実家に近くなるため親からの援助もあり、住宅ローンを組んでマイホームを購入。
最終バスは22時台まであり、本数も多い。
でも、田舎とは違ってクルマの置き場が狭くなりました。

ああ、また1台体制へと逆戻りです…

平成3(1991)年式トヨタハイラックスサーフ4ドアターボディーゼルSSR-Xワイドボデー(4AT) H4.11〜6.1

2022-10-20 08:31:00 | 日記
今更ながら長い車名に何となくバブルの香りを感じますなぁ。
この写真はメーカーのHPからの借り物ですが、ウチのサーフも同色でした。ただし、スチールホイールが装着されているので、後に追加されたワイドボデーの廉価グレードSSR-Vかと思います。

さて、ベンツ190Dが雪道に弱かった一方でジープJ37は冬に威力を発揮するというコンビだった訳ですが、子どもが生まれたからには女房が冬に安心して乗られるクルマが必要となりました。
父からもらったアコードはあるけれどFFだし、やっぱり4WDのATをと、ベンツの代替えを前提にクルマ選びを始めます。

しかし案の定、国産車ディーラーでは相手にされず、輸入車の中古を扱う店では足元を見られて二束三文にしかなりません。
当時は中古車専門誌が唯一の情報源だったので、それこそ隅から隅まで調べまくった結果、全く同じ190Dを販売している中古車店を見つけたのです。しかも、良さげな4WDの登録済み未使用車が2台あるじゃありませんか!
さっそく190Dで商談に向かったところ、ウチのクルマの方がはるかに程度が良かったこともあり、下取りは最高の条件で決まりました。

いわゆる新古車の2台とは、ハイラックスサーフといすゞビッグホーンイルムシャーSで、ともにターボディーゼルで4速オートマチック。
動力性能ではビッグホーンが上回り、価格も若干安かったけれど、モデル末期だし騒音や振動も気になるレベル、ということでサーフを選びました。

実はこのサーフの移転登録時にちょっとした事件が発生。
自動車取得税は中古車店の要求額どおり預けたのに、未納だと道税事務所から電話があり、しかも、金額が2万円近く違う。

登録業務に不慣れな者が、納税通知書を持ったまま納付せずに帰ってしまったらしいのです。
納税義務者は私。そのままでは滞納者になってしまいます。
これには心底憤りを覚え、中古車店を問い詰めて差額を返金させましたが、中古車の取得税って、いちいち納付証明書なんてもらいませんよね?明らかに詐欺行為ですよね?
だまされているケースがかなりあるんじゃないかと思いました。

さて、そんなこんなでサーフが納車されましたが、マイナーチェンジでEFI化されたとは言え所詮2400ccの2L-TEではアンダーパワー。97psと24.5kgmでは軽々と走る訳がありません。
燃費は一度たりともリッター10キロを超えたことがなく、当時とても安かった軽油に助けられていた感じでした。
その一方、このエンジンの静粛性は大したもので高速道路の巡航は得意科目。実に快適。
オーバーフェンダーと太めのタイヤにリヤのスペアタイヤキャリア、更には高価な純正オプションのフロントグリルガード付きだったので、ルックスは当時の流行最先端。女房は職場の同僚から随分と羨ましがられたそうです。

さて、ハンドリングを話題にするクルマではありませんが、さほどダルな感覚でもなく、取り回しに不自由するほど大柄な車体じゃない割にはけっこう見映えが良かった。
トラックベースとは思えない立派な内外装に十分な居住性。強いて言うなら、リヤドアの長さが短くて乗り降りがしづらいことが短所でしょうか。
たくさん売れた理由が分かるような気がします。

そんなサーフには1年半ほど乗りましたが、まさに人気絶頂のうちに乗り替えることにしたのでした。

昭和59(1984)年式ホンダアコードサルーン1800GXR(4w A.L.B装着車、4AT) H4.9〜5.3

2022-10-08 09:22:00 | 日記
この写真、サンルーフ装着以外は全く同一グレード、塗色のものがメーカーHPにあったので拝借しました。

ウチの父はバイク時代からホンダ車好みだった話は前に書いたとおりです。
私の初代アコードと二代目カリーナGTとを交換した後、父は二代目アコードに乗り替えました。
惜しいことに、CVCCを排したPGM-FI付きエンジンを積んだグレードが追加される少し前でしたが、最高グレード、かつ、当時は画期的だった4w A.L.B装着車。
なのに、いくら北海道とはいえ、オプションだったエアコンは非装着のままでした。結局、翌年すぐに付けましたけどね。

これを大切に8年ほど乗っていたところ大腸ガンが判明、生きてるうちに好きなアウトドア生活がしたいと父が選んだのがデリカスターワゴンの4WDでした。
査定額ゼロのアコードは車検が半年以上残っていたので、私がもらって乗ることに。

新車時に防錆処理を徹底的にやったおかげでサビは皆無。傷や凹みもなく、オドメーターさえ見なければ、機関内外装ともせいぜい2、3年落ち。極上の状態でした。

その頃、わが家はジープJ37、ベンツ190Dという布陣で、ベンツは主に女房が乗っていたので、アコードは私の通勤車となりました。

タダでもらったせいもあるのでしょうが、大きなグラスエリアがもたらす明るく広いキャビンと(他の2台がうるさいからか)圧倒的に振動が小さく静かなエンジン、快適な乗り心地。とにかく国産車って古くなってもすごいと感心したのを覚えています。

4w A.L.B、液晶デジタルメーター、クルーズコントロールは初体験。
ちょうど冬だったので、アンチロックブレーキがザクザクの雪道では制動距離を伸ばしてしまうことを知り、4ATの4速=O.Dを解除するとタコメーターの帯が太くなるのが新鮮で、クルーズコントロールは眠りを誘いかねない代物だと思ったのが記憶に残っています。

このクルマ、見かけより軽量な1トンの車重に110馬力で走りはなかなか。上まで回してやるとホンダ特有の良い音がするんです。
足は柔らかいくせにコーナリングも粘ります。
ただ、燃費は通勤でリッター10キロを超えることはなかったなぁ。
PGM-FIで130馬力を発揮するグレードにも乗ってみたかった。きっと素敵なスポーティーサルーンだったことでしょう。

結局、車検切れまで乗って、117クーペやサバンナRX-3でお世話になった中古車屋さんに廃車手続をお願いしたところ、程度極上だからつぶすのはもったいないとロシア人に売ってくれました。当時は5万円までのクルマは土産品扱いで簡単に持ち帰ることができ、買ったロシア人は大喜びだったそうです。