エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

1983(昭和58)年式ポルシェ911SC(5MT) H9.10〜11.3

2023-04-09 07:57:00 | 日記
このクルマの写真は何枚か撮った記憶がありますが、探しきれてないのでまずは借り物でご容赦を。
私のはクーペだったので手前のモデル。ボディーカラーはガーズレッド…そうです、百恵ちゃんの『プレイバックPart2』に出てくるポルシェは911だと勝手に思い込んでいました。

乗り物好きなら、子どもの頃に小学館の『交通の図鑑』って買ってもらいませんでしたか?未来の空港や港、都市交通の予想図に胸をときめかせたものです。
巻頭からカラーの挿絵、乗り物の歴史、白黒のイラストのページなどが続き、最後の方の現行型の乗り物写真と解説が私の一番好きな部分でした。

書かれてある自動車の馬力と最高速度ばかり気にして、国産ではもちろんトヨタ2000GTが憧れでしたが、外国車のところにフォルクスワーゲンを平たくしたような不恰好なドイツ車が載っていて、車名にポルシェ911Lとありました。「えーと、最高速は?…!」これには驚きましたね、あんな格好でトヨタ2000GTに迫る210km/hとは。
以来、私にとってポルシェ911は謎に満ちた、畏敬すべき存在となったのでした。

中2で再びクルマに目覚め、ドライバー誌で知った、大藪春彦の『東名高速に死す』というカッパノベルスを買ったら、その巻頭に登場するのが2000cc時代のポルシェ911Sだったのです。ちょっとだけホイールベースが延びて機械式燃料噴射装置が付いた1969年式。5ナンバーで乗られた最後の年式です。
既にその頃、911はビッグバンパーでハイバックシート、2700ccのGシリーズへと成長していたのですが、しばらくクルマから遠ざかっていた私は知る由もありません。
小説のとおり左ハンドルでローが左下にあるシフトパターンならば、国産車の助手席からシフトレバーを握ってセカンドに入れる練習をしておけば、役立ちそうだなと本気で考えていたのでした。
後日、左下のローは2200ccの1971年式までと知ることになるのですが。

中学、高校、大学…その後もずっと、『いつかはポルシェ』を心に秘め自分なりに頑張ってきた訳ですが、子どもが小さいうちなら家族4人で乗ることも不可能じゃないかも、と昇進のご褒美に購入を決意。もちろん『男の10年ローン』で。

書籍を読み漁って、ポルシェ911のことは年式ごとの仕様や特徴などを徹底的に頭に叩き込み、満を持しての購入。
予算の関係から84年式以降の3200ccとなったカレラはあきらめるしかなく、73年式以前のナローも難しい。そこで81〜83年式SC、無改造のディーラー車に絞って探すことに。
幸いなことに例月の東京出張があったので、目星をつけた911を確認するチャンスには恵まれています。そしてようやく83年式の最終型SC、しかもスポイラーのないシンプルな個体と出会うことができたのでした。
ボディーカラーはガーズレッドで、まさに自分のイメージしていた『百恵ちゃんのポルシェ』そのもの。本当はあまり目立たない色が良かったんですけどね。

親身になって相談に乗ってくれた小さな専門店を信じて、試乗はおろか現車確認もせずの購入でしたが、程度はまずまずで、排気系が本国仕様になっていた以外はオリジナルのまま。ただ、US仕様と同じシールドビームのヘッドライトはちゃんと後年のカレラ用のものに交換してありました。
高校生の頃、スキー場で見た911がカッコよかったので、冬にも乗ってやろうと冬タイヤのセットも購入。

苫小牧港まで無人車航送してもらい、JRに乗って引き取りに行きました。それまで何度か911を運転するチャンスがあったのに敢えて拒否してきたんですよ、自分のものにしてから運転したいと。

ホイール付きの冬タイヤを4本も積み込んだ狭い車内に乗ってすぐに感じたのは、3リッターの排気量とは信じられないほどの吹け上がりと吹け落ちの速さ!
このSCを含め、空冷フラット6には3台乗りましたが、音も含めたフィーリングが一番良かったのがこのSCでした。
趣味のクルマで大切なのは絶対的な速さじゃないことを教えてくれたと思っています。。

不思議だったのが、180psしかなくてリッター当たり出力わずか60psという低いチューンなのに、実に表情に富んだエンジンだということ。
低いギアで踏めば一気呵成のシャープな吹き上がり。高いギアではディーゼルのような粘りを見せる。街なかは乗らなかったので、燃費もリッター10キロ前後は走ってくれました。

当時の911は高価なオプションでも選ばない限り内装がチープで、材質も国産車の低グレードのレベル。特に、サンバイザーの付け根のビスが錆びていたのにはガッカリしました。これは何年か後に乗ることになったカレラでも同様でしたが。

空調は悪名高いヨーク製コンプレッサーのせいかクーラーの効きが悪かったけど、北海道じゃほとんど気になりません。
それよりもありがたかったのは、始動後すぐに効くヒーター。ほんの数十秒で温風が吹き出してくれ、乗るたびに空冷のありがたみを味わったものです。

最初はわからなかったけれど、私のSCは足回りのセッティングがあまりよろしくなかったらしく、横から見たら少し後ろ下がりでした。大きなエンジンをリヤに載せているんだから当然と思っていましたが、のちに乗ることになった空冷2台は共にちょっとだけ前下がりで、その方が外見上バランスが良く感じました。

峠の上り、タイトコーナー手前まで頑張ってスロットル踏み、フルブレーキングともにフロントに荷重を移動させてシフトダウン。ステアリングを切り込み、すぐにブレーキを解放してやると、SCはスイッと向きを変えてくれます。そしてコーナー出口を向いたらフルスロットル!
リヤをグッと沈み込ませ、快音を奏でながら猛然と加速するSC、まさにスポーツカーを操る快感ここにあり!
ちなみに、タイヤはちゃんと指定のポテンザRE71を履かせていました。サイドウォールの小さな"N0"の文字が誇らしかったです。

のちの2台はSCよりもパワフルなためか、ここまでメリハリをつけた挙動を好まず、もちろんタイム的には速かったんでしょうけど、駆る楽しさはSCが一番だったと懐かしく思い出します。

37歳にしてようやく手にした911。30年越しの恋人としてふさわしい名車でした。
娘が6歳と2歳でまだ小さく、911のリヤシートにぴったりと収まるので、家族4人でロングドライブにも出かけるなどファミリーカーとしても活躍しました。
観光地の駐車場では、後席から降りてくる娘が周りの雰囲気を和やかにしてくれたこと、うれしい思い出です。

ただ、冬にヒートエクスチェンジャーからの温風取入れ口にトラブル発生。漠然とした不安を感じて、車検を半年残して手放すことを決めるに至ります。
幸いなことに、不具合を承知の上で欲しいと言ってくれる買主もすぐに見つかりました。

平成8(1996)年式フォードフェスティバミニワゴンSX Sport(4AT) H9.3〜H11.3

2023-03-07 08:27:00 | 日記
このクルマに乗っていたのは上の娘が幼稚園の頃で、よくドライブしたのに、クルマの写真が全くありません。よほど気持ちに余裕のない日々だったのか。30代半ばで役職をもらったけど、リストラで部下を抜かれて一人二役をこなさなければならない。連日の残業に加え、月に数回の東京出張という、今、思い返してみてもハードな毎日でした。

家族の足として活躍したマーチB♭、軽快な走りとまずまずの経済性で不満の少ない名車でしたが、北海道の冬の凸凹道でボディーがガタガタに。
夏冬ともタイヤが賞味期限切れに近かったこともあり、次の足グルマを探すことにしました。

コンパクトで、ギュッと中身が詰まったクルマが良いと漠然と考えていた時に偶然見かけたのが、このフェスティバミニワゴンだったのです。
友人と一緒に中古のマスタングコブラ、そう、DOHCのV8を積んでマニュアルミッションのみというマッスルカーを冷やかしで見に行った時、そのフォードのお店に展示車として屋内保管、上級グレードのSXに純正オプションが満載のSXスポーツという仕様で電動ガラスサンルーフも付いた登録済み未使用車があったのでした。

マーチが走行距離の割にパッと見では程度が良かったためか、下取り価格は一発で納得の回答。かくしてわが家の足グルマは試乗もせず簡単に決まってしまい、マーチとの寂しい別離となりました。

フェスティバミニワゴンはいかにも長い名前なのでミニワゴンと呼びますが、色はデミオのイメージカラーでもあった鮮やかな緑のメタリック。
サイドシルやフェンダーアーチなどに黒い樹脂製のガードが付いてちょっぴり辛口のイメージなので、ホイールはRSワタナベ風の黒の8本スポークに。6Jのリム幅とオリジナルサイズ175/60-14の組合せとなってバネ下重量を増やさずに横剛性が上がり、ステアリングの初期応答性がグッと向上。パワーステアリングの感触がマーチよりもしっかりしていたことも印象的でした。

ちなみにこのミニワゴン、見かけよりも重たくて約1トンもあるんですよ。ただ、ネット100psを標榜する1500cc16バルブSOHCエンジンはせいぜい85ps程度の感じで高回転でうるさく、燃費もやや期待外れの数字。街中を這ってもリッター10キロを切らない反面、長距離ではあまり伸びずにせいぜい16〜17キロ程度でした。ただ、高速巡航はマーチよりもはるかに安定して楽なクルマだった記憶があります。
峠道でも確実なステアリングと硬めの足回りのおかげでけっこう無理が効き、前車について行けないという情けない思いをすることはありませんでした。

車室は限られたサイズの中で最大限に広く取られ、窓も大きく開放感にあふれており、ガラスサンルーフのシェードを開けると雨の日でも車内は明るく、娘たちは大喜び。特にリヤシートは大きさ、厚みともマーチとはえらい違いで、後ろに人を乗せる時に言い訳する必要がなくなりました。

数少ない、しかし大きな不満はリヤゲートが運転席のオープナーでしか開かないこと。これにはメーカーもすぐに気付いたらしく、間もなく小改良が施されてリヤゲートに開閉ボタンが付きました。ところが、既存のものにポン付けすることはできず、リヤのハッチゲート丸ごとの交換が必要と言われ断念。利便性に欠けたままの2年間となってしまったのは実に惜しかったです。
小さな子どものいる家庭には、ライトバンのようにリヤゲートにハンドルが付くなど、開閉が楽な仕掛けは必須だと痛感した次第。
リモコンキーだけではダメなんですよね。ロックを解除できても、ゲートを開けるには一旦運転席のドアを開けてオープナーを引くという動作が必要なので、買い物を抱えてベビーカーを押していると大変でしょう?

それでもファミリーカーのお手本のようなミニワゴン、2年に渡って活躍してくれました。しかし、子どもが成長するにつれ、わが家でもクルマの複数所有が経済的に厳しくなってきました。さて、どうしたら良いものか…

1991(平成3)年式アウディ90クワトロ20V(5MT) H7.9〜H9.9

2023-02-25 10:36:00 | 日記
コレは、新車発表時からとても欲しいクルマでした。
そのきっかけは、昭和63(1988)年の1月か2月に支笏湖畔で開かれた80クワトロの試乗会。前年に日本へ導入されたアウディ80(B3)に待望の四駆が追加されたのです。
当時、ラリーで抜群の強さを発揮していたアウディ・クワトロ(通称:ビッグクワトロ)はヤナセにより正規輸入されていましたが、なにぶん超高価。
そのクワトロの名を冠した4ドアセダン、しかも左ハンドルのマニュアル車のみという潔い仕様が導入され、真価を確かめるために冬の北海道が試乗地として選ばれた訳です。
私もたまに頼まれては雑誌に寄稿する身でしたが、友人のモータージャーナリストから誘われてオブザーバー参加と相成りました。

試乗会2日目の早朝、千歳のホテルの駐車場で80クワトロとご対面し、支笏湖へと向かいましたが、試乗車が少ないんですよね。それは、1日目に某有名ジャーナリスト氏連中が凍結路で"自爆"したためと後に知りました。確か7台中3台とか、かなりの事故率だったはず。

履かせてあったタイヤを見ると、何と全車、西独コンチネンタル製のスタッドレスでした。しかも後年改良されてスパイク穴が開けられ末尾にEが付く前の型番だったことが、忘れられません。
西独の寒さと路面にマッチしたとしても、それが北海道で通用するとは限らず、走り出してみたら滑る滑る滑る!アスファルトが出ている路面ではしっかりした手応えだったものが、圧雪や凍結路に入った途端にツルツルでした。
この頃、私のアルファスッドにはポテンザの競技用スタッドレスを履かせていたけれど、坂道発進を含め、困ったことはほとんどなかったです。

アウディのしっかりとした造りとキチッと回るエンジン、風切り音の小さなことに感心しつつ、ハラハラドキドキの試乗を終え、ヤナセ本社幹部の方から感想を聞かれましたが、クルマそのものよりもタイヤ選びの重要性を語ったことを覚えています。
そのお礼にという訳じゃないでしょうが、次にその方が友人ジャーナリストと私に提供してくれたのがG300D。そうです、あのゲレンデヴァーゲンの最初期型。ショートボディーで5ナンバーだった気がしますが、間違っていたらごめんなさい。W123と共用の3リッター5気筒NAディーゼル、マニュアル4速でドアウィンドウが手動といった原始的な一台に感動したものでした。乗ってみたら音と振動がひどくて驚きましたがね(笑)

この辺でようやく本題の90クワトロ20Vに戻ります。
試乗会では雪道以外で上質な走りを披露したものの、もう少しパワーが欲しいと贅沢な悩みを与えてくれた80クワトロでしたが、2年ほどして2.3リッターの5気筒、しかも4バルブDOHCを載せて90クワトロ20Vが発売され、これは理想的な一台になるはずだと確信。もちろん新車など無理なので、いつかは90クワトロと狙っていたのでした。

そして5年の月日が流れ、中古車情報誌に何とか買えそうな90クワトロを発見。東京の下町の小さなクルマ屋、91年式で忘れもしない168万円でした。
女房には足グルマのマーチを買ったから、大食漢レガシィツーリングワゴンGTを処分したら何とかなるってな訳で、1年半乗ったレガシィを買取店へ。さすが大人気車種だけあって、90クワトロを買っても70万円以上のお釣りが来ました。

90クワトロは、懐に現金を忍ばせ飛行機に乗って取りに行ったんですよ。とてもフレンドリーなお店で、ルートの地図を描いてくれたり簡単なレクチャーを受けて、首都高〜外環道〜関越道と走り、新潟からはフェリーで北海道へ。

関越道ではレガシィに劣らない高速安定性と、80psも下回る170psとは信じられない加速力を示しました。それに、各ギアで思い切り引っ張った時の"ララララー"とでも表現したら良いのか、とにかく独特な5気筒サウンドが心地良かったです。4速でアクセルを全開にすると吸気系の共鳴なのか、かすかに「キーン」とターボのような音がするのが特に気に入って、必要のない加減速を繰り返してましたなぁ(笑)
チルトするサンルーフは初めてだったので高級車気分が味わえたし、quattroの文字が斜めに織り込まれた生地のスポーツシート、オレンジ色のメーター照明やコンソールの補助メーターが何とも洒落た感じで、忘れられないクルージングとなりました。

この90クワトロ、ヤナセのフロントが「当たり」と太鼓判を押してくれた割に、"フルコースの"車検で40万円も掛かるなど驚くこともありましたが、燃費はレガシィの1.5倍は軽く走ってくれ、夏場は街中でリッター9キロ、高速をけっこうなペースで飛ばしてもリッター13キロくらい。台数が少ないためかクルマ仲間にはけっこうウケの良いクルマでしたね。

操縦性を云々できるほどの記憶はないけれど、少しでもハイギアード化したくて、タイヤサイズを標準の205/50-15から195/60-15にしてみたら、シャキッとしたハンドリングがいきなりグニャっとなってガッカリしたことだけははっきりと覚えています。

夏も冬も悪天候でも安心して走れる万能車として、通勤の足にも大活躍の2年間。非常時に使用するデフロックのお世話になったことは一度だけありました。ただファミリーカーの視点で見ると、リヤシートとトランクルームは小さめだったな。

さて、こんな私でしたが仕事にも打ち込み、気付いたら30代半ばとなっていました。昇格した自分へのお祝いに、むかし夢見たアレを買っちゃおうか、なんて…

平成6(1994)年式日産マーチ1.0B♭5ドア(CVT) H7.7〜H9.3

2023-02-02 09:53:00 | 日記
例によって写真が見つからず、画像を検索してみましたが、二代目マーチの写真って意外に少ないですね。ウチのは赤だったんですが、赤の写真は3ドアばかりでした。B♭はブロンズガラスだし、マイナーチェンジで13インチタイヤになった後だったので、この写真とはイメージがけっこう違います。

さて、ゴルフⅡGTI 16Vはわずか3か月あまりで買い戻され、女房がレガシィに乗ると私のクルマはありません。
ちょうど2人目の子どもが生まれたタイミングで、通院等のため"燃費の良い"足グルマが欲しいということになり、『弟子』に相談しました。そして勧められたのが、このマーチ。
出始めたばかりのCVTに興味があったし、1000の最上級グレードにもかかわらず年式の割に過走行気味のため格安だったこともあって、すぐに購入を決めました。

乗って気付いたのは、パワーウィンドウのないのは我慢できても、子ども連れだとドアロックが手動なのはとても不便ということ。当時流行のリモコンキットをDIYでさっそく取り付け、ステアリングも手持ちのMOMOに交換。運転席エアバッグが標準となる寸前のバージョンだったので、とても簡単でした。
クルマ好きの営業マンの愛車だけあって、オーディオはかなり上質な物が付いていたし、メーターは1300の上位グレード用のタコメーター付きにそっくり交換されていました。

当時、1000ccでATというとキビキビ走らなかったイメージが強いと思いますが、常用速度域では痛痒を覚えることはなかったですし、高速でもスピードに乗ってしまえば意外と静かで快適。ただ、スロットルを深く踏み込んだ時はエンジンだけが空回りしているように感じましたね。
もちろん燃費はどんな状況でもレガシィの倍以上走ってくれたので、安心して女房に預けることができました。街中だけでもリッター13キロ、郊外路と合わせて18から20くらい走ってくれたと思います。

標準の夏タイヤが減ってきたのでクルマ仲間からもらった175/65R13のポテンザRE71を履かせたら、盛大なロードノイズと引き換えに強大なグリップを得て、峠の下りでは驚くほどの速さ。ステアリングの手応えもしっかりして、頼もしい一面を見せてくれました。

足車として理想に近い働きをしてくれたマーチでしたが、残念だったのは弱いボディー。私の住むマチは坂が多いのが有名で、冬になると猛烈な凸凹路面が出現します。
上りで停まると再発進は不可能なので、アクセルを戻さずに強行突破せざるを得ないのです。
そのようにしてふた冬を越したマーチのボディーはユルユルな感じにヤレてしまい、女房は「壊れそうで怖い」と言い出す始末でした。
そして、ちょうど車検が切れるタイミングで気になるクルマを偶然見つけてしまったんです。
大きな開口部をもつサンルーフ、小さなボディーに余裕の1500cc。登録済未使用車なので納車待ちもなし。
ということで、次の足が決まりました。

1988(昭和63)年式フォルクスワーゲンゴルフGTI16V4ドア(5MT) H7.3〜5

2022-12-19 08:16:00 | 日記
写真は87年式以前のフロントドアに三角窓がある前期モデルで、しかもグレードはGTDですが、最も雰囲気が近い感じなので借りました。
ゴルフⅡは最終のビッグバンパー付きになると、雰囲気が全く違ってしまうのでね。

自惚れて言えば、私にはクルマ業界に『弟子』が数名います。
その中の一人が手放したいと相談してきて、譲り受けたのがゴルフⅡのGTI 16バルブ。
元々、某メーカーに就職が決まった時に私の紹介でヤナセから買ったものが、某メーカー車に乗らなきゃならなくなって泣きついてきた訳です。

つい数年前までゴルフⅡのシンクロに乗っていたこともあり、気安く引き受けた次第。
GTI、それも16バルブと言えばシンクロとは桁違いのパワーとレスポンス、と言いたいところが、フルスケール260km/hのスピードメーターはハッタリなのか全然大したことのないクルマでした。ただし、本国仕様の評価は非常に高かったようなので、そっちに乗ってみたかったですね。

ただ、ベーシックなゴルフがほとんど2台買えるほど高価なクルマだけあって、簡単なオンボードコンピューターやスポーツシートなど装備は豪華でしたし、けっこうローギアードな割には燃費が非常に良く、市街地オンリーでリッター10キロ前後、郊外路では早めのペースでもリッター16から17キロも走ってくれて、その部分だけはシンクロより上でした。

そして、足回りはビルシュタインのファーベルクキットで少しだけ低めに仕上げられ、7J-15のアルミに195/50R15のハイグリップタイヤを履かせてあったので、当時としてはかなりカッコ良かったです。ハンドリングはノーマルのGTIを知らないので多くを語れませんが、アンダーが強くなく、峠では自在に振り回すことが可能でした。
ツインになったマフラーのテールパイプは一見それっぽく外向きだったけれど、私のところへ来た時はタイコの中身が逝ってしまっていて、ガラガラと鳴ってましたな。

結局、また悪い虫が騒ぎ始め、完璧なGTIに仕上げようとヤナセの先輩を頼りに工場入りを繰り返して、気付けばかなりの出費に。
しかしながら、高回転のエンジン回り具合などなかなか満足のいく仕上りにはならず悶々としていたところ、何と、弟子が「ゴルフ欲しい人を見つけたから買い戻したい」と。
引き取ってから補修に掛かった費用を車両代に上乗せして支払ってもらい、わずか3か月余りでゴルフⅡGTI 16Vはわが家を去っていったのでした。