不慣れなため下書きを保存し損ねてしまい、かなり凹みました。気を取り直してもう一度書きましょうか。
シビックの試乗は寒い秋雨の日。Nならば2速の坂をシビックは3速で楽々と登ります。そしてヒーター。暑いほど効くことに驚き、家族全員が気に入りました。試乗車は深い赤色の2ドアハイデラックスでした。
結局、納車が間に合わず父の転勤先へはこの試乗車で向かい、3ドアGLは後日、吹雪の早朝に運ばれて来たのを覚えています。
小6途中での転校はうれしくなかったけど、翌年は中1へ進級。当時、羽振りの良い漁師さんが多いマチだったので、フォードムスタング、コスモスポーツやフェアレディZ、しかも240ZGまで走っていました。
ウチのシビックもまだ珍しかったので、スタンドや洗車場では人気者でしたよ。
ただ、ホンダの初期ロットらしくトラブルは多かったようで、3時間ほどの距離にあった『ホンダSF』に何度も入院していました。
父は相変わらず怖い存在でしたが、ドライブには本当によく連れて行ってくれ、行く先では大体決まってラーメンを食べました。
このシビック、加速時に聞こえるクーッというギアノイズまで大好きでした。
そんな中1の冬に起きた大事件がオイルショックで、クルマの新車価格はもちろんのこと、物価が急上昇。
リッター60円くらいだったガソリンがいきなり100円になり、スタンドが日曜定休とか給油1回につき20リッターまでなどの制約があったはずです。
中2で故郷へ戻り、本屋へ行った私は、一冊の薄い雑誌を手に取りました。それは、八重洲出版の『ドライバー』で、月2回発行とは知らず単に220円で安かったから。
その後、自宅購入を機にシビックを手放すという憂き目にあった父の目を盗み、買っては隠れて読み続け、そのうちモーターファンも買い始め、たまにモーターマガジンも買うなどお小遣いは全て雑誌へと消える日々を送りました。
中3の年には昭和50年排ガス規制がスタートして、国産車は受難の時代を迎えますが、私の中では昭和58(1983)年のドアミラー解禁あたりまで続いたように思います。
発売直後のシビックCVCCに試乗した父がボソッと、「吹けが悪いなぁ」と残念そうに呟いてたっけ。
さすがに高校生になってからは、隠れて読むことはなくなり、生意気にも新車の発表展示会へ足繁く通ったものの、何かしら文句を言われるのがイヤで、家庭内でクルマの話題はほとんどなし。
ただ、中古車を買う話が出た時には、絶対に未対策のツインキャブにしてね、と言いました。そして、TA20系のカリーナ1600STがやってきたのです。2T-Bエンジンはハイオク仕様でした。そういや、カリーナの前にちょっとだけ乗った大古車のカローラ1200ハイデラックスの3K-Dもシングルキャブながら高圧縮比のハイオク仕様でした。
一応、息子の願いを聞き入れる耳はあったんですな…