♪楽・楽・楽♪

楽しいことに囲まれて、頑張りすぎず楽に考える、そしていつでも音楽の流れる人生を・・・

この世で一番好きなのは・・・♪

2007-05-29 | 好きなもの色々・・・U・ェ・U
こっの世でいっちばん好きなのは~
       お料理すること、食べること
ぼっくらの名前は、ぐりとぐら


と、いうわけでお約束通り(自分との)先ほど美術館までお散歩してきました!

『ぐりとぐらとなかまたち 山脇百合子絵本原画展』

行きたくて行きたくて、なかなか行けなくて
気がついたら今週で終わりじゃないかと焦って行ってきましたよー。

うにゃぁ~、しあわせだったぁ


懐かしいことこの上なし。
ぐりとぐら、そらいろのたね、いやいやえん、おひさまはらっぱ、たからさがし・・・
何回読んだか分からない。大好きな絵本たち。
ぐりとぐらかるたも家にあったなぁ。お気に入りの絵札は覚えているもの。

大人になってから読み返す絵本はまた違う味があるね。奥深さを感じます。
子供のころの記憶に対してこんなにも鮮烈に印象を残せる物語と挿し絵がコラボレートしちゃうなんて!絵本ってなんて贅沢なんだろう
物語があっての絵本ではあるけれど、山脇さんの挿絵のあの柔らかい色彩と、子供や動物のシンプルな表情が物語の面白さを更に引き出しちゃってるんだよ。
ぐりとぐらしか出てこない時の周りの世界の大きさと、ほかの動物や子供たちが出てきたときの世界の小ささっていうのかな?が細かく表現されていたんだってことも今日気づいた。

あと、これくらいの年代になった時に
いつもかっこつけてるお兄ちゃんとも、世の中自分がすべてよなお姉ちゃんとも
「あー、ぐりとぐら読んだことある、なつかしぃ!」
「おれ、このカステラ食いたかったんだよね~」
とかいう会話が一瞬でも成り立っちゃうのが面白い。
やっぱりあの赤い帽子と青い帽子、フライパンで作ったふわふわカステラは
いろんな人に大きな印象を残してるんだなー。
絵本の中の食べ物って憧れだー。


自分の子供にも読み聞かせてあげたいね。
あまりにもかわいすぎて好きすぎて嬉しすぎて、原画集まで買っちゃった
「林明子絵本原画展」(「とんことり」とか「こんとあき」とか「あさえとちいさいいもうと」とかの絵描いてる人分かる人いる?)なんかが開かれたら、間違いなく売店買い占めるな(笑)

うちに帰ったら「いやいやえん」と「おひさまはらっぱ」を探してみよう、そうしよう

『ネガティブのすすめ』

2007-05-29 | つんどく本 〆(.. )
だーかーらー

別に病んでるわけじゃないってば!!


本屋に行ったらこんな本を見つけたんです。
『ネガティブのすすめ~ポジティブ思考にうんざりしているあなたへ』

ポジティブ研究中の身としては、反証データも必要!
ってことで即購入。よく見たら初版発行当日の超新刊でした。




「見て見て~、面白そうな本見つけたの~

って次の日、みんなに見せたら・・・絶句

「今のメアリーは読まないほうがいい。。」「暗いよ?」「だいじょぶ?」

って・・・



だいじょぶだよ!!!別に暗い本じゃないもん。



正直、自己啓発本系は好きじゃありません。
なんだかこうすれば明るくなれるとか当たり前の事がつらつら並んでて
そんな当たり前の切り替え方がうまくいかないから悩んでるんじゃないか!
って思っちゃう。

本日、この本は一気に読み終えてしまったのですが、
まぁこれも似たような感じではありました。
納得は可能であるが、納得がいかない、という読後感。

簡単に言うと
ネガティブな考え方しか出来ない人は、ポジティブになろうとしても出来ないし
世の中の楽観主義者に憤りさえ感じるものだ、と。
でもムリにポジティブに生きようなんて思うことはない、と。
ポジティブには落とし穴がいっぱいあるんだ、と。
ネガティブが生む用心深さや集中はいいものも生むんだ、と。
だからネガティブになることに引け目をかんじちゃいかんよ、と。

まぁここまではいい。
ポジティブ=楽観主義と考えてる点だけ気になるけど。

その後、
ネガティブな考え方に陥っても、そこで諦めてしまわないで
それをばねに乗り越えればいいんだよ、的な締め。

うーん、、、言ってることは正しいんだけど
それって、ネガティブのすすめじゃなくないか?
つまりはそのー、本の題名に偽りありな気がするんだよ。
本屋で見てパッと目を引くタイトルやキャッチをつけるのは大事だけど
中身と相まっていなければねぇ。

要するにポジティブもネガティブも過剰はよろしくない。
ポジティブになりすぎて驕らず、ネガティブになりすぎて凹まず
イツモシズカニワラッテイル・・・じゃないけど~
心のクセを軌道修正していこう、というお話。

たしかに世の中には「ポジティブは善、ネガティブは悪」みたいな考え方が
流通してるけど、必ずしもそういうわけじゃないと思うんだよ。
だってどっちの感情も誰もが持っているわけだし。
自分の感情との付き合い方は人それぞれだからね。

この本にもあったけど
「もうイヤだ、死んでしまいたい」と思い始めたら
自分の大事な人が、そう自分に言ってきたらどう思うかを考えてみるとか
「もし失敗したらどうしよう」と不安になったときに
(それまで怠けていないんだったら)一度くらいの失敗は自分のためと考え直すとか
ちょっとした修正で救われる人っていると思うんだな。


ポジでもネガでも現実逃避はだめ、現実を見つめろ!って言う人もいるけど
私は、その現実逃避がその後の現実に繋がるものであれば
現実逃避も良いと思うのだ。


悩みは1人で抱えるな、誰かに話せ!って言う人もいるけど
そうばかりもいかないんじゃないのかな、って私は思うのだ。
最後の決断は自分でするって決めておかないと、グチは毛糸玉みたく膨らんで
人を傷つけたり、廻りまわって自分を傷つける結果になることもある。
人に話してすっきりしたーで終わりじゃなくて、言葉には責任持たないといけないんじゃないかな、って感じるの。

経験上、私は人に相談をされて不愉快になったこともあれば幸せになったこともある。
前者は、やっぱりグチと相手の非難だけ。自分は変わろうとしていないことが分かる相談。右から左に流したい、こっちの意見は聞いてもらえない、そういうの。

後者は、どうにかして現状を良くしようっていう気持ちが伝わってきたから、こちらも親身になって相手の幸せを応援しようと思えたし、結果的に笑顔になってくれたときには心の底から嬉しくなった。大事な人に喜んでもらえることほど嬉しいものはないって思った。

何を言いたいかというと、人とコミュニケートすることによって人は変われる。
でもってやり方によっては、人の気持ちを良くも悪くも変えちゃえる。
で、それはポジがいいとかネガがいいとか、
こうすればうまくいくとかああするとダメだとか
そんな一言では言えないんじゃないのかな、と思うのだ。

まとめると「人間ってむつかしい」これに尽きる(笑)


いいのかなぁ、仮にも心理学やってる人間がこんなこと言って

研究のテーマと並行して、こんな人生悩んでるんですか?みたいなことを良く考えたりするんですが、答えのない問いとネガティブ・スパイラルって似てる気がするね。もちろん問いなくして答えは出ないけど。
客観的に見て、こんなこと考えてるのはネクラかな・・・

ぅわー、これじゃ病んでるとしか思われない。。。

あしたは美術館にでも行こうっと♪ビバ現実逃避