世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

インフラの階段

2017-11-18 | 国々の正義・・・

 📌

 世界には発展途上の国が多くある。

 国の経済活動を促す第一歩は、物流のインフラ整備であろう。

道路、橋、鉄道、港湾、空港、電源などが整わなければ

人も物も動けない。

それらが必要最小限度に揃うには、巨額の資金を要し、

建設計画はゆっくりしか進まない。

国作りにはとても時間がかかる。

順調にその計画が成っても、

それらは社会構築のほんの入り口に過ぎない。

世界に国風をアピールするには、何段階もの社会整備が必要だ。

 

かつて途上国を訪ねたおり、

幾つかの国の人々に言われたことがある。

日本は100年で経済大国になった、

大いに勇気づけられるという趣旨だ。

目標にしてもらうのはかまわないが、

内心それは大分に要素が違うよと、思ったものだ。

前提となる条件が抜け落ちているからだ。

 その時点で、私が知り得た途上国、特にアフリカ諸国の一般の人々は、

計画とか効率とか、ものごとの流れ全体を察知する習慣を

学習していないようにみえた。

そうしたことを必要とする環境で過ごして来てないと思う。

 彼らが言う日本の’100年発展’以前の数百年間の日本は、

封建社会であったはいえ、

独自の高度な社会構造をつくりあげている。

計画すること、具体化することの豊富な経験、

必要な技術の習得、経済や流通についての実績、文化力、

さらに教える、教わるという機会がすでに充分整っていたし、

つらなって社会的な一体感も醸成されていた。

過酷な階層の実態も経験している。

社会開発に必要なほとんどの条件を持っていた。

 

明治維新時代も、

焼け野原で大半の産業が機能不全状態であった大戦後も、

ゼロから再スタートしたと外国から見えたかも知れない。

だが、目には見えないもの、

社会建設に必要なものは持っていたのである。

根強い社会意識、教育水準、技術向上心などを尊ぶ気質である。

 

橋や道路や港湾など初期インフラの段階を、

一戸建てに例えるなら、どうにか家までの道路を作り、

安普請か堅牢かを問わず家を建てたとして、

それは雨露を凌ぐだけの初期的な条件を用意しただけだ。

 

📌

生活を充実させるには、

その何倍もの工夫と費用と時間が必要である。

玄関と居間の体裁を整えても、

家の内外に成すべきことはたくさんある。

家の外を整備しなければならないし、美しさも求められる。

日常生活の必需品や生活道具を揃え、

上水道、下水道、エネルギーも充足されて、

ゴミ処理や衛生対策など、安心できる環境を進めることが求められる。

住む町には公園や公共施設が充実して欲しい。

 

家の中では家族の穏やかに団らん出来る場所、食事も充実させたい。

生活の質向上を望むには、もっと資金や時間の積み重ねが必要になる。

その過程で日常的な作法が洗練され、ようやく、

家族の穏やかさや精神的な豊かさが満ちてくるのだろう。

そこまで至るには遥かな生活時間の積層が必要となってくる。

ローマは一日にして成らずである。

 

運輸手段やエネルギーなどの物理的、工業的インフラ整備は、

社会構築のほんの端緒でしかない。

その段階では、社会は未熟な赤子に過ぎない。

社会は、目的や使命や利害が絡み合った構造で成り立っている。

各層の軋轢を軽減し、全体として進化するには、

長い発酵期間が必要である。

1枚づつ布を重ねて、重厚な布に仕上げるように、

社会全体の点検や改善をし続けないと進化が鈍る。

そうして、

ようやく経済的、文化的な作法の整った社会の姿が見えてくる。

 

敷衍すれば、社会の成熟度が高まり文化の創出に至るには、

何十段階もの社会的な試行錯誤の歴史が要ることが見えてくる。

社会の成熟は、ハードとソフトの両面の積層で成し遂げられていく。

それはバランス良く積み重ね続けなければならない。

積み重ねを怠ると、

いわば加水分解が起きるようにその積層がみるみる劣化していく。

どの国にあっても社会開発には停滞がない。荒廃か、進化か。

 

📌

文化の形成の一つに異文化の消化力があるだろう。

それを培うには学問の蓄積が要る。

弱者救済の社会的公平と質量のあり様は、

その社会の成熟度と比例する。

ごみ処理能力はその国の先進レベルの物差しになる。

弱者救済のレベルでその社会の成熟度が計れる。

制度の目標と実態の乖離こそ、概ねその社会の実像である。

教育の成果を社会が得るには100年の醸成が必要である。

その成果は容易なことでは剥がれない。

異文化の消化力も文化形成の要素であって、

その消化力を培うには学問力の蓄積が要る。

経済力の獲得と豊かな精神性は必ずしも同居しない。

 
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世界は仮面を被っている・・

2017-07-21 | 国々の正義・・・

📌

世界は、戒めを忘れてしまうことで成り立っている。

パンドラの箱の神話が生まれた何千年前から、

人々はひたすら希望に未来を託しているが、

幾多の欺瞞と悪徳と暴力に溢れた世界から解放されたことがない。

 

📌

人々の口から何万回も平和が叫ばれただろう。

争いを目前にして、一番簡単な対応は平和を口にすることだ。

だが、絶え間ない紛争と殺戮が易々とその口を覆ってしまう。

どうやれば実現できるかの問いに対して、人類は何千年も答えに窮している。

 

平和という言葉には、その為に戦うという自己矛盾が隠されている。

平和の実現を叫びながら、

その方策は大概、脅迫と暴力が正義に転化されている。

平和は出口が見つからない迷路で、その知恵が狼狽している。

 

歴史家とか評論家の論述で解明されても、

ある社会とある社会の摩擦がこの後の世紀でも減るとは思えない。

正義が一元的でないからだ。

人間たちの愛は、殺戮的な排他の衝動に負け続けている。

 

📌

ある日、少年は図書室で処刑された女性の写真を見てしまった。

アヘン戦争かアロー戦争時と思われる中国大陸で撮られた古い写真だった。

捕らえられた女性の全裸体がXに組んだ木に張り付けられており、

その乳房は両方ともえぐられていた。

人間の人間に対する残虐さを初めて知って、彼の心身は硬直した。

 戦争行為は背景を背負って始まり、噴き出し、残酷に限りが無い。

どの時代にあってもどの地域を巡っても、大虐殺が起きている。

殺戮の正義があちこちに転がっていて、

その主役たちが歴史上の人物になってしまう。

自らの正義を宣って殺して殺して、自らは天寿を全うする者もいる。

報道されない殺戮が、山ほど歴史に潜んでいるに違いない、

地表は大量死の積層である。

生き物のなかで人間はそれほど安価なのだろう。

 

📌

文明はなんと多くの殺し方を発明してきたか。

効率的な殺人兵器が開発され、地球全域に売り渡されている。

しかも、高い利益の産業として社会の正面に存在している

 

戦いの場面では、まさに暴力が主役となる。

理性がそれを嫌悪しても、暴力の発揮を強制される。

戦争とは、暴力の総合戦である。

属する社会に公認された殺戮ほど、無慈悲なものはない。

兵士も装備も暴力の優位を保つために駆使される。

 

指揮官は、その残虐や破壊を、作戦または戦略と言い換える。

無数の残虐が発生して、人間が破壊されて、いずれ終局する。

誰も免罪されるはずもないのに、残虐に優れた側が勝者と呼ばれ、

新たな支配が生まれ、愛と理性の人間の姿にすり替わる。

 

様々な弁明が用意されるが、戦略的な残虐さは常に優位を占める。

最も大きな罪は、支配を企んで戦闘を仕掛けた側にある。

なぜなら、人に潜在する残虐さを誘発してしまうからだ。

オセロゲームより甚だしく,人の価値の罠は入れ替わる

死刑囚が死刑執行人になり,さらにそれが逆にもなる

 

📌

戦場に限らず、状況優位を得た人間たちの恐ろしさ,

深奥に隠し持つ悪が露出してとても不気味である。

人間には残虐を計画的に行う残虐さがある。

屍が山のように積み上げられ、腐臭とともに埋められている。

人間は何回も何回も繰り返している、今も地球のどこかで。

 人間が作る地獄的な場面がどういうものであるかを、具体的に知りたければ、

フランクルの「夜と霧」にある。

これに劣らず人間のサディズムは、中国の文化大革命にも容易く現れている。

人は、保身の口実があれば、こうも簡単に変心するものか。

テロ集団の、殺戮だけを目的にした無差別な攻撃。

そこに生まれる加害と被害との底知れない隔たりには、言葉を失う。

人間の変貌は、加害者の方に顕著に顕れ、餌食になるものは全く無力である。

人類の歴史に繰り返し起きている事だ。

 

📌

兵士も市民も戦争の死に様は、ただ無残である。

手足は千切れ、顔に鉈を打ち込まれたような惨たらしさは、

攻撃した人間の恐怖に比例している、

もしくは残酷さにとりつかれた者の瞬間が読める。

狂気と理性は全く触れ合わない。

その無残を知っていても、戦争を仕掛ける。

限りない不安と憤怒の混沌から、この後も何百年も抜け出せない。

戦争が愚かな結末を迎える事を知っていても、人は戦争に挑む。

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異国との駆け引き

2017-07-13 | 国々の正義・・・

📌

元来、日本人はいわば性善説で育つ。それは悪いことではない。

警戒するより信頼することに比重をおいている。

だから、世界も善意と信頼と向上心で貫かれていると信じてしまう。

こうすれば、こう応えてくれる、こう作れば、こう使ってくれる、

決まりだから、守ってくれると決め込んでいる。

 

だが、世界に渦巻く動機はずっと複雑である。

誰しも手前勝手である。

世界中のそれぞれに正義があって、他の正義には不理解である。

交流には、信頼と同じ度合いで不信が潜在している。

世界の人々の大半は、何事にも悪の存在と悪の発生を予知している。

だからその抑制や排除を明快にした社会を築こうとする。

曖昧さを嫌う意識が強いのである。

 

世界の動機は、理念より実利である。安全も実利である。

安全は相対関係にあり、変容のリスクが潜在している。

主張される理念は、実利の飾りに貶められている。

実利を生むのは観念ではなく、実働的な方策である。

だが、一方の正義が完勝するとすれば、もう一方に憤怒が蓄えられる。

交流の葛藤を避けるには、やはり双方の妥協しかない。

妥協は限定的な信頼であって、実利の葛藤が霧消することではない。

主軸は、信頼より警戒なのである。

 

📌

外国ではなく異国である。

外国という響きは、地理的な表現であって、

異なる歴史や価値観を有している国であることを覚らせないような

語感になっている。

社会の違いを薄めて理解してしまう暗示作用があるように思えて

ならない。 

異国とは、歴史も風土も培われた文化も明らかに異なった社会である。

多くの共通点もあるが、物の見方や価値観が横並びではない。

風土や教育の環境でしみ込んだ発想や行動基準が深く

潜在している。

彼らにとっては、日本人も理解しにくい異国人である。

違っていることや共感できないことを知ることが、

理解の本質である。

インターネットの時代でも、会話に不自由しなくても、

そのことは変わらない。

 決して謙虚さから始まってはならない。

📌

世界の実像は弱肉強食である。

何を置いても論点の意義と原則が鮮明でなければならない。

たとえ、それが情勢不利な場面でも受け身になってはいけない。

利益確保または失点軽減を明快に主張する場であり、

交渉決裂も想定外であってはならない。

転んでも決してただでは起きない、相手の弱点や失点もを突く

必要がある。

国同士の交渉も平たくいえばヤクザな駈け引きと理解すべしだ。

試合巧者は、あざといジャブを出して此方の出方を窺う。

此方がたじろぐか、フェイントで躱すか、強く反撃してくるかを

見極めてくるのだ。

礼儀も誠意も出番はない。

戦術、体力、決着の条件などを読み取ろうとするのである。

かつて日本軍の暗号が殆ど解読されていたような事があっては

成らない。

📌

交渉術も、起承転結スタイルが良い。

起は、想起する目的の端的な表明

承は、提案の具体的内容と相互の利益、権利義務の提示

転は、先方の背景や状況を考慮したヒントの提案

結は、妥協点の整理、目的に適うかの点検 

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