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日本に対しては1000年恨と宣った韓国大統領がいた。
植民地時代の歴史的屈辱を反芻するからだ。
歴史が変わり、70年弱のその後の外交の経過が積み重なっても、
依然として、韓国の対日外交、舌戦にその事が前面に強調される。
内政でも執拗に反日偏重宣伝が続いているから、
過激な反日行動が肯定される社会が出来上がっている。
反日無罪である。
集団催眠状態であって、しかも扇動者は常に為政者である。
まるで鬼畜米英と喧伝した80年前の日本社会みたいである。
朝鮮社会に見られる生来の過剰表現や硬直化が、政権によって乱発されて止まない。
何事であっても偏重が生み出す成果は破綻につながる。
今や、謝罪も、賠償も、国際法も、2国間合意もないが如しである。
彼らは時に受け入れて、別の時に蒸し返す。再び合意してもまた蒸し返す。
その経過と内容を彼ら歴代大統領は国民に詳らかにしていないようだ。
両国の国民の感情はその偏重に揺さぶられ、悪い方向に不安定になっていっている。
どの歴史に対しても、どの国の植民地支配にも完全な償いなどはないだろう。
国同士の関係は政治的な手法で和らげるしか表立った方策はない。
国民感情に区切りはなくても、外交は区切りを見つけられるはずだ。
いずれの國際関係も、どこかに現実的な結び目を見つけて成り立っている。
だが、彼の国の為政者たちは休まず、反日プロパガンダを劇場化させてしまう。
煽った国民感情を背にして、外交の積層を容易く反故にしてしまう。
蒙昧とした日本憎しに取り憑かれているとしか見えない。
それが内政上も外交上も得策だと思ってるなら、それは悪手である。
日本は、韓国との外交上の取り決めが、何の前進にもならないことに呆れるしかない。
交渉が将来を担保しないという教訓を韓国から得ただけだ。
翻って、それは日本人の韓国観の見直しや嫌韓が遍く日本列島に浸透したかのようだ。
この数年に顕著な反日攻勢は、日本人の韓国観が新時代を迎えたように思う。
皮肉にも、これはパク・ウネ元大統領、文大統領らの功績である。
隣国とは友好、平和をと言い続ける人たちはいる。日本政府の反駁を悪手という人もいる。
永遠に謝り続けろと言う人もいる。
歴史から解放されないことは確かだ。だが、高みの見物、きれいな発言で現実は動かない。
どの国であっても、政府が煽るなら国民感情は容易に集団ヒステリーを起こす。
そうなれば、政治、外交のいずれの方策も狭まる。
政治家はアジテーターで終わってはいけない。
事象をアジることは、誰にでもできる。政治家がやることではない。
韓国との外交が不毛であることを日本社会は知るばかりである。
いいだろう、ならば1000年待とうではないか、と言いたくなる。
いやその時になれば、彼の国の政治家は2000年恨だとまた煽るのだろうか。
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