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世の関心の渦中に手を突っ込むことで、シタリとどや顔の人がいる。
公に発言する機会を得ている人が、酔ったように目立つ言葉を発する。
これからあれへと刺激的に手を突っ込んで、どこかで破綻している。
いったい何を言いたいんだ。もっと分かりやすく。
政局いじり、話題いじりで論評好みの人物になり果てていないか。
果たして、世に何を知らせんとしているのか。
社会全般に訴求する論理性が見えない。
詰まるところ、社会の裾野を動かしてるのは彼らではない。
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一人立場の強い人間がいると、
周りの取り巻きがフニャフニャ、ホにゃホにゃになってしまう。
調子に乗って追随するもの、せいぜいうっすらとした抵抗を示す程度だ。
そんな現象を社会の至る所でみかける。
それが政治家であれ企業家であれ著名人であっても、彼らを仰ぎ見てはいけない。
彼らは、自分には自動的に敬意が払われるものと思ってるかも知れない。
人々は忘れがちだが、その経歴と人格または品性は、別物と警戒していた方が良い。
職業人としてだけでなく人として、節度や自制心があるのか、目線はどこにあるのか、
状況が変わると図らずとも、彼らの本態が見えてくるものだ。
選ばれた人であっても、心の半分は俗物性タップリとみていた方がいい。
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市民に説得力のある話が出来る政治家がとても少ない。
ひとたび選良として職責を得るや、まもなく立場を背に軽薄かつ恣意的な
言動をする政治家が頻発している。
その姿勢を問われると、私人としての言動だと愚かなことを言い張る。
政治家は、動くだけで公人としての影響を持つ。
多数を得た選挙民に委ねられている責任が重いからだ。
私人としての行動枠は厳格でなければならないのは、イロハである。
劣化した政治家たちは、発言の撤回や粗末な弁明を恥とも思っていないようだ。
その人格や政治家として資質がすぐに露見していく。
だから人々は、議員を見て優れた人たちと恐れ入ったりしてはいけない。
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選挙民がどこまで真摯に候補者を選択し、その活動に関心を払っているかは
もっと疑問である。多くの投票者は、選挙公報か選挙期間中の演説以外で彼らを
知る機会がない。名前の連呼に終始する候補者の多い選挙戦で何を知ることが
出来るだろう。
支持政党が明らかな投票者であれば、党派を選択しているのだから、なおさら
当該候補者の政治活動を個別に採点しないのではないか。
さらに、今時の選挙は、無党派層の投票動向がほぼ大勢を決めていく。
だが、候補者に最も遠い存在の無党派層には、その時点で多少とも共感出来る
党派を手がかりとして選択するしかやりようがない。
詰まるところ、候補者の資質優先で投票される要素は希薄なのである。
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政治家が他の市民より優れているということは全く無い。
だが政治家はそう思っていない。
市民も政治家であるというだけで仰ぎ見る人がいる。
そうした浅見が政治家の活動を歪めていく。
どんな実績を披露されても、人格を保証するものではない。
そうした目線を持っていないと、行政は汚濁していく。
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自民党には妄動、妄言の軽薄議員が多いが、
党を潰そうという人はいない。
ところが野党には、
加えて党を潰そうという人がいるから不思議だ。
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