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歴史が長くてもその結実が蔑ろにされるなら、文明の進化はない。
政治の制度とその手法は、文明そのものであり、寧ろ核心である。
10億人を超える国の政治を、
いかなる中央政権であっても統治できない。
地勢も因習も宗教も言葉さえ多様なのに、
中央の一存で画一化できると信じることが、
野心的な政治家の愚かなところである。
自治要素を勘案した緩やか統治なら可能かもしれない。
だが政治はいつもセッカチだから、
それができるかどうか非常に疑わしい。
彼らは強権しか方法を知らないのだから。
独裁や強権には、独善という卑しさが潜んでいる。
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政治家を選良と呼ぶのはやめたい。
理念と決意を全うする政治家は非常に少ない。
政治そのものが、おおかた不条理な強権か妥協の産物である。
まず政治家は一般の生活からすぐ離れてしまう、
彼らは政治家同士の軋轢でしか生きていない。
社会を長く見続けるに従って、
政治家個人の選良としての資質に失望する。
ただただ計算高いか、
傲慢さが増大している人物にしか見えなくなってくる。
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政治家の見識の有り様がさっぱり読めない。
政治家個人の卓説が伝わってくる議員はそんなに多くない。
どの議員も党の主張に準じるであろうことは分かる。
そう、党に服する言動を取るということしか分からない。
選良として当選した翌日から、すっかり党の従僕なんだろう。
仮に、彼が党にとっての員数合わせ議員であろうとも、
本人は社会にリスペクトされるべきと思っている。
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自分が投票した議員はどんな意見と行動で討議に参加したのか、
立案の際してどんな姿勢を貫いたのか、
その断片すら知る事が少ない。
政党の武器である党議拘束は、
員数議員にとって絶好の口実にも逃げ道にもなる。
異論があっても100%賛成でも議員の声は一様だ。
党議に従うの一点で済む。
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重要な役職を経ていない議員も、派閥推薦や当選回数を背景に、
その実力が不明でも内閣の一員になる機会が訪れたりする。
スタンドプレーの絶好の機会だが、不見識も露呈してしまう。
官僚の文案を棒読みで済ませたり、軽率な或いは無礼な失言を重ねて、
審議を中断させてしまうお粗末な議員が出てくる。
そのたびに国民は、議員の見識のなさに失望させられている。
個々の議員の政治意識の高さを信じたいのが、どうもそうはいかない。
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政治家が得意とするワザ
自制の欠如
自省の薄さ
時世の読み違い
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