海岸からは ヨナラ水道 を 隔てて 西表島 が見えます
ヨナラ水道 は マンタウエイ とも呼ばれ
巨大なマンタ が 回遊することでも知られています
海岸 の 横にある 展望台 では 屋根になった
巨大マンタ が 海 を 見つめていました
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海岸入口には こんなお店があったのですが
お店の人がいません
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こう言う事でした
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海岸の前の 駐車に
こんな船 が 置かれていました
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-◇- 2013年1月31日 の 八重山毎日新聞 の 記事より -◇-
1年10カ月2800キロ余を漂流
小浜島細崎
東日本大震災で流された宮城県漁業協同組合寄磯支所所属=石巻市寄磯浜前浜=(牡鹿半島北部)の漁船「成福丸」が、
小浜島細崎港の南西約1キロのリーフに反転した状態で乗り揚げているのが発見され、30日午前、細崎港に引き揚げられた。
同漁協寄磯支所の職員によると、成福丸は東日本大震災が発生した2011年3月11日、
津波により寄磯漁港から沖合に流され、行方が分からなくなったという。
職員の会津守伸さんは「驚きとともに、見つかってうれしいという気持ち」と話した。
成福丸は寄磯漁港から2800キロ以上離れた小浜島細崎に、1年10カ月以上かけてたどり着いた。
船体には藻や貝がこびりついているものの、大きな破損は見られなかった。
船体には「MG3|37998」の番号があり、確認したところ、宮城県の漁船と判明した。
細崎港に船体を引き揚げた漁師の比嘉誠さんによると、今月19日ごろに成福丸がリーフに乗り揚げているのを漁師仲間が確認。
再び漂流した場合、他の船への衝突や網など漁具を破損させる恐れがあり、石垣海上保安部と竹富町水産課の立ち会いのもと、船を港へ引き揚げた。
比嘉さんは「震災からもうすぐ2年がたとうとしているのに、津波に巻き込まれた船がこんなに遠くまで来るなんて、自然の力の脅威を感じた」と述べた。
竹富町農林水産課の大屋裕次主任によると、宮城県農林水産部を通して船の持ち主と連絡をとり、今後の船の取り扱いについて話し合う予定。
ガイドをしてくれた バスの運転手さん の 話では
持ち主の方は亡くなっておられ
引き取って頂くことが出来ないので
震災の事を忘れない
と言う意味も込めて
この場所に 置かれている と言う事でした
運転手さん が ガイドをして下さる バス で
小浜島 を 観光
「こちらが シュガーロード です
NHKの朝ドラ“ちゅらさん"で
主人公の通学路と して頻繁に登場しました」
バスの車窓から こんな素敵な風景を眺め
今日 は 水牛車ではなく
バス で 珊瑚の石垣の道路 を 通り
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ここに到着
住んでいる方が居られるので
中には入れません
昨日から かなり風が強く すこし寒かったですが
早朝から
星野リゾート リゾナーレ小浜島 の 朝 を 楽しみました
ビーチハウス
午前7:10
妻 は ビーチでの フレッシュエアストレッチ に 参加
私 も ちょっと離れたところで 少しやってみましたが
とっても気持ち良かったです(^_^)v
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ここの
一階 に 泊まりました
メッチャ素敵な部屋でした
25日 は 最終的には 小浜島 に 渡り
星野リゾート リゾナーレ小浜島 に 泊まりました
素敵な 雰囲気の中で
美味しい食事 を 食べ
幻想的な夜 を 過ごしました
竹富島 の 赤瓦 の 町並み を 水牛車 で 楽しみました
いろんな シーサー が 有りました
珊瑚の石垣 で 囲まれた 細い道を
水牛 は 実に上手に 右に 左に 曲がりながら 車を引っ張り 案内してくれました
安里屋ユンタ(あさどやゆんた)元歌
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水牛車 の 屋根 に 貼られていた 新安里屋ユンタ の 歌詞
新安里屋ユンタ
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ゆったりとした気持ちになれる 素敵な一時でした
由布島 蝶々園 の オオゴマダラ
卵 幼虫 サナギ 成虫
全て を 観察することが出来ました
卵
幼虫
有毒な植物の葉っぱを食べているせいか
何とも毒々しいです
サナギ
黄金の輝き!!
すっごく綺麗です
成虫
由布島(ゆぶじま) は
周囲2.15km 海抜1.5m の 小さな島で
島全体 が 亜熱帯植物園 に なっています
水牛 と 記念撮影
マンタの浜
向こうの方に見える島 は この後 行く
本日 宿泊する 小浜島(こはまじま) です
マングローブ遊歩道 を 歩いていたら
干潟に こんなのが ゴロゴロ してました
キバウミニナ と 言うそうですが
結構大きく
沢山いたので ちょっと 気持ち悪かったです
これもいました
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ミナミトビハゼ