いのち・未来 うべ

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【パブリックコメント】「川内のみならず、国内のすべての原発の再稼動に反対致します。」

2014年08月05日 | 脱原発

川内原発の再稼働について、原子力規制委員会にパブリックコメントを送りましょう。

詳細は、当ブログのここで紹介しています。

http://blog.goo.ne.jp/nonukes2013/e/04a3d0755b5c75251af73931de3eb1b4

私たちの気持ちを声にしましょう。声を形にして力に変えましょう。

 

パブリックコメントを送った人は、是非、ここで市民に公開してください。

今回は、「川内のみならず、国内のすべての原発の再稼動に反対致します。」というパブリックコメントを了解を得て掲載します。




川内のみならず、国内のすべての原発の再稼動に反対致します。

                                                                                                                       Yasuko  Arita

川内のみならず、国内のすべての原発の再稼動に反対致します。

 

3.11の天災、人災を経て、現在、福島原発事故の原因、実情も不明、

解決の目処さえ経っていない状態のまま、再稼動に踏み切ることは、間違った政策だと思います。

 

川内原発については、火山の近所であること、避難計画が立たないこと、

川内で事故が生じた場合、日本は東も西も南も、自然がおかされ、

本当に安心して生きていける場所がなくなってしまうこと、など、

いろいろ問題はあると思いますが、

ここでは1点、「避難」ということについて申し上げたいと思います。

 

そもそも、原発事故からの「避難」とは何なのでしょうか。

まず、その定義があいまいだと思います。

避難というと、原発周辺に暮らしている人々が、放射能から逃れる、

ということを指しているようですが、放射能汚染から逃れるのは人間だけでよいはずがありません。

そこに生きるあらゆる生命、虫や植物に至るまで、全ての生き物や環境そのものを守る義務が、

原発を利用する者にはあると考えます。

なぜなら、人間は、人間のみ、単独で生きていくことはできないからです。

人間という生物は、この地球上で、環境に負荷をかけながら、他の生物の死をもって、

食物連鎖の中で生かされている、ということを決して忘れてはいけません。

 

ゆえに、原発事故が生じた場合の「避難」を考える時、

あらゆる生命や土や水、空気など、環境全てを、

放射能汚染から守る方法を考えなくてはならないはずですが、

果たしてそのような難解な作業が可能でしょうか?

そのような方法を考えてまで、原発に依存する道が、人間の生きる道とは到底思えません。

仮に、放射能汚染の可能性がある環境全ての保全を含めた「避難」計画を立て得たとして、

そこまでする労力と、原発によって得られる電力を天秤にかけて、

それが見合うものであるとは、決して言えません。

 

つまり、「科学的見地」から申しますと、

人間は環境の中、食物連鎖の中で生かされているのですから、

人間だけの避難方法を考えるということは妥当ではありません。

「技術的見地」から申しますと、環境を丸ごと放射能汚染から守る方法も技術も

人間は持ち合わせておりませんのでこの点もクリアできないと考えます。

 

そしてもう一点、危惧している問題があります。

今まで述べたように、動植物や環境そのものなどの「声なき生命」を、

あたかも、そこに存在していないかのごとく、無視をし、考慮さえしない避難計画、

そして、原発周辺に暮らす声を出すことも、動くこともできない方々(病気やご高齢の方々)の

避難の目途が立っていないことを無視できる「避難」計画、

このように、多様な生命の存在をきちんと考えようとしない為政者のスタンスが

日本社会全体に与える不安と恐れの大きさは計り知れないと思います。

明言はされることはないものの、「弱く小さな生命は(利便性と効率性の名の下に)切り捨てられる」

という構造は、現代の日本社会において根が深く、

その一端が、原発事故の「避難」計画の中にも垣間見えるような気がするのです。

 

日本は3.11という、人類史上、非常に稀で大きな、貴重な経験を持ちました。

それ以前に、原爆投下という経験も日本は持っております。

原爆投下の惨状に真摯に学ぶことなく、原発依存を高めてきた日本の方向性の過ちを、

今度こそ、3.11から学び直し、

今度こそ、改めていくことが、日本に残された最後のチャンスと考えます。

これは、所謂「科学的見地」とか「技術的見地」などというレベルを超え、

もっと人類の根本問題「いかに生きるか」という点に根ざしております。

 

もしも、人間さえ「避難」できればよい、

原発事故によって「一人も死者が出ていない」ということで良しとするのであれば、

それは、人間の傲慢であるとしか言えません。

水を汚し、大気を汚し、そこで生きる植物や動物に放射能という猛毒を浴びせながら、

人間だけが逃げればよい、とする考え。

これほど自分勝手な理屈はなく、自然の大きな恩恵を受けつつ生かされてきた者としては失格です。

 

もともと地球上に存在しなかった物質を発明してしまった人間の業、

これは仕方のない現実ですし、科学の発展上、必然的なことだったかもしれません。

しかしながら、そのような物質をどのように扱っていくか、ということを、

判断し選択していかなくてはならないという課題を、

地球上の全生命を代表して「人類」は背負わなくてはなりません。

 

世界の先頭を切って(先頭はドイツに先を越されたかもしれませんが)、

原爆投下と3.11という経験を持った私達日本人こそ、

原発に依存しない生き方と核兵器廃絶運動を進めていくにふさわしいと思いますし、

その道を進んでいく義務と責任があると考えます。

それは、経済や電気など具体的な必要性や利害得失の問題ではなく、

原爆投下と3.11の事故を経験した国民が示すべき生きる姿勢と言えるでしょう。

 

現在、福島原発から太平洋を、大気を地球そのものを汚染し続けているという罪を深く心にとめ、

子々孫々まで、この大罪の事実を忘れることなく、

この過ちの反省から、新しい道を切り拓いていくことが、せめてもの償いになるはずです。

この人災、大罪は、放射能汚染水と同様に、「水に流して」しまってはいけない歴史上の事実です。

 

以上のことから、川内原発及び、日本国中のあらゆる原発の再稼動に反対するものであります。

 

(追記)

世界中の多くの国々が、原発に依存し続け、原発を開発し続けていくとしても、

私達日本人は、地球の全生命を守るために、大きな視点をもって進んでいかなくてはなりません。

その道を行く者が、たとえ今は、少数派だとしても、世界中の多くの人々から、

必ず賛同と協力が得られるでしょう。

今までの方法を変更し、新しい段階へとレベルアップする際には、越えなくてはならない障害や

困難に必ず遭遇します。しかしながら、「越えられない困難は、越えられない者のところには訪れない」

としばしば言われる通り、人類の英知をもってすれば、きっと越えられると信じます。

 


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