福岡de三線@てーげー日記。。。

福岡の沖縄三線を楽しむ会「かりゆし会」です。三線仲間募集中です~♪

かりゆし会の歴史。。。はじまり

2023-07-08 | 三線鳴らそう。。。
1)
代表の木屋正和は40歳にして、三線に目覚めた。 

きっかけは骨髄移植(提供)だった。 
当時、私は長野県に暮らしていたが、検査や手術のために東京の病院に通っていた。 

病院の隣の上野公園は、憩いの場所だった。 
あるとき、三味線の音が聴こえてきた。 
たぶん、津軽三味線だったと思う。 

三味線の音が心地よく、CDを聴いてみることにした。 
たまたま買ったCDが津軽三味線と沖縄民謡だった。 

生演奏で聴いてみたいと思い、青森までバイクで走った。 
目の前で聴いた津軽三味線は衝撃的だった。 
福岡に帰り、さっそく通販で三味線を手に入れ、独学で練習した。 

三線も同時に始めた。 
カンカラ三線を自作して、独学で練習。 
数ヵ月後、沖縄で三線を手に入れた。 

三味線無料体験会のチラシに釣られて、長唄三味線の教室に通いだした。 
長唄のことは何も知らないで、津軽三味線も教えてくれるに違いないと思っていた。

1年後に助手になり、地元商店街のどんたく隊の三味線指導もやった。 
でも、津軽三味線は教えてくれなかった!(あたりまえのことだが。。。^^;) 

一緒にどんたくに出た。 
この時の経験が、今も生かされている。 

バイクで青森まで走った。 
キャンプ場にテントを張って、師匠の家まで津軽三味線を学びに行った。 
キャンプ場では、持参のカンカラ三線で「じょんがら節」を練習していた。 

2週間の短い時間だったが、いろいろな貴重な体験が出来た。 
津軽三味線を買って帰り、福岡で独学が続いた。
いつの間にか、2年が過ぎていた。。。

2)
「老人でホーム・ボランティア募集」のチラシを見て興味を持った。 
なんでもいいから、あなたができることやってください~ 
と書いてあった。 

三味線弾くと喜ばれるかな? 
ひとり気軽に出かけてみた。 

職員の方が言った。 
この施設にいる人たちは、みんな重度の認知症だから、あなたがいくら上手に三味線を弾いても、ちゃんと聴いてくれないかもしれない。 
でも、気にしないで~ 

その時は、津軽三味線を弾いた。 
津軽じょんがら節、あいや節を弾いたあと、地元の民謡の博多どんたくや炭坑節など演奏した。 

みんな手をたたいて、歌ってくれた。 
何の心配もなかった。 
楽しいひとときだった。 

先ほどの職員の方がやってきて言った。 
今日は感激しました! 
日頃、私たちが接しても何も反応も示さない人たちが、あなたの三味線に合わせて手を叩いたり歌ったりしたのですから。 

ふ~ん、そうなんだ。 
三味線ボランティアって、おもしろいなと思った。 
それが、私のボランティア初体験だった。

それから、毎週のようにボランティア。 
ひとりで演奏したり、他のボランティア団体と一緒にやったり。 

最初のうちは津軽三味線を弾いていたが、後半は三線を演奏することが多くなった。 
三線だとみんなと一緒に歌えて、より楽しいからね。 
三線初めて3年くらいが過ぎていた。

3)
三線ボランティアをやってるうちに他の教室の方も巻き込んでやるようになった。 
その教室では、ボランティアで演奏するようなみんなが知ってる曲はやらないからつまらないという。 

そうなんだ~。 
では、私がもっとみんなで楽しめる三線サークルを作ることにしよう! 
というわけで、始めたのが博多の公民館の三線サークルだった。 

いろいろ苦労もあったが、春日、ももち、シーメイト教室へと広がっていった。 
そのうちNHK文化センターや岩田屋コミュニティーカレッジなどから講師の依頼が。 
いろいろな方とのつながりで、運を味方につけることができたと思う。 

どんたくなどのお祭りでの演奏、老人ホーム等でのボランティア。 
今年は被災地まで出かけて演奏できるようにまでなった! 

わが会は、楽しく三線演奏することが一番! 
かりゆし会を立ち上げて、いつの間にか10年。
これからも、もっと楽しい三線会になることだろう。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

以上は10年前に書いたもの!
Facebookの思い出にあがっていた。

そして、この10年か。。。
東北に十数回通ったな。
50代がこれまでの人生で一番充実してたと思う。

コロナで全てが壊されてしまったが、やっと回復傾向にある。
これからもわが会らしく、楽しくやっていきましょう!

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