福岡de三線@てーげー日記。。。

福岡の沖縄三線を楽しむ会「かりゆし会」です。三線仲間募集中です~♪

光が見えた。。。

2020-03-24 | いろいろ。。。
この病院に来て、初めてちゃんと診察を受けることができた!

最初の医者は、私の腫れあがった右足を見て
転んだんですか?
と言うだけで、診察もしようとしない。
蜂窩織炎だと思います。以前もやったことがあるので。
と答えたら、
じゃあ、点滴しましょう~と。
患者の言うこと鵜呑みにして、医者としての意見はないの?

2人目の医者は、休日のアルバイト?
この医者は診察することはなく、看護師による点滴だけ。
再診料はしっかり取られてた。

3人目の医者は、
僕は最初から見てないので、よくわからない。
ああ、点滴してるの?3日やると言われてるの?
じゃあ、点滴しましょう~
前回は錠剤が効いたことを伝えると、
じゃあ、錠剤もだしましょう~と。
ちゃんと診察して、医者として判断しろよ!

で、今回は4人目の医者!
患者の話をよく聞いて、ちゃんと触診してくれた。
手袋は3回換えた。
血液検査のデータを示して、的確な治療方針を示してくれた。
データを見ると、点滴ではあまり効果がないことがわかる。
錠剤に変えてから回復し始めている。

さらに、今日の血液検査の結果を見て、とてもいい感じで回復していると説明してくれた。
こちらの質問にも的確に答えてくれた。
今日の血液検査の結果次第では、入院する事になっていたらしい。
でも、回復していたので、入院の必要はなくなった。

蜂窩織炎は悪化すると、足を壊死させ切断しなければならなくなる。
さらに全身に菌が回ってしまえば、死亡することもある。

いい医者に出会えてよかった!
今までのモヤモヤがスッキリした。
それだけで、今日は一日気分がいいね~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終活。。。

2020-03-24 | 三線鳴らそう。。。
今年は還暦なので、そろそろ終活しておかないと!
そう思っていたらコロナのせいで仕事が減り、
就活をせねばならなくなりそう~(笑)

2020年は、波乱の年になりましたね!
私の周りでもいろいろな問題が上がってきてます。
悪い波に飲まれてしまうわけにはいかず、
これから何をすべき考えてます~

終活。。。
両親に幸せに生きてもらうこと!
自分らしく、楽しく生きること!
三線、ボランティア、旅。。。

就活。。。
思い浮かばない~涙


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜂窩織炎は、なかなか手ごわいのだ。。。

2020-03-23 | いろいろ。。。
蜂窩織炎の治療5日目!
昨日は、ほとんど家で寝ていました。
安静時の痛みはずいぶん楽になりましたね~

今日は杖を突いて、ゆっ~くりは歩けるようになりました。
でも少し歩くと、すぐ足が腫れて激痛が走りますね~

完治までは、もう少しかかりそうですね!
蜂窩織炎は、なかなか手ごわいのだ。。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしい色紙。。。

2020-03-23 | 三線鳴らそう。。。
懐かしい色紙が出てきた!
大空学級の子供たちが書いてくれたものだ。

10年くらい前になるだろうか、自閉症の中学生に三線の個人レッスンをしていたことがある。
初めて会った時には、極端にぶっきらぼうで挨拶もできなかった。
ところが三線をやっていくうちに、だんだんとコミュニケーションがとれるようになった。

その子が通ってた大空教室のメンバーが、クリスマス会で三線を弾くことになった。
そして、私が三線の先生として教壇に立つことになった。
大空学級には自閉症などの子供たちが10人ほど。

カンカラ三線を学校が準備して、私はボランティアとして週2回通った。
3か月後のクリスマス会で演奏するのが目標だった。
彼らのマイペースに戸惑いながらも、三線の練習は楽しい時間だった。

クリスマス会は大きなコンサートホールだった。
ステージの上の彼らは輝いていたなぁ。。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばちゃんが諏訪湖に身を投げた話。。。2

2020-03-23 | いろいろ。。。
その工場では時々不良品を出荷していた。
ねじの締め忘れや、ドライバーを製品の中に入れたまま出荷したり、お粗末な事ばかり。
最終チェックという工程が追加され、私が任命された。

派遣社員の私が、社員を指示する立場になった。(笑)!

相変わらず不良品を出していたが、私がかろうじて止めた。
1台500万円くらいの製品だ。
私がチェックして出た不良品は親会社に報告義務があったが、部長がもみ消した!

相変わらず総務はのんきに私を呼び出す嫌がらせを続けていた。
私もそろそろ限界だった!

ちょうど親会社の重役が視察に来ていた。
私が今まで出た不良をメモしたノートを渡して、仕事をやめることを伝えた。
不良品が全く出てないと思ってた重役は驚いた。

再び、総務に呼び出された。
あなたの出す条件で働いていいから、仕事をやめないでほしい。
月給100万円でも?(笑)

なるほど、先ほどの重役が命令したのか。
いつも生意気な顔で私に嫌がらせていた総務部長が頭を下げている。

人間が哀れに感じた。
こんな人たちと仕事をやる気にはなれない。

仕事をやめた。。。

20数年前の話だけど、今でも時々思い出す。
冷たい諏訪湖に身を投げたおばちゃんが哀れでならない。。。

数年後、この工場がつぶれたと聞いた。
当然だろうな。。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする