さてさてさて。
佐渡の珍道中はまだまだ続きます。
助手席に座ったラーのわちゃわちゃナビでH氏は迷走を強いられ
17分と表示されていた移動時間が30分以上かかりました( ̄▽ ̄;)
最後はラーのナビは中断し、H氏の勘ピューターでようやく到着致しました。
向かった先は
五重塔が印象的な 阿仏房妙宣寺。
佐渡に配流された日蓮に仕え、熱心な法華経信者となった遠藤為盛(阿佛房日得上人)。
1278年、妻の千日尼と共に自宅を寺として開いたのが始まりと伝わります。
仁王門。
その名の通り
仁王像(阿形)と
仁王像(吽形)が迎えてくれます。
仁王門の屋根は切妻の茅葺です。
朱塗りの跡が見られます。
天井にはたくさん千社札が貼ってありました。
仁王門横からも五重塔が良く見えました。
門をくぐると案内図がありました。
阿佛房妙宣寺境内之図。
妙宣寺五重塔
境内の五重塔は、阿仏房の時代からずっとあとの江戸時代。
日光東照宮の五重塔を模したと伝えられています。
この日も日差が強かったですが境内の木々が影を作ってくれ
そこだけ涼しく過ごしやすかったです。
雑太城跡。
「さわだじょう」と読みます。
別名は檀風城・新川城。
中世に佐渡を支配した本間氏の居城でしたが現在この跡地は妙宣寺となっています。
看板の後ろの石垣がその名残だと思われます。
山門が見えてきました。
寺号額に、阿佛房と記されています。
またまたハレーション☆彡
お見苦しい写真ばかりですみません<(_ _)>
今度は左手に何やら不思議なエリアが。
番神堂。
妙見大菩薩・三十番神・清正公が祀られています。
そのすぐ横には宝蔵と祖師堂。
祖師堂。
見事な枝垂れ桜があります。
春はキレイだろうな
宗祖の像と阿仏房日得上人、妻千日尼の木像が祀られています。
切妻屋根の模型のようなオブジェが気になる。
これはナニ?
分かる方教えてください。
開祖堂から本堂へと続く回廊。
趣があります。
壁には立派な欄干のような彫刻が沢山ありました。
本堂内は撮影禁止と書いてあったので画像はありません
と言うわけで少し離れた場所から撮影。
左から、開祖堂・本堂・庫裏。
庫裏と納屋。
こちらも仁王門と同様、屋根は立派な茅葺です。
そろそろ帰ろうと振り返ったとき
山門の左側、何かがある事に気づきました。
日野資朝(すけとも)の墓でした。
「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓などがあります。
「正中の変」・・・?
自分のblogを検索したら
おおっ!やっぱり!
去年鎌倉で見た日野俊基の息子なのね~。
日野資朝歌碑もありました。
「秋たけし檀の梢吹く風に澤田の里は紅葉しにけり」
資朝が幽閉されていた雑太城が「檀風城」といわれるのはこの歌によるものだとされています。
スッキリしたところで、妙宣寺観光終了!
朝早かったこともあり、貸し切り状態で散策することが出来ました。
わずか15分弱の滞在でしたが、もっと長く感じるほど内容の濃い充実した時間でした(・∀・)b+
ここから車に戻り次のスポットへと向かいました。
つづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます