続きです。
我ながらいつまで続くのか・・・と思ってしまうのですが
画像の整理が結構あってなかなか進みませぬ(;'∀')
ではでは参りましょー。
銭洗弁財天宇賀福神社をあとにし、次に向かったのは「化粧坂」
数分歩くと、化粧坂の案内看板が見えて来ました。
国指定史跡 化粧坂。
吾妻鏡には「気和飛坂」と表記されているそうで
「けしょうざか」ではなく「けわいざか」と読みます。
先の記事で書いた、日野俊基はこの坂上で斬首されました。
雨が降っていたので足元が悪かったのですが、少しだけ降りてみました。
油断すると滑ってしまいそうな石面と急すぎる坂道。
振り返るとスゴイ勾配であることが分かります。
看板の説明文によると、化粧坂は鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける
「鎌倉住環上ノ道」(武蔵野)の出入り口にあたり、鎌倉の交通の要衛でした。
新田義貞が鎌倉を攻めた時、ここに軍の主力を向けたために激戦地となったそうです。
また近年では、鎌倉の世界遺産登録に向けて行なわれた調査で
周辺で荼毘の跡が発見され、埋葬の場でもあった事が明らかになったそうです。
こうした坂道ひとつにも様々な歴史やドラマがある鎌倉。
深すぎる・・・(*´Д`)
さてさて。
ここからふたたび源氏山公園に戻ります。
見晴らしの良い広場に出ると、その中心に源頼朝像がありました。
が、
ここは華麗にスルー。
そのまま寿福寺方面へと抜ける道へと歩いていたら
太田道灌の墓がありました。
何故に鎌倉に太田道灌の墓が??と思ったのですが
説明文によると鎌倉のこの周辺は太田道灌が生まれた地であり、
このお墓は太田道灌の子孫が再建したものなのだそうです。
太田道灌 永享4年-文明18年(1432-1486)
江戸城を築城したことで知られる、文武両道の武将です。
関東には道灌が関係した神社仏閣が多数あり、合戦場や城、銅像、様々な逸話が残っています。
優秀過ぎたが故、その力を恐れられ主君に暗殺されてしまうのですよね。
悲しすぎんっっ??(´;ω;`)ウゥゥ
濃~い!エピソード満載の武将なのでファンも多いそうです。
思いもよらない場所で太田道灌のお墓を見つけ
とても勉強になりました(゚д゚)(。_。)ウン
・
・
・
・
うーん・・・と・・・(´ε`;)
ログをどこで切るか悩みどころですが
長くなるのでここでしめたいと思いまっす!
以上!
秋の鎌倉遠征。*化粧坂&源頼朝像*
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>
つづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます