のたりといきたい。2

暴飲暴食時々ダイエット、家族のこと、汚部屋の掃除&なんちゃってDIY・・・などなど思いのまま書き綴った、日々のメモ。

秋の鎌倉遠征。*化粧坂&源頼朝像*

2022-10-04 01:58:16 | お出かけ

続きです。

我ながらいつまで続くのか・・・と思ってしまうのですが

画像の整理が結構あってなかなか進みませぬ(;'∀')

ではでは参りましょー。

銭洗弁財天宇賀福神社をあとにし、次に向かったのは「化粧坂」

 

 

数分歩くと、化粧坂の案内看板が見えて来ました。

 

 

国指定史跡 化粧坂。

吾妻鏡には「気和飛坂」と表記されているそうで

「けしょうざか」ではなく「けわいざか」と読みます。

 

 

 

鎌倉遠征。*日野俊基の墓* - のたりといきたい。2

最初に到着したのは国指定史跡日野俊基墓。説明板。『日野俊基は、鎌倉時代末期の朝臣後醍醐天皇に仕え、討伐計画に参加した。正中の変(1324)に捕らえられ許されたが、元...

goo blog

 

先の記事で書いた、日野俊基はこの坂上で斬首されました。

 

 

 

雨が降っていたので足元が悪かったのですが、少しだけ降りてみました。

油断すると滑ってしまいそうな石面と急すぎる坂道。

 

 

振り返るとスゴイ勾配であることが分かります。

 

 

看板の説明文によると、化粧坂は鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける

「鎌倉住環上ノ道」(武蔵野)の出入り口にあたり、鎌倉の交通の要衛でした。

新田義貞が鎌倉を攻めた時、ここに軍の主力を向けたために激戦地となったそうです。

 

 

また近年では、鎌倉の世界遺産登録に向けて行なわれた調査で

周辺で荼毘の跡が発見され、埋葬の場でもあった事が明らかになったそうです。

 

 

こうした坂道ひとつにも様々な歴史やドラマがある鎌倉。

深すぎる・・・(*´Д`)

 

 

 

 

 

 

さてさて。

ここからふたたび源氏山公園に戻ります。

見晴らしの良い広場に出ると、その中心に源頼朝像がありました。

が、

ここは華麗にスルー。

 

 

 

そのまま寿福寺方面へと抜ける道へと歩いていたら

太田道灌の墓がありました。

何故に鎌倉に太田道灌の墓が??と思ったのですが

説明文によると鎌倉のこの周辺は太田道灌が生まれた地であり、

このお墓は太田道灌の子孫が再建したものなのだそうです。

 

 

太田道灌 永享4年-文明18年(1432-1486)

江戸城を築城したことで知られる、文武両道の武将です。

関東には道灌が関係した神社仏閣が多数あり、合戦場や城、銅像、様々な逸話が残っています。

優秀過ぎたが故、その力を恐れられ主君に暗殺されてしまうのですよね。

悲しすぎんっっ??(´;ω;`)ウゥゥ

濃~い!エピソード満載の武将なのでファンも多いそうです。

 

 

 

思いもよらない場所で太田道灌のお墓を見つけ

とても勉強になりました(゚д゚)(。_。)ウン

 

 

うーん・・・と・・・(´ε`;)

ログをどこで切るか悩みどころですが

長くなるのでここでしめたいと思いまっす!

 

 

 

 

 

 

以上!

秋の鎌倉遠征。*化粧坂&源頼朝像*

でした~ヾ(*´∀`*)ノ

 

 

 

<(_ _)>

 

 

 

つづく。

 

 


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