さてっと。
ここからはお得意の飲んだ!食った!です(^▽^)
鶴岡八幡宮を出て駅へ向かい
江ノ電に乗りました。
お腹空きすぎて車両撮り忘れました(;'∀')
この日は終始こんなんばっかだったなー。
H氏は生シラスが食べたくて仕方ない様子で
あれこれ悩みつつ
江ノ島駅に到着。
年単位のご無沙汰です。
おおぅ。
すずめたちも相変わらず可愛い(〃▽〃)ポッ
名勝史跡江の島碑。
江ノ島弁天橋。
青銅の鳥居。
アングルよ・・・。
1日中鳥居撮ってた気がする(゚∀゚)
でも全然上達してないわ~苦笑
時間的な事もあったのか?
それとも悪天候のせいか?
観光客もほとんど居なくて鳥居付近のお店も閉まっていましたΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
それでもメゲずに歩みをすすめまして
天海さんへ入店。
お腹空いた~。
遅すぎるランチのスタートです!
とっても寒かったので手っ取り早く暖かくなるために
BEER🍺
ガソリン投入です!!
H氏のお目当ての朝獲れ生シラス
食べれてよかったねー。
カワハギの活け造り。
肝も美味しかったです♪
お刺身を食べ終わった後に粗汁も作っていただきました♡
海鮮かき揚げ。
しらす・海老・イカ・ホタテ入り。
直径20センチの特大サイズ。
ビールによく合いました♬
寒かったので宝山湯割り。
まだ明るいうちにボトルでオーダーしたのでちょっと驚かれました( ´艸`)
ここからは焼酎に合わせて
金目の粗煮。
自家製しらすのさつま揚げ。
地魚の南蛮漬け。
魚なんだったのか?全然覚えてません(;'∀')
このあと焼酎も飲み干し、追加で熱燗を2合飲んでお店を出ました。
美味しかった~♬
そして
温まった~♬
江ノ島まで来ましたが、このしらすを食べに来ただけだったので
お店から直ぐにバス乗り場に直行したのでした。
以上!
江ノ島 天海。
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>
円応寺を出て県道沿いをテケテケ歩くこと7分。
鶴岡八幡宮に到着。
鶴岡八幡宮には何度か足を運んだことがあるのですが
※フリー画像よりお借りしました。※
この鳥居から参道へと進むコースでしか行ったことがなく
と言うか、このイメージしかなかったので、
この景色はとても新鮮
そして、階段右側に小さな鳥居を発見!
「丸山稲荷社」と書いてありました。
丸山稲荷社
鶴岡八幡宮・本宮の西側にある小高い丘の上に鎮座する鶴岡八幡宮の末社。
建久2年(1191年)の大火で旧・若宮が焼失した後、
頼朝が大臣山中腹を切り開き本宮を造立し、
京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう:神仏の分霊を請(しょう)じ迎えること。)した際に、
現在の位置に遷座(神体・仏像の座を他の場所にうつすこと。)されました。
鶴岡八幡宮で一番古い室町期の御社殿で、本殿鎮座前からこの地に祀られていたのだとか。
そのことから、「地主稲荷」とも呼ばれているそうです。
H氏も初めて見たそうで、「知らなかった」と興味がわいたようで
早速行ってみることにしました。
ん?
蛭子さん・・・?
何故に・・・?と思わずググってみたら、2016年のインタビュー記事がヒットしました。
どうやら奥様が寺社仏閣巡りをするのが趣味で、その一環で鶴岡八幡宮に寄進したそうです。
お隣のお名前は奥様だったのですね~(´ー`*)ウンウン
ただ、蛭子さんは全く興味はなく、連れられて行っただけだそうです。
何だか目に浮かぶような・・・ 笑
ほっこりするエピソードじゃあーりませんか♥( ´艸`)
と、そうそう違ったわ。
丸山稲荷社だわよ。
こちらが境内社です。
本殿
本殿は、明応9年(1500)に建立。
室町時代中期で、鎌倉に残る神社のなかで 最古のものとされ、
国重要文化財に指定されています。
この神社、鶴岡八幡宮建設の為移築されたり、
その後、江戸時代衰退したりと、なかなか波乱万丈。
幾度か名を変え、場所を変え今ここに祀られているそうです。
鶴岡八幡宮はとっっっても!広く、今回行った丸山稲荷社は
境内西側に位置します。
☝これだけ広いし・・・。
丁寧に見ていたらきっとここだけで1日過ごせそうなボリュームだったので
この日はこれにて終了!!(とっっても!お腹空いたし←)
本宮がある参道付近は、さすが鎌倉観光のメインストリートだけあり、
老若男女問わず多くの人でにぎわっていました。
リニューアルを繰り返し以前と比べきれいな施設も出来ていて
更に華やかな雰囲気になっていました。
※フリー画像よりお借りしました。※
鶴岡八幡宮はまたいずれ改めて訪れたいと思います。
それにしても・・・やはり、鎌倉は奥が深い!!
この動きの鈍い頭だと、説明文を読んでも理解するのに一苦労(;'∀')
知らない日本語だらけでひとつひとつかみ砕くように書いているのは
私の頭の整理だったりするのです。
お付き合いいただいた方には、読みづらい記事が続き申し訳なかったです(*ノωノ)
・
・
・
それでも知らないことを知るのは楽しいです(^▽^)/
また寺院めぐりしたいです!
このあとは定番の飲んだ食ったに移行していきますです!
お付き合いいただきありがとうございました~🥰
以上!
雨の鎌倉散歩。*丸山稲荷社*
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>
おはようごぜえますだ
鎌倉散歩編、なかなか終わりません(;'∀')
まあ、のんびり行きますかね。
建長寺を出て時計を見て一言。
「ねえ、今日これからあといくつお寺回る予定?」と聞いたら
「ここから、円応寺行って、鶴岡八幡宮行って、大仏見て、長谷寺だから・・・・あと4つ?」
「・・・・」
「ぜってえ無理!!」
と拒否させていただきました笑
「よーく考えてみて?ラーが帰る時間迄にこれ本当に回れると思う?」
「さっきの2つのお寺だけで移動含めて3時間かかってるんだよ?」
「何回かに分けて回らない?」とご提案。
「そうか・・・。確かにちょっと無理かな?」と納得して頂いたところで予定変更。
1日に6つも寺巡りをしようとしていたH氏・・・。
素晴らしいバイタリティ。
しかし、ムリ!!
しかもこの日は雨が降っててとても寒かったし。
天気予報を見てブラウスからニットに変えていたのですがそれでも甘かった・・・。
冬用コートをもう一度出すべきだった・・・
歩くと普通暑くなるくらいなのに、この日は歩いても歩いても寒くて:;(∩´﹏`∩);:
それに、せっかく行くなら丁寧に見て回りたいですもんね(((uдu*)ゥンゥン
そんなこんなで、後半2つのお寺はまた後日行く事になりまして
いざ、円応寺へ!
建長寺から徒歩2分で
こんな愉快な看板が見えてきました笑
県道沿いにある階段を昇ると山門が見えてきます。
円応寺は、閻魔大王を本尊として建長2年(1250)に創建。
閻魔堂、十王堂とも呼ばれているそうです。
亡者が冥界で出会う「十王」を祀っています。
建長寺より古いお寺なんですね~。
元々は大仏様の近くにあったそうですが、
足利尊氏が由比ヶ浜に移築し、
その後、元禄16年(1703)に起きた大震災後に今の場所に移ったそうです。
受付を済ませ、常香炉でお線香をたきました。
可愛らしい鐘。
こちらがご本尊。
閻魔大王座像 国重要文化財です。
仏師、運慶作とされています。
素敵な面構えに惹かれ思わずパチリ( ´艸`)←罰当たり。
十王の一人の奪衣婆(だつえば)。三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆で、
亡者は、死後14日目に会い、そこで盗みの罪を問いただされるそうです。
うーん、見れば見るほど・・・←罰当たり。
ひとつひとつ撮りたかったのですが、人が増えてきたので断念。
有名な像もあったのですが、撮れたのは面白さに惹かれて撮った奪衣婆像だけ。
まあいいか。
外に出ると雨が上がっていました°˖✧
小ぢんまりとしたお寺ですが、子供の頃によく聞いた閻魔様や、
俗っぽい十王が居たりしてなかなか面白いお寺でした。
ここは子供でも楽しめるかもしれません(´ー`*)ウンウン
以上!
雨の鎌倉散歩。*円応寺*
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>
続きです。
円覚寺から徒歩でテコテコ25分。
桑田佳祐氏の母校である鎌倉学園を通り過ぎ(@H氏情報)
・
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建長寺へ。
建長寺は、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した日本初の禅宗専門寺院です。
総門。
看板だけ撮って肝心な門を撮っていないという凡ミス(;'∀')
というわけで
お借り致しました~°˖✧嗚呼、なんて素敵な青空°˖✧
総門は、巨福門(こふくさん)という別名があり、天明3年(1783)に建立された京都の般舟三昧院(はんしゅざんまいいん)の門を、昭和15年に移築したものなのだそうです。
受付を済ませ、「君が代」に出てくる「さざれ石」の説明などを読みつつ参道を歩きました。
(ほんと・・・サザレイシノってなんだよ?って小学生の頃からずっと謎でした 笑)
三門。こちらは重要文化財。
この門をくぐることによってあらゆる執着心から解き放たれることを意味するそうです。安永4年(1775)に万拙硯誼(ばんせつせきぎ)和尚が関東一円から浄財を募って再建されました。
画像を見ての通り、笑えるほどの土砂降り。体感温度が更に下がったみぃ様は「寒い寒い」と文句を言っておりました。嗚呼っ・・・三門の概念ガン無視(*ノωノ)
三門のすぐ隣には
国宝の梵鐘が。
建長7年(1255)に、大和権守物部重光(やまとごんのかみもののべしげみつ)が鋳造したもの。大覚禅師による建長禅寺銘文が浮き彫りにされている名鐘だそうです。
梵鐘。
雨・・・!!もう寒すぎて説明文を読んでも何も頭に入ってこず・・・。
柏槇(びゃくしん)の庭。
こちらは樹齢760年だそうです。
力強い幹と枝です。
参道の両側に大覚禅師のお手植えと言われる7本の柏槇の古木があります。創建当時から幾度かの火災を何とか免れ生き抜いてきたのだそう。
仏殿。
こちらも国重要文化財。
建長寺の本尊地蔵菩薩坐像を安置している場所です。正保4年(1647)に東京・芝の増上寺より徳川二代将軍秀忠の夫人、お江の方(家光の母)の霊屋を移築したものだそうです。
仏殿内も人影はなく独り占め状態。ある意味ラッキー?!
本尊地蔵菩薩坐像。
天井は見事な細工が。
格天井には鳳凰のような鳥の絵が描かれていて折上格天井の中心には見事な彫刻が施されていました。既に色褪せてはいるものの、当初は色鮮やかで華やかな天井だったことがうかがえます。
法堂(はっとう)。こちらも国重要文化財です。
そして雨は止むどころか容赦なく降り続けていました・・・(;'∀')
外観を撮るにはコンディションが悪すぎて、ここが限界でした☆彡(このとき何を撮っても真っ白になりました 笑)
なので外観はこちらの借り物画像を貼らせていただきます<(_ _)>
↓
建長寺全体が修行道場であり、敷地にいる僧侶全員がこの法堂に集まり住持(=住職)の説法を聴いたとされ、388人の僧侶がいたという記録が残っています。現在は法要・講演・展覧会などの会場となっているそうです。
現在は千手観音(迷いの中から救い悟りを得るために偉大な働きを持つ観音)を本尊としています。手前には釈迦苦行像がありました。ガンダーラ文明の遺産でラホール中央博物館に安置されている像の模造で、平成17年(2005)の愛知万博に陳列された後パキスタン国より建長寺に寄贈されたそうです。
天井の雲龍図。
建長寺の創建750年を記念して、平成15年(2003)小泉淳作画伯によって描かれました。
唐門。こちらもまた国重要文化財です。
方丈の門で、別名龍王殿とも呼ばれています。元々は1628年、お江の方の霊屋(おたまや=墓のお堂)の門として建てられましたが、1647年、仏殿・西来門(せいらんもん)と共に建長寺に寄附されました。特徴的な四脚門(よつあしもん)は漆塗りで、2011年に解体修理が行われ当時の輝きを取り戻しました。
門の前には立派なしだれ桜が。ピーク時は綺麗だっただろうな。
その後靴を脱いで方丈内へ移動。
広い畳の間が広がっていました。
本来は住持が居住する場所なのですが、現在は法要・座禅・研修の場として使用されているそうです。ここも総門と同じ昭和15年に京都の般舟三昧院より移築れたのだそうです。
方丈から見える唐門。
左側に見える建物は大庫裏(寺務所)です。
庭園。
江戸時代に改修された庭だそうで、池の中に島を置き、橋を架け、石や岩を配すなどし日本的な景観を表現。画像右端に見える“得月楼”は二階の楼閣形式で作成された中国の園林を模したもので、平成15年(2003)に約600年ぶりに復興されたものだそうです。
得月楼へつながる渡り廊下。
花頭窓(かとうまど)。
円覚寺でも多く見られました。禅宗寺院の建築とともに中国から伝わり、唐様(からよう)建築に多く用いられ、茶席では広間の床脇書院の窓に多く用いられているそうです。
簡素で凛とした空間が素敵°˖✧
そうそう。これを書くためにリーフレットを見ていたら唐門から更に20分ほど歩いた先に、半坊僧や勝上嶽の展望台などまだまだ見るべきところがあった模様・・・。雨に気を削がれ完全に見落としていました(;'∀')(;'∀')(;'∀')
残念~~~。
でもこの日は限界だったかなあ??
何しろあの雨だったし(-_-;)
そんな中、H氏が「中村獅童と建長寺との関係が分からない」とぽつり。何故に中村獅童・・・?と疑問に思っていたら、鎌倉殿の13人で梶原景時役で出演していたんですね(;'∀')←途中で観るのやめた人。
ぐるぐる先生によると、建長寺では梶原景時の亡霊を弔う行事があるそうです。由来は以下の通り。
梶原景時の死後50年あまり経ったころ、建長寺三門で行われる「施餓鬼会」(餓鬼道に堕ちた衆生に浄水や食べ物を供えて追善供養する行事)にひとりの武者が訪れます。しかし、既に会が終わっていた事を知り肩を落として帰って行きます。そこで、大覚禅師(蘭渓道隆)が弟子に武者を呼び戻すよう使いを出し、もう一度施餓鬼会を執り行うと武者は自分が梶原景時であることを名乗り、感謝の言葉を残し姿を消しました。
以降、毎年必ず通常の施餓鬼会に続けて梶原景時のための施餓鬼会を行うようになったとの事です。
うーん。これまた神話的逸話(゚∀゚)キタコレ!!
H氏の謎が解けスッキリ°˖✧
ではでは、今日はこのへんで。
以上!
雨の鎌倉散歩。*建長寺*
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>
またまたお久しぶりです(;'∀')
気が付けば6日間経過していましたあああああ。
ラーの生活リズムに合わせていると寝る時間がとても早くなり
まっっったく!blogまでたどり着けませんでした(-_-;)
飲んだ食ったを一旦中断して、
いつかの雨の鎌倉散歩の事なんぞ。
北鎌倉駅にてH氏と現地集合。
情緒のあるこぢんまりとした駅で、お出かけ気分が高まります。
徒歩1分の円覚寺へ。
三門(山門)。
三門は三解脱さんげだつ(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれ、
諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。
天明5年(1785)、開山・無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師(だいゆうこくし)によって再建され、
現在は神奈川県指定重要文化財となっています。(HPより抜粋)
・
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この日は生憎の雨。
最初は「雨の鎌倉もいいね」なんて言いながら歩いていたのですが
シャレにならない雨量に苦笑い(;・∀・)
そんなこんなで仏殿の外観撮影は断念☆彡
こちらの画像は借り物です~。
円覚寺のご本尊が祀られている建物。
大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年(1964)に再建されたそうです。
雨の日の平日という事もあり、観光客はゼロ。
仏殿内は誰も居ませんでした。
祀られているのは、宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい)。
「白龍図」。
前田青邨せいそん画伯(1885〜1977)の監修のもと、
守屋多々志もりやただし画伯(1912〜2003)によって描かれたものです。
降ったり止んだり。
この日は本当に寒かったです:;(∩´﹏`∩);:
国宝の舎利殿。
新型コロナウイルスの対策の一環で今は非公開となっています。
HPでは動画でお参りをと書かれていました笑。
「佛牙舎利(ぶつげしゃり)」というお釈迦様の歯が祀られています。
開基廟(かいきびょう)。
円覚寺の開基、北条時宗のご廟所(お墓)。
ここは円覚寺の拝観料金とは別に100円で拝観出来るのですが今回はスルー。
雨も強く振りだしていたし、まだまだ先に予定もあったので。
次回・・・はいつになるのだろう(;'∀')
白鹿洞(びゃくろくどう)。
円覚寺開堂の日、開山無学祖元(むがくそげん)禅師の説法を聴こうとして
集まった多くの 人々と共に、この洞穴より白鹿が群れなし、禅師の説法を聴いたとされる場所。
偉人にはこうした神話的な逸話がつきものですよね(´ー`*)ウンウン
道沿いに咲いていた山吹がとてもきれいでした(*´▽`*)
続いて
黄梅院(おうばいいん)。
北条時宗の妻である、覚山尼(かくさんに)が時宗追善の為に建立した華厳塔(けごんとう)の敷地に、
文和三年(1354年)に円覚寺第十五世夢窓国師(むそうこくし)の塔所として建てられたそうです。
後の応安元年(1368年)、室町幕府二代将軍足利義詮(あしかがよしあきら)の遺骨が分骨され
足利家の菩提所としての性格も帯びているそうです。
絶妙なバランスでお手入れされたお庭。
自然に溶け込むような趣のある景色が印象的です。
雨で草木も生き生きしていました
蹲(つくばい)にさり気なく飾られたお花が愛らしい。
オオデマリかな??
聖観音堂。
少し移動して
如意庵へ。
せっかく階段を昇って行ったのに立ち入り禁止でした⛔
以前は「安寧an-nei」というカフェがあったそうなのですが
2020年に閉店して以降は拝観不可となったそうです。
これもコロナの影響なのでしょうか??
寂しいですね(゜-゜)
妙香池 (みょうこうち)。
創建当初よりある放生池(ほうじょうち)で、
江戸時代初期の絵図に基づき、平成12年(2000)方丈裏庭園と合致した自然の姿に復元。
向こう岸の露出した岩盤を虎の頭に見立てて、「虎頭岩ごとうがん」と呼ばれているそうです。
さて。
ここからヘンテコな方向から
方丈の裏庭に出てきました 笑
こちらが方丈。
住職が居住する建物を方丈と呼ぶそうなのですが、
現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、をはじめとしたイベントなど多目的に使われてるそうです。
コンサートが行われることもあるそうです。
音響良さそう♬
柏槇(ビャクシン)
樹齢700年以上と言われている巨木。
樹木医による治療あとがありました。
市指定天然記念物だそうです。
百観音霊場。
江戸時代に拙叟尊者(せっそうそんじゃ)百体の生物を岩窟に泰安したことから始まり
明治に入り今北 洪川(いまきた こうぜん)が整備したそうです。
のちに円覚寺の百観音のを結願所として同派の寺院に百観音巡礼の札所が開設されます。
昔、霊場に写経を納めた証として押されていた納経印が
時を経て今の御朱印へと形をかえたそうです。
ずらりと並んだ観音像。
アングルが悪くて伝わりにくいですがなかなかの壮観でした。
八重桜もきれいに咲いていました。
歩いていたら唐門の看板が。
振り返ると先ほど立ち寄った百観音霊場の入り口でした。
あらま。
どうもこちらかが正面だったようです 笑。
アングルが悪くてすみません。雨脚が強くなり傘をさしながらの撮影であまりうまく撮れませんでした(-_-;)
「唐破風」と呼ばれる屋根の形。
弓を横にしたような形が特徴的です。
平安後期からの建築様式だそうです。
天保年間の1839年に建立された円覚寺の唐門の扉のレリーフ(浮き彫り)。
迫力満点です。
龍が象られれています。
そういえば仏殿内の天井にも龍が描かれていました。
「龍」をご神体としているお寺なんですね(゚д゚)(。_。)
こちらは狛犬・・・?
ラストはこのお寺の目玉ともいえる国宝 洪鐘(おおがね)。
なっがい階段。
H氏「うげっ。」と言ってました(;'∀')
約140段あるそうですが、昔ラーが通っていた保育園の階段の方が長いんですけどね~。
弁天堂。
江の島の弁才天と60年に一度大祭が行われているそうです~。
知らなんだ・・・。
肝心要の建物をうっこり取り忘れたので、こちらもお借りしました(*ノωノ)
洪鐘(おおがね)。
関東で最も大きい洪鐘(高さ259.5cm)で、国宝に指定されています。
円覚寺の開基である北条時宗の子である貞時が
正安3年(1301)、国家安泰を祈願して寄進したものです。
最後に国宝をしっかりと拝んで円覚寺をあとにしました。
雨は降るわ寒いわで、全般的にとてもいい加減な画像ばかりになりましたが
どこを見ても美しい景色で、ひとりで写真撮る目的だけで来たい!!
と思える場所でした
ぷっ・・・(゚∀゚)は━━━━・・・!!!
見どころ満載過ぎて脳みそが疲れました。
こういう名所に来るたびに自分の無知に気づかされます。
H氏は割と歴史マニアなのでとても詳しくて
私の100倍は満喫しているように見えました。
悔しいわっっ。
せめて「鎌倉殿の13人」真面目に観とけばよかった(;'∀')
(私は最初の3話までしか観ていません)
時々俳優さんの名前で教えてくれるH氏の説明が分かりやすかったです。
実はこのあとまだまだお寺を巡っております。
なのでこれ、まだしばらく続きますです。
気力のある方はどうぞお付き合いくださいませ<(_ _)>
ではでは今日はこのへんで。
以上!
雨の鎌倉散歩。*円覚寺*
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>