ノーやん日記パート2

初霜

 けさ霜が降りたらしい。花壇にはそんなようすはなかったが、数百メートル北の貸し農園で野菜をつくっているYさんから教えられた。「霜が降りてました。大根を土に埋めてきました」という。埋めれば大丈夫らしい。ホウレンソウは霜ガ降りると甘くなるのだそうだ。「花のほうはどうですか」と訊ねられた。「ここは霜は降りてないので大丈夫です」と答えた。花がら摘みをしながら、「花も連作すると障害が起きるらしいです」というと、「花もねえ」。「でも、あまり薬を使わず自然に強く育てることが大事だそうですよ」「そうですね。人間も同じ。過保護にしたり薬に頼りすぎるともやしみたいになっちゃう」。
 きょうも、花がらはわずかしかない。黄色くなった下葉を鋏で切り取るだけだ。同じ日当たりなのに、大きな株に大きな花をつけるものもあれば、まだ小柄で花のつぼみをちょこっとだけというのもある。生長の早い遅いは気にしない。どれも元気に春を迎えるようにしてやりたい。菜の花の花壇は霜が解けたのか葉が露に濡れている。少し間引いた。ムラサキハナナは快復しているようすはない。こちらは、薬をやる必要があるかもしれない。
 補植用にケースで育てているパンジー、ビオラのポット苗は、カラスも正月休をしたのか被害に遭わなかった。人とカラスの関係を見直すことからはじめるべきではないかと考えたがやはりそのように思う。このあたりにカラスが多いのは、塒(ねぐら)となる竹林や森が多いという条件に加えエサになるゴミ置き場が多いことではないか。竹林や公園のある環境に居住しようと集まるのは人もカラスも同じだろう。ただ、食べ物はカラスの場合、公園の森になる実や昆虫、ねずみ、いたちなど絶対量が限定される。おのずと人間の食い残しのあるゴミ置き場や食品を扱うスーパー、コンビニなどをねらい乞食生活を常習とするようになったのだろう。その味が忘れられずマンションという人間の居住空間も我が物顔するようになったのだろう。そう考えると、カラスが人の食べ残しにありつけないようにする対策、人間に近づいても無駄だと思わせる対策を考えるべきではないか。“カラスのふりみてわが身をただせ”である。東京の品川区では金網で囲ったゴミ回収ボックスを設置したらカラスが諦めてこなくなったという。オーストラリアのメルボルンでは各戸にゴミ専用ボックスがあり、カラスは近づきようがないという。ゴミ袋の上にネットをかぶせるだけではつまみ出してくうものもあるというからこの程度では効き目は少ない。人の食べ物類のゴミは原則として外へ出さない、カラスの目に触れさせない、それくらい思い切ったことはできないだろうか。いわゆる生ゴミは一般ゴミと区別し再生資源としてリサイクルする。例えば有機肥料に再生した場合は農業生産者に優先的にバックするシステムをつくる。大量消費使い捨て時代の名残のようなレジ袋は使わない。リサイクル推進家庭や事業者には税制上の措置も講じる。腐敗し悪臭を発生する対策は別途講じる。食べ残しなど飽食の生活習慣を改める。学校給食から食育として取り組む。かって、英国の初代駐日公使オールコックは、その著書「大君の都」で、人間の排泄物ー糞尿を活用する当時の日本農業を「模範的な農業」と評した。資源小国日本の知恵である。そういう知恵を働かせることは日本人の得意とするところではないか。その上でカラスには人のものに嘴を出したら酷い目にあうということを覚えさせる。ノーカラスデーも実施し、カラスを団地やマンションによせつけない。そういう対策を積み上げていって人とカラスが自然な距離をたもってくらすように人とカラスの関係を変える。ーそういうことはできないだろうか。半世紀ぐらいかけて。
さめざめと初霜消ゆる佳き日なり 蒼石
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