ノーやん日記パート2

今朝秋

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 薄曇り。けさもひんやり涼風が部屋を吹き抜ける。まちがいなくけさの秋。ランニングシャツとステテコ姿ではうすら寒い。トレーナーとポロシャツを着る。花壇に出る。タマスダレが目に入る(写真上)。土が湿っているので水やりはせず。マリーゴールドの花がらをつみ、枯れ枝を剪る。部屋に戻って、NZの「生物多様性をめざすまちづくり」(林まゆみ著)を読む。読み進めばすすむほど夢が湧いてくる。

 自然の生態系とともに生きるというのは素晴らしいことと思う。日本も早くそうしたいものだ。人が勝手に自然をこわし、自然を人に従わせる時代は終わった。昼前、スーパーへ寄せ揚げを買いに出る。アベリアの刈り込みが目に入る(写真下)。

 午後は、自転車で吹田へ買い物へ。北急桃山台駅へさしかかったところで自転車の後輪が「パ~ン」。すごい音を発しゴトゴト止まる。アジャパァ。パンクや。坂道を引き返し、骨董屋さんに修理を頼む。「タイヤを替えなあかんで」「さよか。しゃあないな」。修理を終えて、新御堂筋を下る。江坂の古本屋天牛本店に立ち寄る。

 吹田の旭通り商店街で買い物を済ませ、駅前さんくすの地下の立ち飲み屋へ。沖縄の「菊の露」を飲む。和製バーボンの味や。客同士、尖閣諸島の中国漁船拿捕・船長逮捕事件を議論している。船長を処分保留で釈放したのはへっぴり腰だと。尖閣島が沖縄県の一部であることは、歴史を検証すれば明白な話。余計な嘴は挟まず千里山の坂道をえんやらこら登り帰る。

アベリアの籬に立ち飲む秋の蝶 愚句
炭焼きの千里は昔楢の瘤 同

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%ふつうの顔webry%}寛永3年(1626)に武州代官間宮三郎衛門の指図のもとに開発され、延宝6年(1678)、延宝検地に従わなかった農民が逮捕された穏田事件があったそうです。郷土史に記されています。炭焼きや竹の子の話もまちの有力者の聞き書きがあります。
fm
飛騨とか石見が天領というのは分かりますが、「炭焼き」や「竹の子」で天領というのはどうも。地政学的に京都や大阪に目を配るということでしょうか。
ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}わがまちは、その昔幕府の直轄地。先人は丘陵地を開拓し溜池をつくりコメ、カキ、桃、竹の子などの栽培とともに、炭焼きもしたそうです。過酷な重税に耐えかね直訴したという義民伝も残っています。
fm
「炭焼きの千里は昔楢の瘤」

千里は炭焼きの村だったのですか。炭焼きと貧困を結び付けてしまいます。情緒はありますけど。
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