ノーやん日記パート2

哭雨

 哭雨は、造語。正しくは、穀雨。人々のいのちのおおもと、穀類の種まきどき。田を耕し、水を引き、稲を植え、収穫するまで、炎天下の農作業が始まるが、その時節が来たんや。本来は、めでたい時節の到来である。
 なのに。現実はそやない。おコメ作りでは生活ができん。お百姓さんが泣いてはる。どういうこっちゃ。穀雨とは。
  どんだけの人が、ありがたい季節が来たと考えているやろか。ぼくも含めてやけど考える。
  いま日本で、お米や麦の種まく人、どれくらい、いてはるんやろ?ぼくも、子どもの頃の記憶でしかない。たいがい昔は、田んぼは賑やかだったように思う。いまは、そんなこと知らん人の方が多いのでは。大人も子どもも。
 いっしょけんめい汗を流している農家の皆さんがやっていけん、いうのんは国の土台作りがどっか間違うてるんやおまへんか。
 農家のことだけやない。きのう、線路工事の仕事をしてはる知り合いに話を聞いた。ことしはじめ、会社から一方的に日給を2千円下げられた、いややったらやめてもろてええでといわれた、弱いもんは泣くしかしゃアないのか、収入が減って家賃を払ったら、国保料も払えん、食うもんも食えん、そのうえ歯も身体もガタガタや、辛抱し缶詰食うてしのいでる、わしの命なんかどうでもええ、借金返すため生活保護受けんと働いてるが…働いて税金も納めてるのに、なんで生きていかれへんのや…。ぼくは、ことばに窮した。じっと聞いた。知人は話をするにつれ涙ぐんだ。
 労働も社会のおおもと。働いてる人が自分の命の保持を諦める、というのはどういうこっちゃ。どっか狂ってると思わざるをえない。 湯浅誠の「反貧困」を読んだ。ぼくのボランティア体験からも、貧困の実相分析にはうなづくところが多い。貧乏と貧困の違いも教えられた。河上肇博士の「貧乏物語」を超えるビッグな本だ。現代の貧困と哭雨を考え、穀雨を詠える世の中にしたい。
 風食うてまた床に入る穀雨かな 密二
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