日本列島が騒然となった1960年夏。日米同盟の片務性を対等にするという理屈で「安保条約」改定を強行した岸信介内閣。忘れもしない1960年5月19日深夜、安保改定の調印が衆院本会議で強行採決された。その翌朝、各紙は一面トップで「強行採決」を報じた。下宿にテレビもない当時、ぼくは、法学部学生自治会名で抗議声明を学舍のコンコースに張り出した。クラス声明もあいついだ。緊急の抗議集会には、刑法学の権威U教授らも「議会制民主主義」破壊を許すなと訴えた。6・4スト、6・15、6・22の批准阻止へと連続的に国民が活動し、子どもの「安保反対ごっこ」も報道された。その記憶がオ―バ―ラップするいまの「平和安全法制」論議。
一部評論家が、ホルムズ海峡を通れない事態が生じたらどうするんや、派遣される自衛隊員のリスクより国民生活のリスクの方が大事やないかという主張をネットに載せている。驚いた。その筆者は、日本がこの70年間平和なのは、アメリカの軍事力にすがる日米同盟のお陰やともいう。典型的な拝米先生。日本の平和は「憲法」のお蔭とはひとことも言わず、立法の都合が悪かったら憲法を変えればええやないか、とまでいう。屁理屈で世を動かそうとする輩が威張っているのは日本の大恥ではないか。
腹がたっていろいろ書き連ねたが、昼はパスタ。午後、哲学の勉強会に顔を出す。冷酒で頭を冷やす。
空爆の唸り離れぬ夏の月 昇龍子
夏草を兵のトラック揺られゆく 同
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ノーやん
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