ノーやん日記パート2

バサラ

 乱世の南北朝時代を描いた吉川英治の「私本太平記」を読み了えた。古典「太平記」や「梅松論」「神皇正統記」など諸本を参照しながら吉川英治は独自の史観で歴史を現代風にドラマ化して書いた。「新・平家物語」もそうだったが、この本も最後まで読ませられてしまった。読者も当然に抱く尊氏の素性をめぐる疑問を、「黒白問答」のなかで覚一法師に答えさせ「私にもわかりません」と、はぐらかせてしまった。それは読者とも共有する立場でもある。それほどたくみに作者は、足利尊氏や楠木正成の生涯を描いた。
 南北朝の内乱騒ぎが歴史的にどういう意味をもっていたか。王朝権力の没落と武家幕府の登場、つまり古代社会から封建制社会へ日本が大きく変動した時期の一大ドキュメントと、現代のわれわれが理解すればこと足りることで、尊氏をめぐるそれ以上の史実の詮索、深入りは専門家に委ねればよい話だろう。
 原作は1991年のNHK大河ドラマになった。恥ずかしながらぼくは映像を見ていない。見ようとも思わないが、小説は映像化を十分に意識したと思われるほど見事な筆捌きである。そのなかで引っかかったくだりがある。佐々木道誉の「バサラ」ぶりである。「バサラ」とは室町時代の流行語らしく、「婆沙羅」あるいは「跋折羅」といい、遠慮会釈なくふるまうことをいうらしい。佐々木道誉はそのさきがけのような人物で、「茶寄合」という博打に「数千貫を賭けた」という遊びに打ち興じたり、花の遊戯「立花」にも一家言もって興じていたらしい。「立花」とは今でいう「生け花」のことらしい。あだ花というべきかどうか。殺伐とした南北朝の世にそんな風雅の華が咲いたとは思いもよらぬ話である。歴史は皮肉なものだ。
金色の壺は新茶よ身ほとりに 青邨
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