きょうはそれとは関係のない土用丑の鰻の話。ぼくはうなぎの蒲焼が大好き。小学生のころ川で鰻取りをした。小ぶりだったが兄が捌いて母が七輪で焼いた。うまかった。いまも覚えている。落下傘の糸の先に泥鰌の頭つき身半分をミシン針に挿し、田に水を引く石垣のある小川で仕掛けたこともある。友だちの仕掛けにはかかりぼくのにはかからんかった。悔しい思いも忘れられない。
先週の千里句会でTさんが京都の日本海側に流れる川で大鰻を釣り上げた話をした。ご自宅近くのトト屋(魚屋さん)に捌きを頼んだが断られたという。日本人は鰻の捌きも出来んようになったんか。そのTさん、釣り上げた大鰻を川へ放してやったという。じ~んときた。それが釣り人のマナーなのかも。
ところでわが家では愚娘が小学生になるかならんかの頃、鰻の蒲焼がのどに刺さって以来、食卓に鰻が出ることはなくなった。ところがきょう、賢妻が夕食に鰻の蒲焼を買って来た。サンキュ―。飛び上るほど嬉しいね。じつは愚老きょう、天神橋に出て鰻の匂いを嗅ぎに六丁目から三丁目までそぞろ歩きを企んだ(写真下)。が鰻の匂いはどこにもなかった。
鰻。万葉集巻の十六[三八五三]に「石麻呂に吾物申す夏痩せに良しといふものぞ武奈伎漁り食せ」がある。大伴家持の歌。「日本の鰻の歌では最古のものだろう」(岩満重孝「百魚歳時記」)という。旧約聖書のモーゼの教えには鰻は鱗のない魚だから食べてはいけないとあるそうな。
ルンペンの土用鰻香風まかせ 静塔
蒲焼の匂いいずこや土用入り 愚老
根は千切れ身はくたくたの蝦夷菊よ 同
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ノーやん
fm
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