ひと昔前、無縁社会という言葉が流行りました。
社会から孤立した人、孤立せざるを得なくなった人たちの多さを指しての言葉です。
いま、あまり聞かれなくなったのは、無縁がそれだけ常態化したからでしょうか。
が、袖振り合うにも多少の縁があると思えば、生きて無縁でいることも難しい。
おそらく真に無縁になるのは死んだ時だけ。
それとて、生きている人間にとっては、死者ともまた無縁ではいられない。
その縁というもの、実はかなり厄介なものでもある。
男女の縁、親子兄弟親戚との縁・・・時に手枷足枷ともなる縁からは逃れたい。
そういう気持ちになることは、多少なりとも誰にでもあるような気がします。
わたしも若い頃、無縁願望を持ったことがあります。
西行、兼好、法然・・・近くでは放哉、山頭火・・・。
必ずしも出家遁世ではなく、漂白願望に近い心境か。
とはいえ、それもいっときのこと。
過ぎた人生の大半は、多くの人との縁に恵まれました。
そうした縁に、人の力を超えた何かを感じることも。
縁は異なもの味なもの。
それは男女関係に限らず、人と人との縁のすべてについても言えるのでしょう。
この歳になって、ようやくその味わいがわかってきたのかも。