今年の夏は蝉の声が少ない気がします。
そういえば、姿もほとんど見かけません。
いつもの夏なら網戸に止まったり、外廊下にひっくり返ったりしているのに・・・。
蝉の俳句と言えば、芭蕉の「しずかさや 岩にしみいる 蝉の声」。
むかし、この蝉はどんな種類のセミだったのか、という論争もありました。
「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」、これも芭蕉の句。
人間の無常観を詠んだ句といわれていますが、それに異を唱える人も。
鈴木大拙著「禅と日本文化」の中の一節。
「蝉が己の存在を知らせるために鳴いている事実、
そこに無常感を持ち込み、蝉をけなしたりするのは人間の勝手ではないか」
「蝉は人間の悩みなど知らない。
鳴ける間は生きていて、時が来れば終わる生命に焦るわけでもない。
無常を思い煩って何になる?」
そんなことが書いてあって、なるほどな・・・。
芭蕉も禅を修行したといいますから、そうかもね。
俳句にしても禅にしても、理屈で解釈するものではなさそうです。
禅は、知性や知識ではなく、体験をもってこの世の真実を体感するものだといいます。
先にあげた本の中にも、禅は「無意識を意識すること」とあります。
聴こえない蝉の声に、そんなことを思う夏の朝でした。