蝉がきた
2017-08-21 | 日記
蝉の声が聞こえない、姿も見えない。
昨日のブログでそう書いたら、しばらくして、蝉が一匹網戸にとまってジイジイジジイ爺爺・・・。
何の因果関係もないのでしょうが、何だか不思議な感覚です。
蝉から芭蕉の句へ、そこから鈴木大拙の禅へ。
これは因果関係というより、連想でつながったものでしょう。
因みに、鈴木大拙はユングと親交があったといい、ユングも禅に深い関心があったとか。
何の因果関係も無いはずの出来事が連鎖して起きるのが「共時性=シンクロニシティ」。
ユングの提唱した概念の一つです。
冒頭に書いたことも、その一つなのかもしれません。
こうしたことは時折体験することでもあって、理屈ではなかなか説明しにくいものがあります。
合理的、科学的というだけではこの世界は捉えがたい、ということにもつながります。
ユングの「元型」とか「集合的無意識」とかも、そんなところから生まれたのかも。
考え、感じることの共通の根っこが、無意識のうちに存在する。
それは人だけでなく、蝉にも花にも、生きとし生けるものすべてにある。
ユングの考えを辿ってゆくと、どうしてもオカルトっぽくなって・・・でも、それがけっこう面白い。