ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

面白がるのがいちばん大事!

2014-05-16 | 日記


近頃は、将棋や碁を大学の授業に取り入れることが多くなっているそうです。
合理的な思考力を養うのにいいという理由からです。
わたしは将棋も碁もできません、だから合理的な思考ができないのか・・・・。

たまたまネットで羽生3冠王のインタビュー記事を読みました。
親の期待が無かったことがよかった・・・・と彼は言っています。
そうか、わたしは親に期待されたからなあ、だからダメだったのか・・・・。

教えてくれたトモダチがいて、将棋ができる場があったことも大きかった。
そうか、家庭環境だけじゃないのですね。
わたしにはそういうトモダチもいなかったし、道場もなかった・・・・。

それよりなにより、とにかく将棋を指すことが面白かったそうです。
とくに、わからない、というところが面白かったといいます。
わからなければふつうはイヤになる・・・・このあたりが凡人と違うところでしょう。

でも、わからないから考える・・・・そして、わかった、できた!
たいていのことはこうしたプロセスをたどるわけです。
だったら、そのプロセスをまるごと面白がる、楽しむということはホントに大事かも。

結果や知識より、経験して試行錯誤していくプロセスが大事。
これはどんな仕事でも同じでしょう・・・・失敗が人を作る!
わたしも面白がって仕事をし、数々の失敗を積み重ねてきました。
でも、いまだに人が作られていないのはなぜ? 

“蓄積された情報は日々色あせて行く”という言葉も印象的でした。
覚える、記憶するだけの教育ではダメだということでもあります。
文科省も大学教育もやっとそれがわかってきた・・・・たいへん喜ばしいと思います。

読んだらボタンをポチッと押してね!趣味ぶろ 教室ブログランキング

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イライラが募ってきたけれど・・・・

2014-05-15 | 日記


ここのところ寒暖の差が激しいようです。
体調にも、精神的にもよくないようで、ちょっとイラつき気味です。
といっても天候が直接というわけではなくて、犯人はWindows8.1。

テキスト作りに思いのほか時間を費やしています。
一応市販テキストを参考にしているのですが、実はこれが問題。
8.1完全対応と謳っているのですが、完全対応になっていません。

どうやら8.1以降もこまめにアップデートが入って、ちょこまかと機能改善されている様子。
改善してくれるのはいいとしても、操作がテキストと変わっているのが困ります。
ここは変わっていないのか・・・・いちいち実機での確認が必要になります。

たとえば、モダンアプリの画面に、閉じるや最小化・最大化などの機能が追加されました。
これなどはテキストには載っていない機能の一つ。
画面の上端をマウスでポイントすると水平バーがぬっと現れ、右隅にお馴染みの赤い×印。

それはいいとして、タッチで同じことはできません。
相変わらず、画面上端から下端まで指でスライドして閉じる仕様です。
マウスとタッチ操作は、できるだけ同じにしてよね。

マウスで複数画面を表示させるやり方もテキストとは違ってきています。
でも、タッチ操作は従来どおり・・・・ますます操作にまごつくような気がします。
ただ、マウス操作だけを考えると、それなりに操作性は向上しているのですが・・・・。

喰わず嫌い?のところがあったWin8ですが、意外とよいところもあります。
フォトアプリで、一つのアプリで画像のトリミングや補正などできるのは便利。
デジカメやスマホの写真を取込むのも、インポート機能で簡単になりました。

そんなこんなで苦労していますが、明日がリミット、頑張らなくちゃ・・・・。

読んだらボタンをポチッと押してね!趣味ぶろ 教室ブログランキング

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は雑談講座デー・・・・

2014-05-14 | 日記


2週つづきの雨の講座、雨爺になったかな・・・・。
午前中はiPadの2回目講座で、文字入力、音声入力が中心のカリキュラム。
60代、70代の3名の人たちと雑談しながらの講座でした。

Siriを使って調べるのは、病気、病院、美味しい食べ物屋・・・・。
その都度、話に花が咲いて、2時間コースのうち実質の説明は1時間以下。
この年代になると、あくせくとしないで、趣味悠々の人も少なくありません。
久しぶりに、コミュニティ的な講座が実現できて、楽しい時間を過ごさせてもらいました。

終わった時にメンバーの一人がやってきました。
フラッシュを使った教材が表示されないパソコンが4台あって、その調査です。
一緒にあれこれやって原因究明、アクティブ・フィルターがなぜか有効になっていました。

1台だけはどうしても直らず後回し。
近くに美味しい店はない、台湾料理の店はどう? 「あんまり美味しくないです」
その向かいのキッチン何とかは? 「まあまあかな、ハンバーグのランチがおすすめ」

雨は上がりました。
そのキッチン何とかに行ってましたが、店にはシャッターが下りていて定休日?
先週も同じだったから、もしかして潰れてしまったかな・・・・。

しかたなく、コンビニでおにぎりを買って戻りました。
図書館内は飲食禁止・・・・で、こっそりと食べながら、不良PCの調査の続き。
どうやら、この1台だけはフラッシュのバージョンアップがうまく行っていなかった模様。
インストールをやり直して一件落着しました。

午後はネット入門の講座で、40代~60代の女性ばかり4名。
もともとゆったりとしたカリキュラムなので、時間の半分は自由にネット検索。
あれこれと余計な話をしながら進めて、どうやら昨日は雑談講座デー・・・・。

読んだらボタンをポチッと押してね!趣味ぶろ 教室ブログランキング

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

点から線へ・・・・ネットワークの難しさ

2014-05-13 | 日記


半世紀近く前、コンピュータはオフラインからオンラインへ向かう時代でした。
そして本支店のネットワークから、同業間のネットワークへ。
たとえば為替決済のネットワーク、CD/ATMのネットワークなどがありました。

そんな時代に仕事をしてきたわたしには、つなぐ、結ぶは日常のできごとでした。
1つ1つが点の存在ではなく、線としてつながり、線と腺がつながって面になる。
そんなイメージをよく思い描いていたものでした。

コンピュータの世界では、それがインターネットとなってすでに実現しました。
ただ、それは通信規約という一種のモノに支えられているツールにしか過ぎません。
そのツールを手にしたヒトのネットワークがどれほどのものかはまだ判然としません。

モノは規格化、統一化ができますが、人はそれができません。
とくに個人を重視する国であればあるほど、個人をつなぐ共通項を見出すのは難しい。
それを、国家という共通項でつなげようとする動きも時代錯誤の気がします。

志を同じくする、使命を共にする、というのも一つの共通項です。
こうしたネットワークは数多いでしょうし、わたしたちの団体もその1つだと思います。
これは同種結合の世界で、ローカルネットワーク第一ステップ。

第2ステップがローカルネットワーク同士の結合です。
これがなかなか難しい。というのは同種結合が「排他的」な要素も併せ持つからです。
同種だからといって、それをつなごうとすると異種結合になってしまうのです。

いったい、何の話に持って行こうとしているのでしょうか。
実は、来年度から市民活動支援センターが指定管理者の運営から自治体直営に変わります。
そこを地域のNPOネットワーク拠点にしたいと、以前、考えていたことがあります。

改めてそのことを考えていて、実は、拠点という発想そのものが旧いのではないか。
なぜならインターネットには拠点というものがない!
そこにヒントがあるように思えるのですが、考えが煮詰まっていないようなので、いずれまた。

読んだらボタンをポチッと押してね!趣味ぶろ 教室ブログランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親孝行したい時には他人様へ

2014-05-12 | 日記


近所の寿司屋の前に自転車がズラリと駐輪。
母の日ね・・・・家族親戚で祝っているのかも、とカミさん。
そうだとしたら、他人の家のことながら、ほんのりシアワセな気分になれます。

事親孝行したい時には親はなし。
生きているうちにもっと親孝行しておけばよかった、と思います。
カミさんもご同様の気分になったらしく・・・・でも、後悔先に立たず、です。

東日本大震災後、親孝行商品とか親孝行消費とかの言葉が生まれたようです。
家族のきずなの大切さを改めて感じたことが、そういう傾向を生んだのでしょう。
ヘルパー付きの旅行や家事代行サービスなどが人気だと聞きます。

一方で家族主義や家父長制復活みたいな動きもありますが、これはどうやら時代錯誤的。
親子兄弟他人・・・・愛憎入り混じる関係がこの世の倣い、主義や制度でどうなるものでもない。
遠くの親戚より近くの他人・・・・家族のきずなは決して万能ではありません。

若い時は、どうしても自分の生活が中心になりがちです。
経済的にも精神的にも余裕がなくて、なかなか他を顧みることができません。
ようやく少しゆとりが出来てきて、さあ、恩返し。でも、すでに親はいない。

恩返し、とは古めかしいかもしれませんが、そこには本来、親や他人の区別はないはず。
これまで生きて来られたのも、多くの人たちの支えがあってこそ。
その感謝の気持ちが、いまの自分の行動につながっているのかもしれません。

他人孝行、というとおこがましいですね。
他人様にわたしの親代わりになっていただいて親孝行・・・・といった心境でしょうか。

読んだらボタンをポチッと押してね!趣味ぶろ 教室ブログランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする