脳死は人の死か?
眠れぬままに考えていたら、脳がわたしか、わたしが脳か・・・。
ヘンなフレーズがアタマに湧いてきました。
近頃の脳科学ではどうなっているのでしょう?
魂の解剖学なんてものがあると面白いかも。
心理学というのはありますが、それとはちょっと違うもの。
脳死にしろ心臓死にしろ、死んで花実が咲くものか。
とはいうものの死ぬことを体験できた人はいない・・・。
それは言うなら、生まれたことも実感として体験してないから同じ?
生あるものは必ず死ぬ。
でも、いつ死ぬかはわからない。
だから生まれた瞬間から死は終生の友、あるいは敵か?
生と死は一枚の紙の表と裏、あるいは裏と表?
途中でひねってつなげればメビウスの輪。
生はやがて死となり、死はまた生となる・・・すなわち輪廻転生。
ところがどっこい、どんな紙にも端っこがある。
端っこには、表も裏も無いと思えば無いし、表も裏もあると思えばある。
表が裏か、裏が表か、生が死か、死が生か・・・それが問題だ!
2日間のご無沙汰でした。
曳舟川通りのソメイヨシノはとっくに散って葉桜に。
通りの京成の駅近くにハナミズキの並木、いまはそこの花が見頃です。
色は三通りで、白、ピンク、淡い紅。
その樹々の根元にはツツジの植え込みがあって、こちらの花は白と真紅色。
どの色も捨てがたいのですが、強いて言えば白が好み。
花々を愛でながらテクノへ請求書持参。
雑談しているうちに、9月の休館明けのリニューアルイベントの話に。
ふだん見られないところを見る館内ツアーはどうでしょう?
吉本の芸人さんを案内係に、スマホやタブレットで写真を取ります。
撮った写真を2Fのパソコンステーションで編集・加工・印刷して持ち帰り。
また、出来上がった作品はWebページに掲載してもいいかも・・・。
そのあと立石事務所へ。
常連さんが見えずに閑古鳥の午後でしたが、初めてのレッスン希望者がお二人。
うち、お一人の男性が国文学を研究されている方。
年季の入ったXPパソコンを使っておられて、源氏物語などの文書がぎっしり。
ワープロソフトが懐かしの一太郎で、文語体を書くにはこれでないと・・・。
たしかに、ここは国産ソフトの出番でしょう。
ネットを使うということだったので、新しいパソコンを買うことをオススメ。
パソコンの設定などには疎いというので、もし、必要ならサポートします・・・。
久しぶりに珍しいパソコンの使い方を見せてもらい、貴重なひと時を過ごさせてもらいました。
今の社会は、情報社会、デジタル社会といわれます。
でも、別に目新しいことではありません。
ヒトが言葉を喋り始めた時、すでにそうした社会が始まったのですから。
本来はつながっているアナログ世界を切り分けるものが言葉です。
だから、言葉はデジタルな記号なのです。
ヒトの脳もアナログ処理、デジタル処理を分担して行っています。
右利きの人は左脳がデジタル脳、右脳がアナログ脳で、左利きの人ならふつうはその反対。
デジタル脳は言語脳と呼ばれ、本を読むときなどに働きます。
音楽を聴いたり絵を見たりする時はアナログ脳が働くので、こちらは感性脳あるいは音楽脳。
だとしたら楽器の音も、右利きの人なら右脳で処理するはず。
が、日本人は左脳で処理しているらしく、調べた学者は、右脳閉塞症候群なのではないか?
といっても日常的に支障はなく、強いていうと感性に乏しい人が目立つくらい・・・。
実は、わたしの脳もかなり右脳閉塞気味。
50代の頃、脳検査を受けた時に、左脳に比べて右脳の運動不足?が判明。
自覚は無いのですが、人から見れば、ほんと感性の鈍いヤツなのかも・・・。
春嵐という言葉がピッタリの夜。
夜半に雨と風の音で二度も起こされてしまいました。
取り替えたサッシ窓、それほど防音性や気密性がよくなかったわけではない?
大学生の半数が読書時間ゼロ。
そんな新聞記事を目にして、あれまあ、なんともったいないことでしょう。
ついでに、若い頃のことを思い出しました。
会社に勤めて数年の頃です。
毎年、秋に自己申告書を提出し、自分の能力などを自己評価します。
その中に、趣味欄とか資格欄とかがあって、趣味はいつも読書と書いていました。
ところが、上司から、「読書は趣味なのか?」と問いただされました。
えっ、読書は趣味と違うんですか?
「読書は絶対に必要なものだろ? だったら趣味は読書なんてこと書くな」
なるほどね、と納得。
以降は、読書は抜いて、スポーツとか音楽とか・・・これは趣味でいいのかな?
というわけで、これも読書体験?の一つ。
読書の醍醐味の1つは時空を超えられること。
2千年以上も昔の人にも、本を通してなら出会えます。
まさに読書はタイムマシン・・・いまなら、趣味は時空旅行とも書けそう。