東近江市在住の鉄道フォトライター、「辻良樹さん」が11月13日、東近江市内であった市民フォーラム(八日市南ロータリー主催)で「近江鉄道の歴史を学ぶ」をテーマに講演し、鉄道と共に発展してきた八日市の地域性や、ターニングポイントとなった歴史をひも解き、発展の可能性を探った。
「近江鉄道」は、今年で開業126年を迎え、東武鉄道より開業が早く、日本有数の老舗私鉄。民間力でこんなに早く敷設された理由を「近江商人の財力と協力があったため」と説いた。
市民の長年の悲願 「JR乗り入れ」を!
明治22年(1889年)の官設鉄道(現・東海道本線)をきっかけに、内陸地域の衰退に危機感をもった中山道、御代参街道沿いや、彦根藩出身の有力者らが力を合わせて設立の機運を盛り上げた。「当時、阪神や阪急、京阪さえ未開業で偉業だった」と、エネルギッシュな先人に脱帽した。
しかし開業後は、近江鉄道本社敷地内にある石碑「辛苦是経営」の通り、経営難が続く。経営のターニングポイントだったとみるのは、いずれも昭和初期に頓挫した計画で、
(1)八日市から野洲を経由して大津市へ延伸する計画
(2)京阪系が起案した八日市から鈴鹿山脈をトンネルで貫通して名古屋まで結ぶ「名古屋急行電鉄」の計画
(3)戦後の、新八日市~御園(旧飛行場)間の休止(後に廃線)
このうち
(1)の八日市―大津線は国への免許申請で却下された。
(2)の名古屋急行電鉄の計画は、新京阪線(現阪急京都線)と直結し、後の近鉄に先んじて大阪と名古屋を結ぶ最短ルートだったが、昭和恐慌で親会社の京阪が断念した。辻さんは「これが実現すれば、東近江市は阪急沿線のように発展していたはず」と推測する。
そして(3)の新八日市~御園(旧飛行場)間は、終戦による陸軍八日市飛行場の閉鎖の影響で休止となり、後に廃線となった。「現在の廃線跡周辺は八日市で最も賑わう国道421号沿いに。先見の明があれば廃線にしなかっただろう」。
そして今春からは、車両運行(近江鉄道)と施設保有(滋賀県と沿線10市町)を分ける「上下分離方式」に移行し、鉄道線は存続した。
現状について、「発展の可能性のあるターニングポイントを過去同様に見送ってしまうかどうかの分岐点。八日市は、鉄道のイノベーションで変わる可能性を過去にも秘めていた。現状維持では関心は集まらない」と話した。」
そこで一案として示したのが、市民の長年の悲願である「JR線への乗り入れ」。国鉄時代は貨車乗り入れもあり、レール間の幅は同じで、JR西日本の安全基準等に合わすなど難題はあるが、チャレンジに値する。
「JR西日本の新快速はブランド。八日市から1本で草津や大津、京都方面へ。八日市と発展著しい草津が1本の列車で結ばれる効果も期待でき、周辺の本線各駅にも波及効果が生まれれば」と話す。
「近江鉄道線だけではなく、JR西日本との連携で変わることが理想」として期待を寄せた。
<記事・写真: 滋賀報知新聞より>
ブログ筆者コメント:
近江鉄道の存続については現状収支が合わないので滋賀県や市町村の税を投入して存続する形で進んでいる。しかし、これまでは小手先、現状維持が精一杯の発想だったが今回、講演者の辻芳樹さんの提言「近江鉄道のJR線への乗り入れ」は素晴らしい。現状アップアップの近江鉄道なのにとっぴ押しの案のように見えるが収縮発想ではなく将来性を見据え拡大発展計画があって良い。これまではややもするとちまちました内向きの発想だったと思う。
地方創生の一環として、滋賀県中部の「東近江」と「草津を中心とする「湖南地域」や京阪神と直結するJR線乗り入れは戦略的である。是非、滋賀県や市町、国会議員、JRを巻き込み長年の案・夢を実現して欲しい。この夢ある案なら市民の賛意は得られに違いない。