limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

ミスター DB ㉑

2018年02月06日 20時20分47秒 | 日記
窓から差し込む光が眩しい。今日は快晴だ。外はまだ肌寒いのかも知れないが、病棟は「温室」だから薄着でも困る事は無い。例の「大芝居」から2週間が経ち、私は落ち着きを取り戻し平穏な日々を送っていた。「また読んでるの?飽きない理由は何?」気づいたらHさんがいる。「時間でしたか」私は便箋を畳んで、体温計を受け取り脇に入れた。すかさず反対の腕に血圧計が巻かれた。毎朝恒例の「検温」の時間だった。「一代スペクタクルなのは分かるけど、夢中になり過ぎてはダメ!安静が一番!相変わらず低いなー、貧血じゃないのは分かるけど、この血圧の数値、男の人の数値じゃないわ。知らない看護師が見たら絶対に血圧計が壊れたと思う。脈を診るね」Hさんが時計を見ながら心拍を計り始めた。「相変わらずゆっくりだね。これが正常だと知らない人なら、卒倒する。間違いなく。体温計見せて」ここまで「けちょんけちょん」に言われても私には反論する余地が無い。バイタルは今日も正常だ。落ち着いている。気分も悪くない。「食事もちゃんと食べてるし、バイタルも変わりなし。やや、睡眠時間が足りないけれど、変わりなしと」Hさんが声に出して看護記録に書き込む。「午後にはIさんがお見舞いに来るそうよ。ホールで話してね。身体の事もあるから手短かに」Hさんの口調も穏やかになったものだ。それだけ「平穏」である証明でもある。私を脅かす存在はもう居ないのだ。私が大学病院に居ることすら、知らない人が大半だった。表向き「私は関東圏で治療中」なのだ。ミスターJやI氏が実行した「極秘計画」は完全に成功した。まさか「足元」に居るとは誰も考えていまい。
ミスターJからの手紙は、便箋10枚の「力作」であった。あれから私が大学病院に帰るまでには、様々な事が多々あった。まずは、KとDBのその後について記さなければなるまい。事業所へ連行された2人は、Y副社長から「無期限の謹慎」を命じられ、即座に自宅へ「軟禁」された。その上にKは「減給5割」DBは「全額不支給」の重加算刑が科せられた。更に2人には「降格処分」も課せられたので、地位も名誉も地に堕ち全てを失ったのである。Y副社長は、情け容赦などしなかったし、弁明も聞かなかった。ただ、部下達に対しては「処分不問」とした。悪童はKとDBであり
、部下達はただの駒でしか無い。だが、その代わりに、みっちりと「アブラ」を絞られ「反省文」を書かされたと言う。
私は、ミスターJの手配した「護送車」に乗せられて、大学病院へ戻ったが「私の代役」と男女は駅まで私の車で行って「代役」を新宿行きの特急列車へ乗せて、大役を無事果たした。KとDB達はY副社長により「逮捕」されたのだが、内応者達の手前、最後まで「演技」をしたのだそうだ。病院への帰り道では、何ら「妨害」を受ける事もなく平和の内に帰り着いた。車内には「看護師」が乗っており、万が一の時に備えられてはいたが、杞憂に終わったのは幸い意外の何物でもない。かくして「空前の大芝居」は終了したのだが、念密に手配がされた「極秘計画」には、脱帽するしかなかった。とにかく、私は「行方不明」なのだ。限られた人以外は所在すら知らない。今日は日曜日。I氏は何の所用があって来訪するのだろか?
午後2時、I氏が「見舞い」に病棟へやって来た。服装はラフ、奥様らしき人は「花束」を抱えていた。ホールのテーブルを挟んで椅子へ座った。「今日は、Y副社長の代理で買った花束を持って来た。食べ物はダメだからとキツく言われてな。社服だと目立つから、私服で行けやら家内を連れて行けやら、気遣いが半端じゃなくていかん。まあ、ここに居るのは極秘だから、用心に越したことは無いのはやむを得ないな」半ばボヤキが入ったが、花束を有り難く頂戴した。大きな花瓶が必要なくらいの量があったので、ナースステーションに居るHさんに声をかけて、飾ってもらう事に相成った。しかし、どうやらただの「見舞い」ではなさそうだ。I氏は静かに切り出した。「実は、ミスターJの手紙に書かれていない事があってな。今日は、お前の意向を確認に来た」何があったのだろう?私の意向などは関係はあるのか?I氏が話し始めた内容は、想像を超えるモノだった。「金曜日付けでKが退職した。依願退職扱いだが、その際に奴は条件を付けたんだ。自分の首と引き換えにDBを赦免してくれとな。だが、Y副社長の事はお前も分かっているだろうが、簡単には決めた事は曲げないお方だ。Kの首だけで決定は覆らん。奴もそれは百も承知で哀訴し続けた。土下座すらしたよ。せめて、給与の支払いだけでもいいからとな。それで、Y副社長も多少は譲る気になられて、ある提案をしたんだ。お前の意向が確認され、認めるならと千歩は譲歩される事になる」厳しい事で有名なY副社長の「譲歩案」とは何なのだろうか?「何を認めるんです?」私が聞き返すと以外な話しが飛んで来た。「DBを子会社へ転籍させて、交代勤務へ放り込むんだそうだ。4直3交代で年間を通して生産を止めないヤツだよ。お前もやった事があるだろう。かなりキツイはずだ」DBを転籍させるとは思い切った話しだ。だが、例え転籍しようが同じ事業所の敷地内ならば「野に虎を放って置く」のと変わりない。DBが自由気ままに闊歩されては困るのだ。その点を指摘すると「まぁー、そう噛み付くな!最初の任地は横浜だ!2年間は帰れない。奴の認識では、お前は関東圏に居る事になっている。血眼で探そうが見つかる訳が無い。2年間経てば、お前も復活して免疫機能も強化されてるはずだ。念書も取ったし、当面の間は安心していられるのではないか?とY副社長も言われている」成る程、子会社に転籍させてしまえば、本体の「社員」ではなくなり、DBが手を出してくる「理由」は消滅する。下手に「捕縛して寺へ送り込む」などと戯けた事をしようモノなら、今度こそ首が飛ぶ。「生殺し」にして監視すれば、今度こそ手出しは出来ない理屈である。だが、肝心のDBは応じたのだろうか?念書には「2度と関わらない」と書いたのだろうか?そこを聞いて見るとI氏は「DBは、素直に応じたよ。念書にも手出しはしないと書いた。奴はY副社長の目の前で念書を書かされ、署名し捺印した。確認の意味でY副社長も署名、捺印された公の約定だ。DBだっていつまでも日干しでは生活に困窮するだけだ。イヤと言う程思い知ったのだろうな。Kが用意した最後の舟に乗らないほど馬鹿じゃない!」「では、私が意向を示すのは、DBの転籍の件ですか?」と聞くと「そうだ!お前が了承して初めてDBの転籍が決まる!この際、DBを飛ばしてしまえば、誰も邪魔はしなくなる。安んじて療養に専念できる訳だ。どうする?同意してもらえるな?」I氏は真剣に問うている。Kが退職し、DBは飛ばされる。ならば答えは一つしかない。「同意します。Y副社長の思うままになさって下さい」静かに確かに私は答えた。「分かった。Y副社長に伝えて置く。ふー、俺の肩の荷も半ば降りた。ともかく後は自分と向き合って、養生してくれ。あまり、長居をしてもいかん。俺の今日の役目は終わった。じゃあ、また。何かあれば連絡してくれ」I氏は細君に声をかけて席を立った。見事な花がホールの真ん中に飾らせていた。「必ず帰って来い」そう言ってI氏は病棟を去った。もうじき、桜の花が咲く頃だ。まだ、先は長いだろうが、私の心は少し軽くなった。いつの日か病棟を去る日も来るだろう。終わらない「冬」はないし、必ず「春」は巡り来る。平坦ではないだろうが。

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