limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

ミスター DB ⑪

2018年01月14日 17時28分00秒 | 日記
「診断書」は紙屑と化し、医師の診断証明は失われた。DBが高笑いと共に消えたのを確認したI氏は私を助け起こしながら「会議室へ行こう。事業所長が待っている。」と言った。「紙屑はどうします?」総務の面々は、床に散らばった「元診断書」を指さして指示を請うた。「構わん。悪いが片づけてくれ。」I氏は意に介す事無く言った。「でも、診断書ですよ。本当にいいのですか?」と聞かれると「これから先は、君達が知る必要はない。大丈夫だから片付けていい。」とI氏は断言した。会議室へ通されると、事業所長や総務部長、労務担当課長が待ち構えていた。「怪我はないか?」と事業所長から聞かれ「大丈夫です」と私が答えると、一同は一様に安堵した様子だった。会社の上層部は、先程のDBの「悪事」の一部始終を陰から見ていた。「狂気の沙汰だったが、上手く行った様だな・・・、例のモノは大丈夫か?」総務部長が私に問うた。「例のモノ」とは、「二通目の診断書」の事だった。私は、シャツの裏に粘着テープで貼り付けて置いた小さなビニール袋を引き剥がして、中身を総務部長へ手渡した。I氏も会議室へ入り、鍵を掛けた。実は、精神科を受診する事になった時に、I氏へ連絡した際に「夜でもいいか?」と聞かれ、夜に再度連絡した時に「総務部内に、DBと繋がっている者が複数居る様だ。残念だが、これまでの事はDBへ漏れているらしい。今、俺は自宅に居るので心配はいらないが、昼間に連絡する際はDBに漏れる事を前提に話さなければならん。」と言った。今更ながらに、DBの執拗な「執着心」に恐れを抱いた話ではあったが「診断が確定と言うか、症状が明らかになった時はどうします?診断書は当然会社へ届けなくてはなりませんが?」とI氏に問うと「悪いが診断書は二通用意してくれないか?一通はDBへの言わば“エサ”に使う。もう一通が“本通”だ。まさか“診断書が二通ある”とはDBも考えないだろう。DBの本性を上に見せつける絶好の機会だ。用心に越したことは無いし、確実にお前を医療機関へ送り込むにはこれしかない。診断書が出た時の連絡は、昼間で構わん。DBに“漏れなくてはならない”事項だからな!上手く芝居は出来るか?と言うかやってもらわなくてはならんが・・・」私は、DBの異常さに改めて恐れを抱くと同時に「老獪かつ狡猾」な手口に戦慄を覚えざるを得なかった。しかし、I氏の言う通りにしなくては自身が危うくなるばかりだ。「分かりました。出来る限りやってみます。」と私が言うと「無理はするな。片方は奪われるのを承知で持ってくるんだ。隠し持ってくる方は慎重に持ち込んでくれ。そうしないと、お前の命が危うい。くれぐれも用心しろ!この話はここまでだ。以後はいつも通り昼間に連絡してくれ。」とI氏は言った。そして今日、懸念は現実となり「猿芝居」は一応の成功を収めたのだ。主治医の先生もこうした「DB対策」には「こんな事をする必要がある程、異常な人格なんですか?」と驚いていたが、私の要望の通り二通の診断書を作成してくれた。そして、策は図に当たり、DBを出し抜く事には成功した。今、関係者の手には「診断書」が渡った。直ちに「休職」の手続きが開始され、有給の残りを使い切った時点から「休職」となる事になった。事業所長やI氏は「これで一つ山は越えた。安心して治療に専念するように。」と言い、安堵の表情を浮かべていた。更に事業所長は「貴方の所属を本社の人事部へ移管する事を考えています。DBから完全に切り離し、手出しをさせないための処置です。異動を受け入れてくれますか?」と聞いて来た。私には、否応も無いので「お任せします。」と答えると「早速、人事異動を発令してもらおう!総務部長、宜しく頼みます。」と言い「元気になって必ず帰ってくるように!」と言い「DBの処置は私が責任を持って対処します。あのような暴挙を許す事は出来ません。会社に対する反逆と言っても言い過ぎではない!責任は相応に追ってもらう!」と語気を強めて言った。閉鎖空間で、上層部の限られた人達の手で手続きは無事に終わった。後は、入院するのみであった。会議室では、今後の指示が与えられた。I氏は「帰るときは、下を向いて行け。DBに悟られないためにも、意気消沈で帰れ。表向きは、再度、診断書を書いてもらい、郵送する事にする。そうすれば、DBは郵便物に網を張るだろうから、その隙に入院するのだ!あくまで診断書はダメになったと思わせる事だ。」と言い、総務部長からは「誰がDBに手を貸しているか分からないので、今日の事はここに居る者のみが承知する事とする。他言は無用だ。あくまでも、今日は何もできなかったと言い張れ!DBを欺くには、それしかない。」と言い出席者全員が口裏を合わせる事に合意した。どうにか第一関門は突破した。入院に向けても大きく前進したと言える。実際、入院直後は何も問題は起きなかった。しかし、DBはまだ諦めていなかった。次なる悪夢は病院で起きたのである。

ミスター DB ⑩

2018年01月13日 16時17分22秒 | 日記
病院から帰った私は、早速I氏の携帯へ連絡を入れた。診断が下った事、入院が決まった事、精神安定剤を服用する事等々、ありのままを伝えた。I氏は「そうか・・・、かなりの重傷と言う訳か。とにかく、休職の手続きを取らなくてはならないから、一度会社へ来てくれ。直接俺を訪ねて。間違ってもDBの処へは行くなよ!日取りは明日の午前10時はどうだ?」と言うので即座に了承した。「診断書は、俺の言う通り用意してあるな?」と問われたので「用意してあります」と答えた。この事は後に大きな意味を持つ事になる。「では明日、手続きを進めよう。事業所長には俺から話して置く。それから、お前の所属だが昨日付けを持って総務部へ異動になっている。もう一度言うがDBには気をつけて!」と念を押されて電話を終えた。私は、処方された薬剤を見つめながら、先の見えない状況に不安を感じていた。一方、会社では「私とI氏」の会話に聞き耳を立てている者達が、複数存在した。実は総務部内に「DBの手先」が複数存在しており、寸暇を置かずしてDBに情報が流れていたのだ。DBは、言葉巧みに総務部内の女性社員を操り、脅迫の手口を用いて彼女達を「スパイ」として使っていたのだ。会話の内容とI氏のメモ書きを盗み出した彼女達に罪はないが、DBは事前に「備え」を張り巡らせることが出来たのだ。
翌日、私は久々に会社の門をくぐった。指定された通りに「正面玄関」から社内へ入ろうとした瞬間、DBとかつての同僚達に私は包囲された。「怪しげなヤツが居る。病院で医師に偽りの診断をさせ、不当に会社から休暇を盗み出すとは、語るに落ちた!病院ではなく寺へ修行に行くのだ!それ、診断書を奪い取れ!」多勢に無勢、たちまち羽交い絞めにされ、カバンに入れてあった「診断書」を奪われるのに時間はかからなかった。そして、あろうことかDBは用意してあったシュレッダーに「診断書」を放り込んだのだ!「これで根拠は消滅した。お前は就業規則に違反する愚か者だ!愚か者は修行しかない!明日からお前は精神修行に励むのだ!寺へ行く覚悟を決めろ!」DBは勝ち誇ったかのように薄笑いを浮かべ、半ば狂気をはらんだ視線でこちらを見て言った。「何をしている!!DB!!」I氏が騒ぎを聞きつけてやって来た。「DB!彼はもうお前の部下でもない!手出しは無用にしろ!!」I氏が珍しく凄んだが、DBは高笑いをしながら「就業規則に反する者はクビにでもなるのがオチだ!コイツが休む根拠は紙屑になった。いや、俺の手で消して置いた。コイツには病院ではなく精神修行に行ってもらう!ヤツを俺の手に返してもらおうか!寺でビシビシと鍛え直してもらう!」DBは完全にイカレていた。I氏は、私を羽交い絞めにしている元同僚達を総務の屈強な連中を使って引き剥がし、DBと元同僚達に向かって言い放った。「失せろ!!これ以上の妨害工作は許さん!彼は総務部の人間だ。どうするかは、総務で決める。決めるのはDB!お前たちではない!!」DBは「正式な書面を失った以上、何ができる?診断書とやらは、ほれ、この通りだ!」と言って紙屑をばら撒いた。「何だと?!診断書をシュレッダーに入れたのか?!」I氏が呆れたように言うとDBは平然と「そうだ!証拠は屑にしてやった!これでヤツも悟っただろう。俺が正しいとな!」と言い返し「そろそろ引き上げだ。みんな仕事に戻れ。恐い総務のお歴々がやって来る!」と言いながら引き上げていった。「何て事だ・・・、これではどうにもならない・・・」紙屑と化した「診断書」を見て、I氏も呻くしかなかった。DBと元同僚達は、高笑いをしながら職場へと消えた。唯一の物証である「診断書」が無ければ休職も入院もできない。早くも私の行く先は、暗礁に乗り上げてしまった。

高齢運転者交通戦争-4 許されざる者達

2018年01月11日 13時20分08秒 | 日記
また、犠牲者が出てしまった。前橋市での事故は凄惨の極みである。事故を起こした85歳の狂人は、普段から「物損事故」を頻繁に起こしており、家族からも運転を止める様に言われていたが、頑なに「免許証返上」を拒み続け、挙げ句の果てに今回「何ら罪も無い女子高生2人」を巻き添えにした。まず、検察当局に強く要請したい事は、必ず「監獄」へ送り、罪を問う事だ。早くも当事者は「認知症の振り」をしており、不起訴に持ち込もうと画策し始めているが、断固として起訴し、訴追すべきだ。同情の余地はカケラも必要無い。次は「家族も連帯責任を負う」必要があるので、過失を認定して断罪すべきだ。当事者の運転を阻止できなかった罪は、大罪であり同等の罪で起訴すべきだ。3つ目は、群馬県警のボンクラを正す事だ。85歳に免許証の更新を易々と許した事は、社会通念上も一般常識に照らしても「間違い」であり「重大な過失」と言わねばなるまい。免許証さえ無ければ、今回の悲惨な事故は起こらなかったかも知れない。何故、更新したのか?根拠はあるのか?審査はザルでは無かったのか?徹底的に追求するべきだ。これらは、検察当局の義務であり、全国民が納得する結論を出す必要がある。
今後、同様の事故が頻繁に起こる事は避けられず、罪も無い人々の命を一瞬で奪う老人達は、益々増えるだろう。この先「街に蔓延る老人達」を制御するためにも、群馬地検の判断は重要になる。「どう言う状態であれ、加害者の罪を断罪する」と言う強い姿勢を示しておかねば、老人達はつけ上がり続けるだろう。「認知症の振りをすれば良い」と考える老人達に「世間は甘く無い」事を知らしめるべきだし、強制的に「免許証返上」を推進しなくては、今次大戦を生き残る術は無い。次の悲劇を減らすためにも、検察当局は努力して断罪すべきだ。

ミスター DB ⑨

2018年01月08日 19時47分38秒 | 日記
「早急な入院と精神安定剤の服用が必要です!」
暫く言葉は出なかった。理解しようとしたが、自分には「受け入れられない」と言うか「受け入れたくない」事実だった。ようやく絞り出した言葉が「先生、どのくらいで治りますか?」と言う問いかけだった。主治医となった先生からは「あなたの今の状態ですと、通常の生活に戻れるまで早くて1年半、完治となると5年以内に達成されるかどうか微妙なところでしょう。ともかく、長くかかるのは覚悟して下さい。」との返答だった。苦しんで来た原因は、明らかになった。しかし、答えとしては「最悪」だった。DBによって私は「心を破壊させられた」のである。しかも、ダメージは想像以上に重く深刻だと言う。先生は、大学病院へ緊急連絡を取り空きベッドの有無を確認していた。精神科の病棟と言えば「鉄格子の閉鎖病棟」と言うイメージがありがちだが、大学病院の病棟は「開放病棟」だと先生は言っていた。生まれてこの方「入院」などしたことがない私にとって、病院生活など想像もつかずに、ひたすら不安だけが渦巻いていた。電話を終えた先生が私に「1週間後にベッドが1つ空くので、そこを確保しました。来週、大学病院へ来て下さい。この病院には入院できませんので、遠くなりますがM市まで来て下さい。身の回りのもの一式と保険証や印鑑が必要になりますので忘れないで下さい。必要な書類はこちらで揃えて置きますので、入院係の窓口へ直接来て下さい。主治医は私になりますが、宜しくお願いします。何か分からない事はありますか?」と説明をしてくれたが、否応もあるはずもない。「分かりました。先生にお任せします」と言うのがやっとだった。「長い苦しみはもう終わりにしましょう。貴方は十分に頑張った。頑張り過ぎたのです。今、貴方に必要なのは休息と治療です。仕事や家の事は全て忘れて、治療に専念しましょう。そのために必要な環境は私が用意します。ともかく入院して体を治しましょう!」私は頷くのがやっとだった。治療が始まる。地の底からの復活劇だ。DBはもう手は出せないはずだった。だが、治療に入ってもDBの「悪魔の手」は忍び寄るのであった。

ミスター DB ⑧

2018年01月02日 18時47分37秒 | 日記
自分を苦しめている「病気」とは何なのか?自身に向き合って診断を受けられる環境は整ったものの、果たして「何処へ行けばいいのか?」近くの「かかりつけ医」では分からない可能性を考えて、地域の赤十字病院へ私は向かった。しかし、これが大きな間違いだったのである。数年前に移転新築された赤十字病院で、私は何の診断も検査も受けられず、初診料と高額な診察料だけを払わされ摘まみだされたのである。移転新築を機に赤十字病院は「高度先進医療と救急医療に特化」し、余程の事がない限り「初診患者」を締め出していたのだ。「地域医療ピラミッドの頂点」として踏ん反り返っている赤十字病院にとって私の様な患者は「有無を言わさず追い返す」対象でしかなかった。赤十字の「設立の精神」に反するこの様な行為に怒り心頭に達したものだが、診てもらえなければ事は前に進まない。止む無くO市の市民病院を恐る恐る訪ねて、赤十字病院での経緯と自身の症状を相談してみると「ともかく検査をして見ましょう」と診察を快諾してくれた。総合病院でも180度対応が違うのには驚いたが、これが本来の「赤十字の設立の精神」である。「敵も味方も無く傷ついた者・病める者を救う」こうした崇高な設立の精神のもと、赤十字社はスタートしたはず。「地域医療の頂点で踏ん反り返る」のが今の赤十字社の実態だ。時代が替われば、その根底である設立の精神も踏みにじられるとは。この時以来、私は赤十字社の活動を否定的に見るようになった。苦しむ者から「搾取」だけを行い、何ら救いの手を差し伸べなかった赤十字社の罪は重い。どんなに苦しくても「日本赤十字社」の世話にはならない様にしようと思った。
さて、既に現れている症状から「内臓疾患」が疑われた私は、レントゲン・超音波・CT・血液・内視鏡・触診等々あらゆる検査を受けたが、原因の特定には至らなかった。激しい頭痛と嘔吐。内科は「診断のプロ集団」のはずだが、内臓のどこにも「異常」が見られないと言うのだ。私を診察してくれた医師の方も「不可解ですが、内臓にはなんら異常は見当たらないのです。」と言い困惑を隠さなかった。「しかし、身体に異変がある以上、原因はどこかにあるものです。ですから・・・、精神科の先生の診察を受けてみませんか?」「精神科ですか?」と私がオウム返しに問うと「臓器は神経で脳に繋がっています。臓器に異常が見られないとしたら、神経が臓器を暴走させているとしか考えられません。幸い、水曜日に大学病院から先生が来ています。院内でカルテを回して置きますので、水曜日に診てもらってはどうでしょう?」既に選択肢は無いのだから、拒む理由も無かった。2日後に精神科受診の予約を入れて貰い、帰宅する車中で私は何も考えられなくなっていた。神経の暴走だとしたら「どう言う診断になるのか?病名は何なのか?」ともかく水曜日を待つ以外道は残されていなかった。
そして、運命の日、精神科初診に臨んだ私は「奇妙な違和感」と格闘する事になる。「医師から発せられる質問に淡々と答える。」これが実に30分以上続く。その間、聴診器も触診も一切ない。カルテにはびっしりと書き込みがなされていくが、それが何なのかが分からない。時折、内科のカルテを見るものの、質問は途切れることは無かった。家族構成・学歴・職歴・今の自分の状況を事細かに聞かれた。やがて、医師から言われた言葉に私は大きな衝撃を受ける。「お話を伺った範囲と内科のカルテから判断しますと、あなたはうつ病を発症しています。しかも、かなり緊急を要する段階です。精神安定剤の服用と入院が必要です。至急入院の手続きを取りましょう!」頭の中は真っ白になった。