お昼前のテレビみててばーちゃんがずっとタオルで😿拭いてたにゃ。
「なんでそんなに泣いてるの?」
「今、テレビでお歌を歌っていたおねーさんが、あんまりきれいな声だったのと、お歌が『翼をください』ていうお歌だったのと、おねーさんの人生にぴったりなお歌だったことでなの。」
「おねーさんの生い立ちが、チェルノブイリ原発の爆発で、ずっと苦しい子供時代だったのに、大人になったら、住んでいる国が戦争になってしまって、にゃんのいるこの国に逃げてきたけど、戦争は終わりそうになっくって、何とか平和になってもらいたいけど、お歌を歌って世界の人に戦争は嫌だって伝えたいってお話ししてたでしょ?。それを聞いて、ばーちゃん、自分の子供の頃をいろいろ思い出しちゃってたの。」
「ばーちゃんの子供の頃って泣いちゃうことだらけだったの?。」
「そうじゃないの。ものすごく大変だったしお金もなかったけど、思い出すことは楽しかったり嬉しかったことばかり^^。
だから、あのおねーさんが、そうなってくれればいいなって。」
「ばーちゃんのおうちは東京の、お屋敷町って言われている場所の端っこにあった『小屋敷』^^。昔の分譲地って、一番小さくって220坪だったの。でもばーちゃんのおうちはお隣りさんと半分こして、うちが110坪、お隣りも110坪だったみたい。
お家は、おじいさんが宮大工だったから、鉄の釘は一本も使わない竹釘のおうち^^。
重要文化財並みの造りのおうちで、引っ越しで取り壊した時には、取り壊しにすごく日数がかかったんだって^^。」
「お玄関の式台や床柱、雪見障子や欄間など、取り壊し御者に『貰っていいですか』って聞かれても、子供たちには良さがわからず、『いいよ。』
今考えるとみーんな結構なものだったらしいのよね^^
お庭には築山があって、石橋のかかった瓢箪池があって、池の真ん中に穴ぼこだらけの富士山の噴火石でできた島があって島のてっぺんから噴水が上がったりするの^^。
池には大きな石灯篭があって、何段か降りたところから、恋や金魚にえさを上げる平らな場所があり、お転婆なばーちゃんは、対岸からそこまで飛べるようになって嬉しかったり^^。」
(こ~んなに大きくはなかったけど^^)
「ばーちゃんのおとーさんは努力家で、趣味の機関車や列車のモデルを、ドイツ語の原書を読んで自力で縮小してこしらえて、お家の中からお池を渡してお庭一回り走るシュッポッポー。小さいばーちゃんと弟が乗せてもらえる楽しいイベントだったり^^。
でもね、戦争は終わって世の中が平和になり始めたとき、まだ医療があんまり進んでいなかったから、おとーさんが脳出血で突然死しちゃったの。」
「おか-さんが病弱だったこともあって、お家にはお手伝いさんがいっぱいいて、私にも弟にも『ねえや』や『ばあや』が居たりしたんだけど、おとーさんが始めようとして、工場を大きくしたり、機械を買い直した借金がいっぱいあったりで、でも、それを継まだ子供だったから破産しちゃって、ばーちゃんたちは、まだ小学生以下の子供4人と病気のおかーさんだけで、お手伝いさんたちもみんないなくなっちゃって、一気にドびんぼーの借金持ちになっちゃったの。」
「それからは、売り食い生活^^。病気のおかーさんを、子供たち4人で何とかしなければならなくって、5年生と4年生の兄が、ご近所さんの善意で、お店の会計のお手伝いのアルバイトをさせてもらって現金収入。2年生のばーちゃんがお勝手仕事のおさんどん^^。おとーともまだ学校に行く少し前だったけど、そばの八百屋さんに来るお年寄りの荷物持ちをして、お菓子やお駄賃貰ってきたりでなんとか暮らしが出来ていたんだよね^^。」
「でも、いくら裕福『だった』にしても、いつまでも売り食いで5人が暮らせるはずもなくって、その後、少し元気になったばーちゃんのおかーさんが、自宅でできる内職と、お部屋はいっぱいあったので、地方出身の学生さんのための下宿屋を始めたの。
戦災で東京はまだ焼け野原がいっぱいだったから、『緑濃いお屋敷町の端っこ』は、戦災に合わなくって済んだのがらっきーだったんだわね^^。
アパートやマンションなんてなかったころ。貸家すらない焼け野原に、地方のお金持ちの息子さんや娘さん。学生さんが出てくるには、食事付きの下宿屋は貴重な存在だったのよ^^。
おかーさんは寝たり起きたり。それで小学3年生のばーちゃんが、学生さんの朝晩のごはんを用意するの^^。
今思うと、一言の文句も言わないでお金を払ってくださった学生さんたちには、感謝感謝ね^^。」
「おうちはあったけど、いっつもお金がなくって、御用聞きに来るお魚屋さんは、安いお魚を進めてくれた上はねだし品のオマケもしてくれたし、幼児のおとーとにお手伝いさせてくれてお駄賃くれるご近所さんや八百屋さん、兄たちにお仕事させてくださった薬屋さん、皆さん本当にいい人ばっかりだったわね。」
「今考えると、ものすごい信じられない生活だったはずだったけど、全く苦労に感じなかったし、運だけはめっちゃくちゃよかったばーちゃん、友達に付き合って、暮れの福引みたいなガラガラポンをやったら、6年間続けて行ける学校に入れちゃって、ビンボーだったから学資免除迄受けられて・・・^^。
周りはお金持ちばっかだったけど、いじめは全くなかったし、なかよしさんたちはいまでもなかよし^^。
進学する人ばかりだったから、就職もさっさと銀行よりもお給料のいいところに受かっちゃったし・・・^^。
まあ、若いうちに『ウン』はみんな使い果たしちゃったのかもね。」
「でも、振り返ってみると、やっぱり大変だったこともむかつくこともほとんど覚えてなくって、楽しかったことやいい事しか思い出さなくなっちゃった^^。
最後が幸せだったら、その人の人生は、もしかしたら『幸せ』なのかもね。
にゃんが、ばーちゃんの背後霊やっててくれて、しあわせだな~~^^。
でいいでしょ?^^」
「にゃんうれぴ~~!」