ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

Same After the Rain

2002-07-01 | 香港生活
7月1日。

香港は返還5周年を迎えました。一国二制度で保証されている50年の自治と主権の10分の1の期間が終わったのです。最近、身の回りの外国人で返還を体験している人がかなり少なくなっていることに気付きました。駐在員が多いので5年は一昔前なのでしょう。
「日本にいてテレビで式典を見ていました。」
という人もいました。

ですから返還前後、香港が記録的な長雨に祟られていたことを覚えている人も、少なくなってきました。
「イギリス統治への別れの涙」
と、誰もが月並みな形容を思いつくほど長い長い雨が続いたのです。返還当日も大雨で、中国が主催した祝賀式典も完成したばかりの会場が雨漏りする中で行われ、撤退するイギリス軍への最後の閲兵をしたチャールズ皇太子は身じろぎもせずに雨に打たれていました。

「どうなる香港?」
「世界初の一国二制度は成功するのか?」
云々、当時はメディアがありとあらゆる可能性をこぞって報じ、チャイナウォッチャー、政治評論家、エコノミストといった専門家たちが新聞やテレビで、「香港はこうなる」「経済はああなる」と盛んに予想してくれたものでした。当然ながら香港人がそんなコメントをありがたがって聞くはずもなく、「何も変わらないサ」と聞き流していました。

英国の香港政庁に代わって中華人民共和国香港特別行政区政府(The Government of the Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China)と、「香港人でもこの英語のフルネームは馴染まないだろう」というほど長い名前の政府が成立し、あまりの長さに英語では特別行政区の頭文字、"SAR"と略称しています。オーストラリア人の友人は言ったものです。
「Same After the Rain(雨の後も同じ)だから"SAR"なんだ。」

SAR政府は、成立するや否や「明天更好」(明日はもっと良くなる)というスローガンを掲げて親しみ易さを演出しようとしました。私はその四文字を街のあちこちやテレビコマーシャルで目にするたびに何か不吉なものを感じていました。
「こんなに"明日はもっと良くなる"、"明日はもっと良くなる"と繰り返さなくてはいけないほど、今まで恵まれていなかったとでも?」
と思わず自問してしまうほどでした。

あれから5年。当時と比べ不動産価格は6割値下がりし、ほぼ完全雇用状態だった雇用情勢は7%を上回る未曾有の高失業率となり、財政も赤字に転落。日本人だけでなく多数の外国人がこの地を離れて行きました。もっと良くなるどころか、あの返還時をピークにいかなる専門家も予測し得なかったほど、香港は失速してしまったのです。こうして"借り物の土地、借り物の時間"と言われ、明日をも知れず心臓破りのスピードで発展してきた香港は、その回転速度を緩めることによってどんどん普通の場所になってきているのです。

これも予想外だった急激な中国本土化。今までは遅れているものが進んでいるものに追いつくのが当然と思われていたのに、進んでいるはずの香港が遅れているはずの中国に合わせる形で、急速に変わっていったのです。テレビを見ていると目を疑うような垢抜けないコマーシャルが流れたり、"本土風味"を謳う、屋台にドアをつけただけのようなレストランがあちこちにできてきたり・・・と、一度手に入れた洗練を香港はいとも簡単に手放し始めたのです。景気悪化で何事も安上がりになっているのも、大きな一因なのでしょうが。

そして香港人の北上。高失業率が押し出し要因にもなり、香港人が職を求めて中国に向かい始めたのです。
「給料が1、2割、何だったら3割減っても・・・」
と中国での就職を厭わなくなり、
「どうせ失業中。仕事があるなら給料半分でも行きたい。」
「今までの実績を活かせる千載一遇の好機到来。」
とそれぞれの思惑でたくさんの香港人が境界線を越え始めました。人材の空洞化はまだ微々たるものですが、この傾向は日増しに強くなっています。

こうした流れの中で、香港人が香港の明日を信じなくなってくれば、景気回復を期待する人もそれに肩入れしていく人も少なくなり、長い物には巻かれろ式に中国に下駄を預けるまでそれほど長い時間はかからないかもしれません。少なくとも「一国二制度」で保証されている45年もかかることはないでしょう。SAR政府は既に「香港ドルをどうするか」という話を、かなりオープンにし出しています。

周囲で北上していく人が増え、外国人の知り合いですら上海や広州に転勤になる人が珍しくない中で、西蘭家はせっせと南下計画を進めています。これが吉と出るか凶と出るかはわかりませんが、自分たちの心の趣くところに従っているので、どういう展開になっても悔やむことはないでしょう。方向は違ってもそれぞれの土地で新しい人生を生きていくことには変りなく、この7月1日に誰にともなく、そして自分たちに小さくつぶやく、
「Good luck!」


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後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
あれから19年。今の香港の実情を踏まえて読み返すと、一段と感慨深く本当に「Good luck!」

メルマガ「西蘭花通信」を始めた頃はまだブログもなく、週2回定期的に配信していたので、ブログへの移行も大量で大変ですが、やっと2002年7月に入りました。