ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

さまよえる氷河

2002-05-29 | 移住まで
夫婦2人は玉の汗でした。子どもたち2人は後部座席でふざけ合ったり、小突き合ったり、朝から相変わらず賑やかです。大人はほとんど口も利けないほど重苦しい雰囲気の中、ただひたすら前を見つめていました。だらだらと緩やかに降りていく坂道。両側はむせる様な濃緑の樹木が道路の際まで迫っています。雄大で手付かずの美しいNZの自然を心から堪能するでもなく、2人はそれぞれ、ただひとつのことだけを頭の中で念じ続けていました。

この苦しみが永遠のものではないことは良くわかっていました。それでもクルマで行くほんの数キロが、ほんの数分が、どれだけ遠く思えたことでしょう。1分でも1秒でも早く行きたいミルフォードサウンドが、中国奥地のタクラマカン砂漠の「さまよえる湖」のように、行けども行けどもたどり着けない蜃気楼のようです。そのうち、
「もう着いても着かなくてもどうでもいい」
という自暴自棄な気分にさえなってきました。氷河を見たってそれが何になる?今の苦しみを越えて行くほどのことか・・・。

子どもたちは相変わらず、ワーワー、キャーキャー。笑っていたかと思えば一瞬にして声のトーンが変り、それを合図に一気に怒涛のようなケンカが始まりますが、当時4才の次男は座布団状といえどもチャイルドシートに括りつけられているので、取っ組み合いにはならず、お互い横並びでシートベルトに押さえつけられながら、蹴りを入れたり、突いたり、つねったり・・・。それ以上にエスカレートしないので、親としては本気で怒らずに済むのが救いでした。今の私たちに子どもを叱る心の余裕など微塵もなく、普段は可愛いいと思う子どもたちの声にまで、胸が締め付けられるような息苦しさを覚えていました。

「あぁ、苦しい。」
2人とも心底そう思っていましたが、やっとの思いで口をついたのは、
「雨が止んだね。」
などと言う、愚にもつかない話。言ったそばからため息が出るような虚脱感。

「雨なんてどうでもいいじゃないの。」
本当はそんなことを言ってしまった自分に当たりたいくらいの、すさんだ気持ち。
夫も、
「ああ。」
とひどく気の抜けた受け応え。
「それが何なんだ?」
とでも言うような余韻を残す、憮然とした態度。

その日の朝、テアナウを出たのがずっと、ずっと過去のことに思えました。戻れないという意味では、数時間前は間違いなく過去です。
「できることならあそこまで時計を戻してもう一度やり直したい」
という理性的な後悔と、
「ここまできてしまって、もうどうすることもできはしない」
という、自明の理への軽いイラつき。ささくれた気持ちをぶつけまいという最後の良心よりも、声を出してなけなしのエネルギーを無駄にしてしまいたくないがための沈黙。

やっとミルフォードサウンド入り口のホーマートンネルに。内側は山を削った時そのままの地肌で、反射板がついているだけで完全無灯という極めてシンプルな造り。かなりの勾配になっているので山越え後、一気に海抜ゼロメートルまで降りていく感じが良くわかります。これを抜ければ目的地まではあと10キロ弱。しかし、安堵よりも苦しみの増幅の方がはるかに強く、その数キロは歯の根が合わなくなるような痛みに近い苦しみとの戦いで、狭い車の中での我慢はピークに。
「嗚呼・・・」

そして、ついに到着!9年前とほとんど変っていないように見受けられたものの、風景などこの際視界に入らず、私は脱兎のごとくにクルマを飛び出し、目の前に差し出されたかのように登場したトイレに駆け込み、夫は前に来た時にはなかったガソリンスタンドにまっしぐら。私が全身きしむような解放感で腑抜け状態なら、夫は「ちょうど2週間前にできたばかりのスタンド」と知らされ、ヘタり込み状態。2人ともまさに、ここにて昇天。


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編集後記「マヨネーズ」  
こうして、今年のミルフォードサウンド行きは私たちにとって忘れえぬ、限界への挑戦と克服(?) の場となりました。たかがトイレ、されどトイレ・・・です。もちろん万が一のことも考えましたが、前方の道路工事でほとんど走っているのか止まっているのかわからないような渋滞で、おまけに私たちのクルマの前後は観光バスが数珠繋ぎ。しかも、そのほとんどが日本人観光客(笑)

夫は夫でテアナウを出る時にガソリンの残量をチェックせず、走り始めてからは子どもたちが山道で車酔いになったりでバタバタしてしまい、1時間も走ってから、
「やっば!ガス欠!」
ということに。残量レベルを示す針はゼロを下回っていて、下り坂だったのでギアをニュートラルのまま惰性に任せて走行距離を稼げたのが幸いでした。スタンドの人にまで「You are lucky!」と言われたほどのラッキーさ。

万事ザルな私は、
「これだけたくさん日本人観光客のバスがあるんだから、どれか1台ぐらい乗せてくれるだろう。それより問題はトイレ・・・」と、自分の苦しみが最大優先で夫の脂汗も見て見ぬ振り。でも実際にエンストしてしまえばレッカー車を呼んだり何だりで、トイレどころではなかったはず。それでも、
「観光バスってトイレあったよね♪」
というこの発想、ひょっとして、コレって、自己チュー?


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後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
あれ以来、ミルフォードサウンドに行っていないので、氷河の記憶はアレで固定されています(笑)

(※写真によれば2002年2月12日でした)


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